2016年5月30日月曜日

仏法と歴史 ~ナポレオン編~

今月の本部幹部会で紹介されたのは、1993年6月の池田先生の本幹スピーチで、ナポレオンをテーマにしてましたね。

今日の聖教新聞に掲載されていたので、そちらを中心に紹介します。さらに、今日から、先生もかつて読んだという鶴見祐輔氏著の「ナポレオン」を読み始めました。戴冠式までの中からこれぞという文章を紹介します。



聖教新聞から、

**************************

ナポレオンは、語った。
「それにしても、私の生涯は、何という小説(ロマン)であろう!」
皆さまも、自分自身の「ロマン」をつづり、自分自身の「歴史」をつくることである。
だれに言われようが言われまいが、自分は自分らしく、決然たる「舞」を舞い、「曲」を奏で、「劇」を演じゆく人生であっていただきたい。

**************************

ナポレオンは、戦いにあって、常に先頭に立った。「常に先頭に」――これが指導者の鉄則である。
次元は異なるが、日蓮大聖人も、法戦の先頭に立って戦われた。ゆえに門下の私も、常に先頭に立つ。

**************************

ナポレオンは、体験のうえから次の言葉を残している。
「いたずらに多くの人間がいたからといって何もならない。一人の人間こそすべてである」
牧口先生も、「羊千匹より獅子一匹」と言われた。
私も、「ただ一人で」の決心を貫ききってきた。

**************************

ナポレオンは、ある時、こう語った。
「華々しい勝利から没落への距離はただ一歩にすぎない。私は、最も重大な状況において、どんな大きな事件もほんのちょっとしたことで常に決まるのを見て来た」と。
これは、私が戸田先生から厳しく教わったことでもある。

(中略)

「油断大敵」。これは、一国の歴史にも、一人の人生にもあてはまる真実であろう。

**************************


「ナポレオン」から、

**************************

彼のうちには矛盾した二つの性格があった。その一つは女性のように敏感な内気であった。もう一つは獅子王のように勇敢な冒険精神であった。

**************************

当時の彼の手記で後世をおどろかすのは、この二十未満の青年が、分析力と総合力とを異常にもっていたことである。分析的頭脳の人は小局にとらわれやすく、総合的頭脳の人は放漫空粗にながれやすい。しかし偉大なる人傑はつねに総合的頭脳の人であった。

**************************

彼の征服欲のうちには、彼自身のために世界を征服しようという欲求のほかに、しいたげられたる一般大衆のために、支配階級を打倒し征服しようという欲求が強く働いていた。ゆえにそれは、現状を維持しようとする征服欲でなくて、現状を打破しようという征服欲であった。であるから彼は終生反逆児であったのだ。いな反逆児であるべきであったのだ。

**************************

「前進!」
それが彼の決意であった。人生畢竟一賭博、運命はただ天にあり。男子功業をたつるの途は前にある。

**************************

ナポレオンの当時の手記に「精神は剣よりも強し」という句がある。彼は軍人としての戦勝よりも、文章言論による民心把握の力が、近代大衆運動においてはるかに有力であることを知悉していたのである。

**************************

あのロディの戦争の夜、余は自分の非凡人であることをはじめて意識した。その折りまでは空想とのみ考えていた大事業を実現しようという大志が発生したのはあのときからだ」と。
人間の一生には、俄然として神秘の扉が開いて、さっと自分の運命が見わたされる瞬間があるものだ。

**************************

男性は女性の刺激によって発達し、女性は男性の啓発によって進歩する。人間の人格完成の道行きは、多く異性の感化である。

**************************

彼は人間の社会的努力の目標として、金銭のほかに名誉を標置することのいかに重要なるやを知っていた。

**************************

人間は働いているときに一番幸福である。ことに天才児はその非凡の天分を十二分に発揮するときにもっとも幸福である。ナポレオンが青年失意の日に、しばしば死を思ったのは、金に困ったからでも、名誉が得られなかったからでもなかった。彼はむずむずするように五体にあふれているその才能のはけ口がなくてはげしい憂鬱を感じていたのだ。

**************************





わかる、ナポレオンの冒険精神が。いよいよ前進、前進、これからだ。

「新・人間革命」12巻 天舞の章

1967年9月1日、学会本部に隣接して、創価文化会館が落成。10月15日、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった東京文化祭が。そこには、出演者一人ひとりの涙ぐましい挑戦と人間革命のドラマがあった。同月下旬、「ヨーロッパ統合の父」として知られる、カレルギー伯爵と会見。後年、対談集『文明・西と東』として結実する。



文化について、

**************************

広宣流布とは、一口にしていえば、日蓮大聖人の大仏法を根底とした、絢爛たる最高の文化社会の建設であります。そして、世界の人びとの幸福と平和を基調とした、大文明の建設であります。すなわち、色心不二の大生命哲学を根幹とした、中道主義による文明の開花であります。

**************************

文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。

**************************

文化祭は、創価学会がいかに文化の向上に真剣であり、平和文化を愛好しているかということを示す縮図です。

**************************



文化祭の練習等学会活動について、

**************************

友の幸福を願って、懸命に唱題し、活動に励めば励むほど、心の底から歓喜が込み上げ、生命の燃焼と躍動を覚えるのである。それは、これまでに体験したことのない、充実した境地であった。

**************************

その一念こそが、その粘り強い、執念の前進こそが、困難の壁を打ち破る力となるのだ。

**************************

皆が、自身に打ち勝った勝者であった。
皆が、感動の青春ドラマを演じたヒーローであり、ヒロインであった。

**************************

世界の平和とは、与えられるものではない。人間が、人間自身の力と英知で、創造していくものだ。戦い、勝ち取っていくものだ。ゆえに、人間が、自身を磨き、自分の弱さに挑み、打ち勝つことこそが、平和建設の要諦といえる。つまり、自己の境涯を開き、高めゆく、人間革命の闘争なくして平和はない。

**************************

御聖訓には、「陰徳あれば陽報あり」と仰せである。
それを確信できるかどうかに、信心は表れ、また、それが、一生成仏を決するといってよい。

**************************



カレルギー伯爵との会談にて、

**************************

仏法というのは、人間と宇宙を貫く、生命の永遠不変の法則であり、また、人類の平和と幸福を実現するための指導原理といえます。したがって、現代科学とも、決して矛盾するものではありません。むしろ科学技術をリードし、人間の幸福に寄与するものにしていくための、哲学が仏法なんです。

**************************

もちろん、暴力やテロは絶対に悪ですし、民衆を支配し、隷属化させる権力とは、どこまでも戦います。
しかし、人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います。
さらに、仏法で説く、万人が等しく『仏』の生命をもっているという考え方は、人間を貫く、内なる普遍の世界を開示するものといえます。
人類がそこに着目し、人間の共通項に目を向けていくならば、分断から融合へと発想を切り替える、回転軸となっていくと確信しています。
また、宗教の違いによって生じた文化的な差異は、違いを認めるというだけでなく、むしろ尊重すべきです。

**************************




2016年5月28日土曜日

「新・人間革命」12巻 愛郷の章

海外から帰国後は一転、地方指導に力を。一期一会の想いで中小都市にも少しでも足を運ぼうと努める。群発地震の続いている長野県松代や、江戸時代に悪政に苦しんだ岐阜県高山といった、国土の宿業が深い地域ともいえる場所へ積極的に宿命転換をかけた激励の手を。


寄せ返す波浪は、やがて、岩をも打ち砕く。

そうだ。間断なき出発だ! 間断なき前進だ! 連続闘争だ!

そこにこそ、人生と広布の大勝利の道がある。


**************************

仏法には、地震は、人びとが正法に背くゆえの災難であるとの、とらえ方がある。
また、釈尊が法華経を説く時、大地が六種に震動したとされていることから、正法興隆の瑞相ともとらえられている。

**************************

勝利者とは、心の壁を破った人の異名である。

**************************

人間の成長は、“もうこれ以上はだめだ”という、自分の限界を超えて、突き進んでいくところにあるのだ。その時に、初めて自己の殻を打ち破り、力をつけ、境涯を開き、人間革命が可能となる。

**************************

忙しくとも、音楽を聴くぐらいの、心の余裕はなくてはならない。信心をしているからといって、世界を狭くしてはいけないよ。本来、広宣流布というのは、人間文化の創造の運動なんだからね。

**************************

大聖人は『立正安国論』のなかで、“実乗の一善”すなわち、法華経に帰依すべきであると訴えられております。法華経とは、大宇宙を貫く生命の根本法則を説いた教えであり、また、生命の尊厳の思想、慈悲の哲理です。そして、この正法を生き方の根本とし、自身の一念を、生命を変革していくならば、いかなる環境をも変え、崩れざる幸福を築き上げることができると、大聖人は宣言されています。

**************************

戸田は、徹して悪を打ち砕かんとする敢闘と執念のなかにのみ、正義と人道の勝利があることを、弟子たちに教えたかったのである。

**************************

人生も、広布も、自己の心に宿る惰性と油断との戦いといえるかもしれない。“敵”は外にいるのではない。己心に潜むものだ。

**************************

その本質は、慢心なんだ。

(中略)

惰性化していくと、そうしたことを、真剣に受け止められなくなってしまう。

**************************

広宣流布は、永遠の闘争です。ゆえに、何があっても、戦い続けていくことです。昨日、しくじったならば、今日、勝てばよい。今日、負けたなら、明日は必ず勝つ。そして、昨日も勝ち、今日も勝ったならば、勝ち続けていくことです。

**************************

いつの世も、保身に汲々とする臆病者の姑息さこそ、悪を肥大させていくのである。

**************************

信心をしたからといって、悩みや苦しみがなくなるということではありません。
要は、その苦難に負けずに、悠々と乗り越えていけるのかどうかです。それによって、人生の勝敗も、幸・不幸も決まってしまう。

**************************

「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」

**************************

地域の繁栄は、人びとの一念を転換し、心という土壌を耕すことから始まる。そこに、強き郷土愛の根が育まれ、向上の樹木が繁茂し、知恵の花が咲き、地域は美しき幸の沃野となるからだ。また、そのための創価の運動なのである。

2016年5月27日金曜日

中国文明史余話 ~戦国の中山編~

もう一つ。戦国期B.C.414年に興り、B.C.296年に滅んだ強国を記録しておきます。その名は中山国で、魏・趙・斉・燕と接する北方にありました。北方民族である鮮虞族が北方を犯して立てた国です。

「中国文明史」も「戦国名臣列伝」もこの国を軽視できないようですのでここに記します。一時期、魏からの支配を受け、中原文化を吸収し、青銅器文化を発達させた国でした。

以下、楽毅の出身が中山との著者の説から、「戦国名臣列伝」に詳しくこの国のことが書かれています。

*************************

中山の君主が王を称えたのは、宋王より早く、紀元前313年のことで、宋王とちがうのは、それが自称ではなく、他国の王に承認されたということである。それゆえ中山の朝廷は王朝となり、その王朝は中山国が滅亡する紀元前296年までつづいた。
とはいえ二十七年間の王朝はいかにも短い。それゆえ百年後には、中山は伝説の国となり、千年後には、幻の王国、となった。
だが、中山国はまぎれもなく存在した。一九七四年に考古学調査が中山王陵でおこなわれて、一九七八年までに三十余基の墓や都城遺跡があきらかにされた。

(中略)

が、皮肉なことに、中山の君主が王を称えたことが中山国の滅亡の遠因になった。
すなわち、中山君が王を称えることにかねて難色をしめしていた斉王が、自身が出席しない諸侯会同において中山君の称王が許されたことを知り、

―――不愉快である。

(中略)

中山王と斉王が慢心の上にいたことはたしかであろう。慢心は知恵を涸らし、人を去らせる。

(中略)

中山王の尚は膚施へ移され、平民となった。

*************************



先に楽毅のところで紹介した「五尽」を中山は具えてしまい滅んだのでした。

慢心を起こした組織が崩壊するのは早いですね。

中国文明史余話 ~戦国の秦編②~

さあ、いよいよ天下統一です。顔ぶれは4人。戦国中期から末期へ。韓・魏・楚・趙・燕と滅び、斉は戦う気力なく併呑されていくのです。燕の放った始皇帝暗殺の刺客・荊軻は実に惜しかったですけど。

・白起(ハクキ)
・范雎(ハンショ)
・呂不韋(リョフイ)
・王翦(オウセン)

白起は、先に書いた魏冄が登用した常勝将軍です。秦の版図は彼によって大きく広げられました。このまま魏冄が宰相でも統一はなったかもしれませんが、そこに現われた若手ホープが范雎。
彼の遠交近攻策が王の採るところとなり、魏冄とともに白起も表舞台から去っていきます。最後は多くの兵士を殺してきた罪を償うという名目で自殺します。

范雎は、天下統一へ向けて、遠くの斉と同盟を結びながら、多いに近隣国を攻め、天下統一の道筋を立てました。最期は斡旋した他者の罪の責任をとり宰相をやめました。

呂不韋は、いわずと知れた始皇帝の実の父親説のある商人出身の宰相で、始皇帝の父親がまだ人質だったところから一躍、秦王にのしあげたのも彼の実力です。最期は力をもちすぎて、始皇帝から死を賜り、毒を飲み自殺しました。「呂氏春秋」といわれる百科事典も後世に残し、エピソードがありすぎです。

王翦は、わざと欲深いところを始皇帝に示したりして、始皇帝から疑われるのを避け、見事彼の息子、王賁と天下統一を果たすのです。決して無茶な戦いをしない戦術で、これほど天下統一を速めたのは、彼の将としての器が天授のものだったのでしょう。



宮城谷昌光氏「戦国名臣列伝」「春秋名臣列伝」に比べてエピソードが充実し、永久保存版にしておこうと思います。最期の秦の4人のところを詠めば、秦の天下統一がどうやってなされたかわかるようになっています。陳舜臣氏「小説十八史略」と合わせて読めばほぼ内容は同様ですが、さらに充実するかと。

中国文明史余話 ~戦国の秦編①~

秦は末期には天下統一へ突き進んでいく巨大国ですが、前期~中期はまだ後発国からの成長期でした。

その成長を支えた二人、

・商鞅(ショウオウ)
・魏冄(ギゼン)

商鞅は、未開発国に色濃かった神権的政治から、秦を法治国家に目覚めさせた才人です。日本の江藤新平とイメージが重なるべく、刑罰を受けたものからの怨みがひどく、最後は自らの法により無実の罪を着せられ、車裂の刑にあいます。

魏冄は、立ち回りが絶妙で、登るところまで登った達人です。中期に秦と斉を二大国と決定づけたのも彼です。その後も斉の力を合従によって削ぐ等と功績は絶大ですが、最後は新しい人材の台頭で身を引かざるを得ませんでした。


この二人にぴったりの「菜根譚」の条文を、

第137条
  位階勲章は高くなりすぎず、
  自分の得意とする処は、
  得意を出し切らぬが、危険を避ける方法




最後に、組織についての重要な著者の言葉、

**************************

富強をはたしたという驕りは、人材の発掘をにぶらせ、観察眼をくもらせ、危機意識を払底し、改善の意欲を減退させた。人でも組織でも、現状に満足してそれを守ろうとした瞬間から衰頽がはじまると想ったほうがよい。それをまぬかれるためには、改善しつづけても達成しえない高みに志をおいておくことであり、志と目的とはちがうということを認識しておくべきである。

**************************


「新・人間革命」12巻 新緑の章

1967年5月3日、会長就任7周年を大勝利で飾った伸一は、気を緩めることなく一瞬一瞬を激励にあてる。13回目の海外訪問へ。ハワイ、ロサンゼルス、ニューヨークとアメリカを回り、そのままフランス、イタリア、スイス、オランダとヨーロッパへ。海外も本門の時代へ第二幕を迎える。青年が若芽のごとく育っていることに喜びを覚えるのだった。


まず、現代文明への達観、

****************************

現実社会のかかえる問題を直視し、その解決に取り組んでいくなかにこそ、仏法者の真実の生き方があるからだ。
「現代の思想家、知識人が憂えている文明の行き詰まり等の問題は、究極的には、人間性喪失、すなわち、人間疎外の問題であります。
これは、物質文明、機械文明の目覚ましい発達に比べて、精神文明が立ち遅れ、人間が主体性を失い、生命の尊厳を忘れたゆえであります。
その幾つかの局面をあげてみますと、まず、生活のあらゆる部門が機械化され、人間は機械に従って動いていればいいような、機械が主人で、人間が家来といった関係になってしまった。企業等でも、機械化、合理化のために、労働者が首を切られるという現象も起きております。
また、いわゆる官僚機構に見られるごとく、組織が膨大となり、人間一人ひとりは、その歯車にすぎなくなってしまっております。そこでは、組織それ自体が巨大なメカニズムとなり、個人の意思を超えて動き、個人は言い知れぬ無力感と虚無感に覆われている。
さらに、マスメディアによって、情報、ニュースが、洪水のように流されるなかで、現代人の多くは、ただ、それを受け取るだけになっているというのが、悲しき現状であります。
そうした状態が続くうちに、自分から意欲的に主体性をもって働きかけるよりも、いつも何かを待っているような、受け身的で消極的な、弱々しい精神構造になりつつあるといえます。また、生き方、考え方の確固たる基準がないところから、理性的な判断に欠け、その場、その場で、衝動的、本能的に行動してしまう傾向が強くなってきている。

****************************



数々の御指導、

****************************

組織といっても、あるいは運動といっても、それを支えているのは、一人ひとりの人間である。その人間が一念を転換し、使命に目覚め立ち、最大の力を発揮していくならば、すべてを変えることができる。

****************************

人生の勝利の姿は、地位や名誉を手に入れたかどうかで決まるものではありません。最後は、どれだけ喜びをもって、はつらつとした心で、人生を生き抜いたかです。

****************************

真剣――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気もでる。力も湧く。知恵も回る。また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。

****************************

人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。
しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない。

****************************

「若い世代を育成するための要諦というのは、なんでしょうか」
言下に、伸一の答えが返ってきた。
「後輩を信頼し、尊敬することです。信心して日が浅いからとか、年齢が若いからといって、自分より下に見るというのは間違いです。そして、自分以上の人材にしようという強い一念をもち、伸び伸びと育てていくことです。

****************************

ともあれ、学会活動で苦労した分だけ、自分自身の生命を磨き、宿命を転換し、福運を積み、幸せになることができる。ゆえに、学会活動は、断じて守り抜かねばならない、自身の人間としての権利なのである。

****************************

リーダーというのは、神経を研ぎ澄まし、一つの事故を戒めとして、敏感に対処していかなくてはならない。そうすれば、大事故を未然に防げる。

****************************

信心をして小さな功徳を受けるのはたやすい。しかし、宿命の転換という大功徳を受けることは容易ではない。宿命を形成してきた自身の心、性格を見つめ、生命を磨き、人間革命せずしては、宿命の転換はないからだ。
そして、それには、自身の広布の使命を果たし抜いていくことだ。決定した信心に立って唱題に励み、障魔と戦い、悪を打ち砕いていくことだ。

****************************

平和は与えられるものではなく、権力の魔性、人間の魔性と戦い、打ち勝たなければ、手に入らないものであることを痛感していた。

****************************

困難に直面した時、逡巡し、立ち止まるか。勇気を奮い起こして突き進んでいくか――それが、すべての勝敗を決する要諦といえよう。

****************************

子どもは、日々、親の姿、生き方を見て、信仰への理解と共感を深めていく。ゆえに、親自身が、いかなる困難にも負けない強さや明るさ、人への思いやりなど、人格の輝きを増していくことが大切であり、それが、仏法の偉大さの証明となる。
ともあれ、子どもに信心を継承していくことは仏法者としての親の責務であり、そこにこそ、真実の愛があるといえよう。

****************************

人生の戦いというのは“もうだめだ”と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ。

****************************



先生からの激励を直接頂いた気分である。今の苦しみを必ず乗り越えて広布に生き抜いてみせる。そう決定した唱題からまた今日も一歩を。

2016年5月26日木曜日

中国文明史余話 ~戦国の斉編~

斉は秦とどちらが天下をとるかというくらい、戦国七雄のうちの二大国であった。最期に滅ぼされたのも斉。しかしながら、斉も一度、あの燕の名将、楽毅にもっとはやく滅亡させられそうになったことがある。

次の二人のうち一人は、その滅亡を救った英雄である。

・田単
・孫臏(ソンピン)

田単が、楽毅が落とした70余城の後に残された3城に立てこもり、楽毅を失脚させて、後釜の将を大敗北させ70余城を取り戻した人で、小役人出身というからまさに英雄です。ちょっと権謀術数が多い人のイメージはあります。最期はあまり斉で優遇されず、これまた楽毅と同じく趙に優遇され宰相とまでなったというから、趙の恵文王の徳もすごかったのだと改めて感じました。楽毅と田単は趙で再開してこの時のことをたぶん幾度となく語り合ったでしょうね。

孫臏は、これまた有名で、孫子の兵法の孫子には実は二人モデルがいた!というもう一人の方です。孫子の兵法と普段使われている方は、呉にいた孫武のことですが、この時代、孫子といえば、この斉の孫臏も兵法家として知られていたことが、出土した竹簡から分かったのです。臏とは、魏の同学の者に騙されて、彼が両足を切られる刑をうけていたからです。その復讐を国同士の合戦で果たすのだから痛快なエピソードです。孫武よりも物語性はもっている人ですね。

この二人にあった「菜根譚」一度絶望の淵に立たされる程、苦労したことが名を上げる鍛錬となったこの条文でしょうか。

第127条
  災厄や逆境、困窮に遭う事は人間を鍛える
  一つの鍛冶床である。
  よく鍛えれば心身と共に益し、
  鍛えないと心身共に駄目になる。




「新・人間革命」11巻 躍進の章★

1967年、「躍進の年」明ける。瞬時の休みもなく全国各地の撮影会等の激励に臨む。1月、公明党は初挑戦の衆院選で勝利し一躍第四党に。中道政治の実現へ本格始動する。この激闘の最中においても、伸一は常に学ぶことをやめず、大学の卒業レポートを書き上げるのだった。新潟の指導において、佐渡を訪れ、日蓮大聖人の殉難の御生涯を偲ぶ。




****************************

人びとはリーダーの言葉についてくるのではない。行動についてくるのだ。
口先だけのリーダーは、やがて、その欺瞞の仮面をはがされ、誰からも相手にされず、見捨てられていくにちがいない。

****************************

ぼくは今、大学に提出するリポートを書いているんだよ。学ぶことは楽しいし、学ぶことは人間の権利なんだ。だから、どんなに忙しくても、激務の日々であったとしても、学ぶことをやめてはいけない。

****************************



会館について、

****************************

文化会館も、会館も、機能、内容は同じである。しかし、伸一が、あえて「文化」という名を冠した会館の建設を推進してきたのは、広宣流布とは、人間文化の創造であると考えていたからである。
宗教はなんのために存在するのか――。
それは、人びとの幸福のためである。生きがいある人生のためである。そして、それを実現するには、人間尊重の社会を築き、さまざまな人間文化の花を、咲かせなくてはならない。つまり、宗教が社会建設の力となってこそ、宗教の目的を達成することができるといえよう。

****************************

彼は、各県などの中心となる会館は、しっかりとした、大きな建物にしなければならないと思っていた。
それは、ひとたび災害が起きた時には、学会の会館は救援対策本部となり、また、臨時の避難所として、被災者を受け入れられる建物にすることを、考慮してのことであった。

****************************


信心とは、

****************************

信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。その戦いのなかにこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生があることを知っていただきたいのです。

****************************

「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。法難の時こそ、“師子王”となって戦え、そこに成仏があるとの指導である。
ここには、「難即悟達」の原理が示されている。
日蓮は、法難こそ、一生成仏のための不可欠な条件であることを教えている。それゆえに、難を「喜び」「功徳」ととらえ、難を呼び起こせと説いているのである。
そして、自分を迫害した者たちに対しても、彼らがいなければ「法華経の行者」にはなれなかったと、喜びをもって述べているのである。

****************************

2016年5月25日水曜日

中国文明史余話 ~戦国の燕編~

燕は大国とばかり思っていたイメージが少し違いました。戦国期は斉の勢力が強く、実情は斉の属国のようになっていたようです。その燕を一躍スターにした二人がいます。

・蘇秦(ソシン)
・楽毅(ガクキ)

蘇秦は、戦国が合従連衡の時代と言われる合従の方を唱えた先駆者。連衡の張儀と並んで同じ鬼谷子に学んだ同門ということで、エピソードとして欠くべからざる人物です。

楽毅は、後の世の劉邦や諸葛孔明が尊敬したというほど徳の高い軍師。蘇秦の策謀と楽毅の徳によって燕は一躍、斉をあわや滅亡というところまで追いつめます。70余城を落とし、残り3城というところで主君が没し、よくある話で暗君のために亡命します。

これだけ有名な二人ですが、末路は違いがあります。その差は才能をどのように使ったかだったのではないかと思います。蘇秦は自分の亡骸まで策謀に使い、車裂の刑になります。楽毅はあの黄金時代の趙で礼遇されて亡くなりました。



「菜根譚」のこの条文で二人の違いを現したいと思います。


第139条
  徳は才能の主人であり、才能は徳の下僕である。
  才だけあって徳がないのは、丁度家に主人がなく、
  下僕が切り盛りしているようなもので化物が出る。




もう一つ、楽毅のところで亡国の条件、五尽について、

**************************

①約束したことを守らない ・・・『信』が尽きる
②人を正しく誉めない   ・・・『名』が尽きる
③臣民を愛さない     ・・・『親』が尽きる
④食料がない       ・・・『財」が尽きる
⑤人を用いない      ・・・『功』が尽きる

**************************



あっ 菜根譚含め④以外全てうちの会社のことでは・・・ 

財が尽きると亡くなるのか・・・ さもあらん・・・


楽毅はぜひとも長編で読んでみたくなりました。

「新・人間革命」11巻 常勝の章

北南米訪問を終えた伸一は、班長、班担当員など、第一線で活動に励むメンバーとの記念撮影、激励に日本各地を回り始めた。1966年、9月18日。伸一を迎えた関西の友は、関西文化祭を雨の中決行。歴史に残る文化祭となった。この頃、海外のメンバーもいるベトナムで、戦争が深刻化し、11月の青年部総会では世界へ向けて和平宣言を行うなど使命を果たし続けた。



最近の聖教新聞から、

*************************

負けじ魂を満天下に示したのが、兵庫・西宮の阪神甲子園球場で開催した、あの「雨の関西文化祭」であった。
台風接近の影響による激しい雨がグラウンドを打ち付ける中、わが関西の青年たちは、試練の逆境をはね返し、偉大な人間賛歌の舞台に変えた。
その常勝不敗の魂は、半世紀を経た今も脈々と流れ通っている。

2016年5月9日 「聖教新聞」 永遠なれ創価の大城 より
*************************



関西文化祭、またそれ以前において、

*************************

偉業というものは、称賛も喝采もないなかで、黙々と静かに、成し遂げられていくものといえる。

*************************

山本伸一は、法華経の湧出品に説かれた、「如蓮華在水」の文を、眼前に見る思いがした。この文は、地涌の菩薩がよく菩薩道を行じて、世俗に染まらぬさまを、泥沼のなかにあって清らかな花を咲かせる、蓮華の姿にたとえたものである。
彼は、皆が、今日の決意を忘れることなく、自らの使命に生き抜く限り、生涯、何があろうが、いかなる環境に置かれようが、必ず幸福の花を咲かせるにちがいないと、確信することができた。

*************************

学会精神とは―――人びとの幸福のため、世界の平和のために戦い抜く、慈悲の心である。何ものをも恐れず、苦難にも敢然と一人立つ、挑戦の心である。断じて邪悪を許さぬ、正義の心である。

*************************

“陰の力”としての役割を担ったメンバーが、どれほど使命を感じ、誇らかに、生き生きと、作業に励んでいるかに、実は、その催しの意義の深さと、その団体の真価が現れるといえよう。

*************************



ベトナム戦争において、

*************************

「三諦」を生命論の立場から述べると、「空諦」とは、目に見えない性分であり、主に心、または精神作用にあたる。心や精神は「空」であって、有でもなければ無でもない。冥伏して、縁に触れて現れる不可思議な実在である。たとえば、人間の怒りにせよ、何かを契機にして、込み上げてくるが、やがてその感情は去ってしまう。
また、「仮諦」とは、主に物や肉体、姿、形、その活動の面をいう。それは種々の条件の組み合わせにより、仮に成立し存在している。ゆえに、花もいつかは散っていくのである。
さらに、「中諦」すなわち「中道」とは、生命の本質、本体、または生命の全体をいう。
生命は、心という「空」の面と、肉体という「仮」の面を兼ねそなえながら、どちらにも偏らずに存在しており、それらを貫く、生命の本源、本質が「中」なのである。怒りを例にとれば、人は怒っていない時でも、怒りは心のなかに冥伏しており、怒りの生命そのものがなくなってしまったわけではない。あるいは、草木の場合でも、咲いていた花は枯れても、その草木自体の実体に変わりはない。

*************************

「諸君の力によって、地球民族主義の旗を高らかに掲げて、やがて国境のない世界連邦を築いていただきたい!」

*************************

戦争は仏法で説く、「魔」の働きによるものであることを、強く実感するようになった。
「魔」は「殺者」「能脱命者」「破壊」などと訳され、煩悩など、衆生の心を悩乱させ、生命を奪い、智慧を破壊する働きである。
そして、この「魔」の頂点に立つのが、「第六天の魔王」である。それは「他化自在天」といわれ、他者を隷属させ、自在に操ろうとする欲望を、その本質としている。だが、「第六天の魔王」といっても、人間に潜む生命の働きなのである。この魔性の生命が人間の心を支配する時、人間は殺者や破壊者の働きをなし、戦争を引き起こしていくのである。
では、何をもって、この「第六天の魔王」を打ち破ることができるのか。
それは、ただ一つ、「仏」の生命のみであることを、仏法は教えているのだ。

*************************

2016年5月24日火曜日

中国文明史余話 ~戦国の趙編~

戦国も末期に入るころに恵文王という名君が現れ、趙は遅い黄金期を迎えた。三人は共にその王によって大抜擢され執政まで登った人たちである。


・藺相如(リンショウジョ)
・廉頗(レンパ)
・趙奢(チョウシャ)


藺相如が宦官長の家人で、趙奢が地方の税務役人であったことを考えれば、恵文王がどれだけ身分に頓着せず広くから人材を求めていたかが伺えます。その中で、キラ星の如く登場した三人も本当に気持ちの良い人たちです。

既に秦による天下統一の動きが活発化する中で、超大国秦を恐れず、勇気で超の国威を守り抜いたのはすごいです。


この三人、いずれも胆力と勇気を共通語にしたいです。

それを支えていたのは、その能力を見抜き任せることのできた、まぎれもない恵文王の力(忍耐力)です。以下、著者の恵文王を褒める言葉から、三人を大抜擢した名君を偲びたい。

*************************

恵文王の忍耐力は非凡であり、自身の決断を後悔しない精神のありかたはみごとであるというしかない。

*************************

人を敦尚するという恵文王の思想が血のかよった政治を実現し、王朝の風通しをよくしたといえるであろう。

*************************

恵文王は怒りたいときに怒らず、泣きたいときに泣かず、自制心と忍耐力にすぐれていた。

*************************




「菜根譚」の条文にはこれを引用します。


第125条
  欲心の本体を認識(悪魔を照らす玉)そして忍耐力(悪魔を斬る剣)が必要。

「新・人間革命」11巻 開根の章

ブラジルからペルーへ。南米解放の英雄サン・マルティンの生涯に思いを馳せる。同行幹部が手分けをして、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアそしてドミニカなど各国を訪問し、本格的な開墾が始まったのである。各国で草創期のメンバーの苦闘の様子が綴られる。



信心について、

***************************

人がどうあれ、自分が広宣流布のために苦労し、働いた分は、すべて自分の功徳となり、福運となっていくのが仏法です。人の目はごまかすことができても、峻厳な仏法の因果の理法は、絶対にごまかせない。
信心とは、妙法を信ずる一念であり、この因果の理法を信じ、生命のうえで実感し、生活のうえでわかることができるかどうかです。そして、広宣流布のために、生き抜いていく行動です。

***************************

第一に、お題目です。

(中略)

だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。

第二の要諦は教学です。

(中略)

一つの御文を、身で拝して、自分のものにすることができれば、自然に、ほかの御書もわかっていきます。すべてに通じていくんです。

第三の要諦としては、私は、信心の持続ということをあげておきたい。

***************************


組織について、

***************************

組織の活動の焦点は、ある時は布教であったり、ある時は教学であったり、絶えず変化していきます。それにつれて、大事だから始めたことであっても、ついつい忘れられてしまうことがある。だから、何があっても、そのことを考えて、責任をもつ人が必要なんです。すべて中心者が一人でやっていると、活動が多面的になればなるほど、行き詰まってしまうものです。

***************************


敵について、

***************************

人間は、自分を基準にものを考える。だから、自己の野心、野望のために生きている人間は、「無私」の人の存在を認めることができないのだ。そして、「無私」の人に対して、「無私」ゆえに、人びとの称賛と尊敬が集まると、我欲に生きる者たちは、強い反発と嫉妬をいだき、排撃の集中砲火を浴びせるのである。

***************************



使命について、

***************************

使命の自覚は、果敢なる行動となって、発芽していくものである。

***************************



自分に今できること、それを広布の行動ととらえ、持続していくしかない。

2016年5月23日月曜日

失意の時こそ

今日を読み解く。



本日、読み返した新・人間革命11巻・暁光の章にて、

「勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。」



また、戦国名臣列伝・屈原の章にて、

最盛期に衰亡の端緒がある、とは、まさにこれである。その戦いを境に、楚の命運は坂道をころがり落ちていく。」



最後に「菜根譚」にて、

第58条
  苦心のときに真の楽しみを見い出す趣を得
  得意のときに失意の悲しみが萌している。



これが私に与えられたメッセージとうけとめ、この失意の時を悠々祈り越えよう


中国文明史余話 ~戦国の楚編~

ここであげられているのは1人で、あの呉起が楚で志半ばで亡くなってからの楚である。よって旧習に戻り、退行の気配のある楚である。

・屈原

彼は、外交上の手腕者であるが、文学史上の巨星とみられる方が多い。なにせ、秦による天下統一に向けた亡国の悲哀も彼一人の詩に収まる程の代表者であるからだ。



******************************

その切々と哀訴するような詩文の気息は、司馬遷の文章に影響をあたえたとおもわれる。

******************************



外交上は、あの合従連衡の、連衡を唱える代表者、秦の張儀(楚で一度拷問にあい、恨んでいた)に負けたとも言えるでしょう。そのおかげ?で文学史上に永遠に残る哀しみに満ちた亡国の詩(楚辞)が完成したのです。

******************************

清潔な身に汚れた物を衣せられてはたまらぬ。それならば、川のながれにはいって、魚の腹中に葬られたほうがましである。皓々たる白が、世俗のきたない黒をこうむってよいものであろうか

******************************




屈原は我万物と一体なりとは感じれなかった。我独り行くの人であった。




「菜根譚」のこの条文を送ります。

第76条
  腐った土には草木が良く繁茂し、
  澄みすぎた水に魚はいない。
  君子は、雅量を持つべきで、
  潔白一点張りで我独り行くは狭量である。


「新・人間革命」11巻 暁光の章

1966年、3月10日、発熱をおしたまま伸一はブラジルへの飛行機の機中にあった。5年前と同じように。目的は、会員八千世帯を超える大発展をとげたブラジルの大文化祭に参加するため。しかし、待ち受けていたのは、日本で公明党を結成した宗教団体が海外にも政治結社を作るのではないかという偏見等に満ちた厳しい監視の目であった。地道な誤解を解く戦いは実に18年後に再訪を果たすまで続いたのであった。



****************************

御本仏の御遺命であり、世界の「平和」と民衆の「幸福」を実現する広宣流布の道が、平坦であるはずがない。常に逆境であった。常に死闘であった。常に不可能と言われ、嘲笑を浴びせられてきた。だが、そのなかで、岩に爪を立てる思いで、険しき山を越え、嵐のなかを駆け抜け、栄光の勝利の旗を打ち立ててきたのが、創価学会の尊き歴史である。

****************************

飛行機にしても、上昇する時には、抵抗も大きく揺れも激しい。だからといって、臆病になって、途中で引き返してしまえば、目的地に行くことはできません。しかし、上昇し続けていれば、やがて、安定飛行に入り、大空を悠々と進むことができる。

****************************

学会の指導とは何か。
それは要約していえば、“御本尊に題目を唱え抜いて、自分自身を磨き高め、必ず幸福者になろう。そして、社会に貢献しよう”ということであります。

****************************

皆様が幸福になるための信心です。私は、創価学会員には、『自分は最高に幸福者である』と言い切れる『幸福の証明者』にならねばならない責任があると思いますが、いかがでしょうか!

****************************

牧口先生は『認識せずして評価するな』と言われたが、知らないということが、間違った評価を下す原因なんだね。相手のことがよくわからないと、デマなど、根拠のない話に飛びつき、憶測で評価し、全く見当違いな不安や恐れをいだいてしまうことになる。そして、その不安や恐怖心が、時には、非常に攻撃的な対処の仕方となって現れてくる

****************************

勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。

****************************

御書には、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せである。仏法は、自分の一念のなかに、大宇宙のすべての法が収まっていることを教えている。そうであるからこそ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にするのだ。
ゆえに、いっさいの結果をもたらす原因は、自己自身にあるととらえていくのが、一次元から見れば、仏法者の生き方といえる。

****************************



喘ぎを平静に伏させるために、最高の幸福者の証明者となるために、今日もまた題目を唱え抜こう

中国文明史余話 ~戦国の魏編~

魏は超大国・晋が三分割されてできた当時としては新しい国。

ここで紹介されている1人は、かなり有名で


・呉起(呉子)


です。兵法書を書いているので兵略家として最も有名ですが、司法や行政にも優れ、法治国家をめざした改革者でもありました。その名から呉のイメージがどうしても出てきますが、呉は呉起が生れる30年前くらいに滅んでいます。衛で生まれ、魯で学び、魏に仕え、やがて亡命して楚に仕えました。

魏に仕えた時に、もっとも兵略の能力を発揮し、魏が戦国前期に昇天の勢いであったのも、彼の力による東部拡大(秦を攻める)があったと思われます。



ただし、彼の性格には問題があったと思われ、以下のエピソードが残っています。

************************

呉起は自分をそしった者を三十余人殺して、衛を出奔しようとしました。

************************

呉起の妻は斉の者であるから、呉起を斉軍と戦わせるのはどうか、と難色をしめしはじめたので、呉起は妻を殺して将軍になることを求めたという

************************


誇張された表現だとは思いますが、人となりが伺えるエピソードで、末期は、当主の後ろ盾が亡くなり、自分の改革によって土地を奪われた公族らに襲われ、当主の亡骸と一緒に弓矢で貫かれ果てたという、これまた壮絶なエピソードを残しています。亡くなる寸前まで仕返し(弓矢をいた者は当主を傷つけた罰で死刑となった)を考えたのだと、他の本では書かれていたのを思い出しました。



「菜根譚」で彼にふさわしい条文をさがしてみました。酷薄さが彼の禍を招いたと思われます。


第72条
  天地は気候が暖かであれば草木も生え、
  寒くなると枯れる。
  気性も冷酷だと天からの授かりも少なく、
  和やかで温情だと福徳も厚い。




最後に、彼は冷酷一方ではなく効果としての温かみは備えていたことを付け加えます。

*****************************

士卒のなかで最低の身分の者と衣食をおなじにし、卒と労苦をわけあった。兵卒のなかに疽(悪性のできもの)をわずらっている者がいれば、呉起は膿を吸ってやった。

*****************************



ポイントは心からということでしょうか。

2016年5月22日日曜日

「新・人間革命」10巻 桂冠の章

ヨーロッパから帰ると直ちに創価大学設立へむけた手を打っていく。構想を着実に現実のものに。記念撮影会を中心にして各地のメンバーの激励に全力を注ぐ。1966年1月にはハワイへ。2月には壮年部の結成を語り、3月には結成式を見たのだった。広布への布陣が構想から現実へ整っていく。



病気について、

****************************

次の撮影までの間、伸一は、そのメンバーを懸命に励まし、病気の原因から語り始めた。
『大聖人は、病の原因について、天台大師の『摩訶止観』を引かれて、こう述べられています。『一には四大順ならざる故に病む・二には飲食節ならざる故に病む・三には座禅調わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む』

****************************



試練について、

****************************

「人生というのは、試練との闘争といえる。幾つもの苦難の峰を越えてこそ、真の幸福がつかめるんです。ゆえに、苦労こそが、人生の財産です。自身を磨き上げる研磨剤です。だから、青春時代に、どんな困難に出合おうが、決して負けないで、堂々と進み勝ってください」

****************************

逆境が人を不幸にするのではない。苦難が人を不幸にするのでもない。
自身に破れて、荒み、歪んだ心が、人を羨み憎む貧しき心が、人間を不幸にするのだ。

****************************



信心について、

****************************

花が美しく咲いているのは、大地に根を張って、養分を吸い上げ続けているからです。人間にも、成長のための養分が必要です
それが、生き方の根幹となる哲学であり、信心です。
表面的な華やかさや、刹那的な喜びに目を奪われて、自身を向上させることを忘れ、根無し草のような生き方になってしまえば、自分を輝かせていくことも、本当の幸福をつかむこともできません。

****************************



壮年部について、

****************************

学会は、各部が強調し合いながら進んでいくのは当然ですが、一家においても父親が柱であるように、最高責任者は壮年です。各支部にあっては支部長であり、各地区にあっては地区部長です。
したがって壮年部は、壮年の育成に責任をもつのは当然ですが、各部のなかの一つの部であると考えるのではなく、各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を守っていただきたいのであります。

****************************

壮年部には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
大聖人は『かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい―――と、大聖人は言われている。
それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。

****************************



壮年部に上がろうとする今、10巻の最後を手を取り今一度読みなおす必要がある。また、今後も惰性に呑みこまれそうになるとき、10巻の最後を読み直して行こう。

「新・人間革命」10巻 新航路の章

やがては日顕の魔性の手により壊されることになる正本堂建立の供養の受付が行われた。伸一は、再びヨーロッパの激励行へ。訪問国はフランス、西ドイツ、イタリア、ポルトガルであり、ポルトガルでは大航海時代に思いを馳せる。


勇気について、

****************************

仏法の世界は、すべて多数決というわけにはいきません。
初代会長の牧口先生は、宗門が軍部政府を恐れて、学会も神札を祭ってはどうかと言いだした時、敢然とそれを拒否しました。
宗門では、首脳たちが集まって協議し、神札を祭ることに決めたのでしょう。
しかし、たとえ、みんなで決めたことでも、大聖人の教え、精神に反するものであれば、それに従ってはならないというのが、仏法の考え方です。中心となり、基準となるのは、どこまでも“法”だからです。

****************************

広宣流布の新航路を決めた、信念の勇者には、労苦の波浪は、決して障害とはならない。むしろ、波浪が高ければ高いほど、闘魂を燃え上がらせるものだ。

****************************


「時は来ている。時は今だ。さあ、出発しよう!平和の新航路を開く、広宣流布の大航海に!」

真っ赤な夕日が、微笑んでいるように、伸一には思えた。

中国文明史余話 ~戦国の越編~

越は現在の浙江省辺りに起こった百越の起こした国。この本では、夏王少康の庶子を始祖とする伝説を採用。

越で挙げられている人は

・范蠡

で、かなり有名です。過去から積み上げてきたこの人のイメージをいうと、


淡泊で引際の絶妙な、世間的には最高に成功した人


です。内心はしるべくもないので、この時代に最も成功した人とのイメージが強いです。



呉と越の戦いは国語の漢文の教科書にもなるくらい有名ですので、改めて紹介しません。「臥薪嘗胆」といえばお分かりかと思います。この嘗胆の越王勾践を軍事的に補佐したのが范蠡です。よく時を見極め、呉王夫差への復讐を成し遂げ、呉を滅ぼしました。

ここからは、著者の言葉を借りて范蠡の意中を探ってみたいと思います。

***************************

范蠡はこれまでの呉越の戦いをみてきて、内実が復讐に終始しており、果てしがないことを実感した。いま勾践が出師すれば、かならず勝てるであろうが、ふたたび夫差に怨みを植えつけ、数年後には復讐される。范蠡はそういう戦争を終わらせる戦いがしたいのであり、そのためには天意をうかがい、天意に従う必要がある。

***************************

越王という人は、患難をともにすることはできますが、楽しみをともにすることはできません

***************************



このように、時を見極め、非常に富貴に対して淡泊であり続け、財をなげうっては財をなして、天寿を全うしました。稀に見る成功者です。



「菜根譚」の以下二つの条文が彼にぴったりです。根底は「淡泊」たれ
82条に至っては現在の私のマイテーマでもあります。

第141条
  過失は一緒に責任をとり、手柄は自分ではないよう振舞え
  苦労は共にし、快楽は共にしないように




第82条
  竹林に風が吹いて騒がしいが、風がなくなると音がない
  雁が岸辺を飛んでいくが、雁去れば影がない
  事柄が起きたらそれに即応し、事が去ればサラリとする


2016年5月21日土曜日

中国文明史余話 ~戦国名臣列伝~

余話といいながら脱線甚だしく、春秋時代の内容が名前の由来や君主の系統に終始したため、ちょっと中だるみになりました。戦国時代はもっとエピソードが増えていることを願ってます!

いよいよ戦国時代に突入です。春秋時代との境はちょうど超大国の晋が韓・魏・趙へ三分割された時期にほぼあたります。そして、併呑合戦も進み、後半は戦国七雄(秦・韓・魏・趙・燕・斉・楚)に絞られます。滅亡順に読んでいこうと思うので、B.C.で明記すると、

呉:473年
蔡:447年
鄭:375年
越:333年
宋:286年
周:256年
衛:254年
魯:249年
韓:230年
魏:225年
楚:223年
趙:222年
燕:222年
斉:221年(秦の天下統一)
秦:206年

この中で、選抜されているのは

越(1人)・魏(1人)・楚(1人)・趙(3人)・燕(2人)・斉(2人)・秦(6人)

の16人です。秦が多いのは天下統一したわけだから仕方ないです。


ざっくりと著者による時代背景が書かれています。

****************************

戦国時代を前・中・後とわければ、前期は魏の全盛であり、魏王は天子きどりであった。中期は斉と秦の二大王朝並立期といってよく、合従連衡のための権謀術数がさかんにおこなわれた。後期は秦のかぎりない拡大があり、各国の滅亡にともなう悲哀の色に満ちている。

****************************

周に替わって王を唱え出した(それまでは王は周一人、その他は公・侯・伯・子・男のように上下が厳しかった)のがB.C.334年の魏と斉からですので、魏と斉がこのことからもかなり傲慢になっていたことが伺えますね。こう見ると秦はしたたかに天下統一を横取りしたのがわかります。戦国時代は王国の並び立つ時代とも言えそうです。

さあ、結果は秦の勝利とわかっていても、それを動かす人それぞれに勝敗はあります。そこを見ていきたいですね。



中国文明史余話 ~春秋の秦編~

秦は現在の陝西省を中心にした大国で、後に天下統一を果たした国。

ここであげられる1人は

・百里奚(五羖大夫)

で秦で覇者の一人とされる繆公を助けた名宰相である。名君、繆公の大抜擢があっての人でもあります。斉の管仲とどこか似ていますね。

名前や出身の説明に終始しているため、この方が亡くなった時の民の様子によって、人となりを知るしかありません。

***************************

五羖大夫が亡くなったときは、秦国の男女は、涙をながさぬ者はなく、童子は歌謡せず、臼をつく者は杵のかけ声をやめた。これこそ五羖大夫の徳というものであった。

***************************

春秋期の秦は野蛮なイメージがありますが、この頃には徳のかなりいきわたった政治が行われていたものと思われ、これを基礎に、のちにいち早く法治国家となってから、天下統一へと突き進むのです。

中国文明史余話 ~春秋の斉編~

斉は現在の山東省を中心にした大国。太公望を始祖とする由緒ある国。

史記の列伝の第二に併記される程の名宰相二人が上げられている。

・管夷吾(管仲)
・晏嬰(晏子)

この二人、エピソードが豊富で言わずもがなである。管仲の方は「管鮑の交わり」との故事にもなっている親友・鮑叔がいて初めて引き立つので鮑叔も大切である。

管仲と鮑叔は若き日は親友であり、その後二人とも斉に仕え、別々の公子についた。太子争いでは、鮑叔が勝つのであるが、この時、管仲もあわやのところまで後の桓公を追い詰めたのである。鮑叔はこの時、管仲でなければ覇は唱えられないと助命を要請し、自らは身を退いたのもすごいし、殺されかけた桓公が、管仲を許し、宰相としたのもすごい。三人が三人とも良いところを出し合って、この時代に斉は覇者となるのである。

晏嬰はもう少し後の時代の人で、孔子と同時代であり、儒教の考えとは反対にあった人のようです。すなわち、礼よりも民を重んじたと。孔子の学問がよく、支配者階級に利用されるのは上下を厳しくしたからで、晏子はその弊害を見破っていたのかもしれません。



この二人、大国にあって驕らず、民を重んじた点で一致しています。国を支えるのは民だと。
ただし、子産のように、民を賢くするという思想にまでは至っていなかったと思いますが。



斉はこの流れでいけば天下をとれたのではと思いますが、如何せん、晏嬰の子の時代に、田氏に君主の座を簒奪されてから芳しくなくなったようです。晏嬰は予見していたといいます。すごい二人です。

「新・人間革命」10巻 幸風の章

伸一のアメリカ行きが決まっていた矢先に、ロスで人種差別の抗議から暴動が発生。幹部からは見送るべきとの声があったが、今こそ激励するときとの思いで断行。ロス郊外での野外文化祭に出席し、全力で同志を激励した。アメリカの次は、戸田先生が生前とりわけ関心をもち、夢にまで見たメキシコへ。戸田先生の夢をまた一つ実現へ。



***************************

日蓮大聖人は、『御義口伝』のなかで、『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり』と仰せになっております。
私どもが正法を流布していく姿は、まさに、いっさいの不幸の塵埃を払う、大風であります。

***************************

伸一は、人間が人間を見下し、差別するという、魔性の心を打ち砕かんと、真剣な祈りを捧げた。

***************************

人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。

***************************

そんな自分の栄誉栄達よりも、はるかに大きく重要な、人間としての使命があることを、彼は自覚しつつあった。

***************************

“広宣流布”に一念を定めた人は強い。人生の勝利も、成功も、知恵も、活力も、その一念のなかに収まっているからだ。

***************************

特に、大きな悩みに直面している方は、五十万遍、百万遍、二百万遍と、真剣に、着実に、祈り抜いていくことです。
宇宙の根本法の御当体たる、最高の御本尊様です。なんで悩みが解決しないことがありましょうか。人生には、悩みはあります。しかし、それに負けているのは、自分の弱さに原因があるんです。

***************************


つい、悩みが長期間にわたると惰性、疲労がでてくるものですが、今一度、負けないことが幸福と定めて祈りきっていきたい。師匠と心を合わせて広宣流布を使命としていきたい。


「新・人間革命」10巻 言論城の章

1965年元旦、沖縄で執筆を開始された「人間革命」の連載がスタート。聖教新聞も日刊化へ向けて準備が進む。伸一の激励もあり、晴れて7月15日付で日刊化が実現したのだった。海外にも機関紙の発刊が進む。

人間革命―――そこに、いっさいの原点がある。

根本をなしているのは、人間であり、自己自身であるからだ。

自分自身の生命の変革が、家族を変え、地域を変え、社会を変える。時代を変え、歴史を変え、世界を変える。



特に指導者論について、


****************************

指導とは、この“わだかまり”を取り除き、勇気を与えることである。希望を与えることである。

****************************

戸田先生は、『一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな』と詠まれましたが、私どもは、人間を脅かす魔性の生命への追撃の手を、断固、ゆるめることなく、果敢に広宣流布に生き抜いていこうではありませんか!

****************************

指導者には、力と知恵と責任がなければならない。どんなつらいことがあっても、それを乗り越え、頑張り抜く、責任感のある人物が、大指導者に育っていくというのが永遠不変の法則です。
また、後輩に対しても、自分以上の力をつけさせていける、雅量のあるリーダーでなければならない。それには、まず率先垂範だ。その姿、行動が、真実の触発をもたらしていくことは間違いない。ただ命令したり文句を言うだけの、権威主義の人物の下では、人は決して育たない。

****************************

学会精神とは、浅きを去って深きに就く、一人立つ「丈夫の心」である。
殉難を恐れぬ、「死身弘法」の決意である。
間断なき「未曾暫廃」の持続の闘争である。
情熱と勇気の、「勇猛精進」の実践である。
いかなる難も、莞爾として耐え忍ぶ、「忍辱大力」である。
大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く、「如説修行」の行動である。
邪悪を許さぬ、「破邪顕正」の精神である。
正しき信心の血脈に結ばれた、「師弟不二」の道である。
堅固なる「異体同心」の団結である。
一人ひとりを仏を敬うがごとく大切にする、「当如敬仏」の心である。
この学会精神を伝えるには、どうすればよいのか――答えは明らかである。自らが行動することだ。精神の継承は、振る舞いのなかにのみある

****************************


雅量のところでも紹介した部分ですね。

率先垂範とは、中々勇気がいることです。その勇気こそが魔性の生命を破るものであるからには、常に臆病の心との戦い、すなわち勇気こそ率先垂範です。


2016年5月20日金曜日

中国文明史余話 ~春秋の衛編~

衛は現在の河南省の一部を治めていた小国。戦国七雄以外の国で、秦に統一される直前まで残った長命な国。

ここであげられているのは二人

・石碏
・遽瑗(遽伯玉)


石碏は先君の意志をよく守って、いざというときに我が子をも殺した忠義の人。

大義、親を滅す

と後々まで讃えられた。



遽伯玉は孔子の友で孔子からも讃えられた人。

常に反省を忘れない有徳の大夫であった。




衛で一番印象に残ったのはこの二人というより、むしろ、この二人にも流れている名君、武公の精神。今でも切磋琢磨という言葉が残っているくらい有名です。


匪たる君子あり

切るが如く磋るが如く

琢つが如く磨くが如し



と臣民の方から詩をつくられるくらい慕われたそうです。

驚異的な努力で才徳を高めつづけて君主の理想像とされる人物。こんな君主がいたのですね。実に衛が最後まで国を存続しえたのもこの精神がどこかしらに脈打っていたのではないでしょうか。

中国文明史余話 ~春秋の楚編~

楚は現在の湖北省、湖南省の広い地域にまたがる大国。

ここであげられた二人は魯の?と違って確かに逸材です。

・屈巫(巫臣)
・蔿艾猟(孫叔敖)


が、とにかく家系の説明が長く、本人が活躍する話はわずかという事が多い。

屈巫は楚の荘王という覇者を補佐したほどの人物であるからすごいのだけれど、自分が一目ぼれした女性の取り合い合戦が主テーマとなっては太鼓判を押せません。荘王の死後は晋の臣下になりますし。その名の通り、巫術に優れていたようですので記憶には残るかもしれません。女性の取り合い合戦の末に一族を殺されて、それを恨むのもどうかと思いますが。


蔿艾猟は陰徳を積むことのできる人だったということは言えそうです。そして、長期的な視野を持ち、一族を栄えさせたのだから中々の人物だったのでしょう。
「陰徳有る者は、必ず陽報有り」とはの時代に成立した「淮南子(エナンシ)」という書物の文章から来ていることをしって少し得した気分にさせてもらいました。仏教用語とのみ思っていたのですが。

中国文明史余話 ~春秋の魯編~

魯は現在の山東省南部にあった晋・楚・斉の強大国に挟まれた小国。孔子がでたことで有名な国なのであるが、孔子は有名すぎて?あげられていない。

ここであげられたのは同じ家系の二人

・臧孫達(臧哀伯)
・臧孫辰(臧文仲)

臧孫辰は臧孫達の孫で、この二人、とりわけエピソードがないが、君主の政変が起こっても執政の地位にあり続けたということで掲載されたようだ。したたか者ということではないのか。

「歴史は臧孫達に対して寡黙である」とまで言わせた人を選んだ理由は、それだけ人物がいなかったのだろう。

臧文仲は孔子等からもバッシングを受ける人物であったようだ。なぜなら、賢人を登用しなかったからということで、先に上げた他国の人とは逆の人となりである。

よって、魯には残念ながら孔子以外にこれといった人がでなかったと考える。



「新・人間革命」9巻 衆望の章

日本では、東京オリンピックという華々しい出来事の陰で、民衆をないがしろにする貧困な政治が続いているという実態があった。そんな中、「大衆のなかに入り、大衆とともに語り、ともに戦い、大衆のために働き、大衆のなかで死んでいく」という覚悟の議員を衆議院にも送り出す必要を痛感。1964年11月17日、公明党が結成されることとなった。
12月、沖縄指導へ。太平洋戦争の悲惨な地上戦の舞台となったこの地から、平和の大波を起こさんとの誓いをこめ、「人間革命」の執筆に入る。


**************************

どうすれば、同志の団結が図れるのか。
根本は祈りです。題目を唱え抜いていくことです。いやだな、苦手だなと思う人がいたら、その人のことを、真剣に祈っていくんです。
いがみ合ったり、争い合うということは、互いの境涯が低いからです。相手の幸福を祈っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。

**************************

広宣流布というのは、総体革命ともいえる。仏法の慈悲の思想を、生命の尊厳の哲理を、社会のあらゆる分野で実現していく作業であり、政治の分野の改革のために、私は公明党をつくった。

**************************


嫌いな人のことを祈れる境涯。中々難しいですが、その人も自分の一部分と思えば、可能ではないでしょうか。すべてはつながっていて連関のもとで現実が作られている。嫌いな人も自分の嫌いな部分を顕現している人だと。


先生の人間革命の始めの執筆のところは、フロー状態に先生が入る部分が書かれていて非常に参考になります。頭の中で温めていたことと、実際に書いてみて留まるところと、それが感情とともに一つにつながった時のペンの速さ。こうして、先生は読むのも大変な膨大な活字量を、一つ一つ着実に綴って下さったんだと感無量です。

「新・人間革命」9巻 光彩の章

青年の先駆の中、伸一は学生部総会の席上で「創価大学」の設立構想を発表。10月2日からは、東南アジア、中東、ヨーロッパ訪問の旅に出発。東欧では、社会主義体制の矛盾について言及。



***************************

一年目は、何があっても『そうですか、そうですか』と、みんなの言うことを聞くことです。そして、二年目には、『仏法の生き方では、こうです』『日本では、このようにやっていますよ』とだけ話しなさい。三年目になったら、今までの香港のやり方と、日本のやり方と、どちらがよいか、決めてもらうんです。

***************************

『一家和楽の信心』であれば、家族が共通の根本目的をもつことができる。それによって、団結することができる。だから、一家が栄えていくんです。
広宣流布には、横と縦の二つの広がりが必要になります。友人から、また友人へ、仏法への理解の輪を広げていくのが横の広がりです。そして、縦の広がりというのは、親から子へ、子から孫へと、信心を伝え抜いていくことです。
どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。

***************************

人間は、ともすれば自分に負けてしまう。一時期は頑張っても、周りの人に信心を反対されると、すぐに臆病になってしまう。あるいは、病気になったり、少し生活が行き詰まったりすると、意気地なしになり、不信の心をもってしまう。また、ちょっとした、学会員との人間関係のもつれや怨嫉から、信心をやめたり、仏の和合僧というべき学会の組織から離れていってしまう。
そうならぬためには、自分の感情を中心にするのではなく、あくまでも、仏法の教えを、御書を根本にして生きていくことです。

***************************

悩みがあるからこそ、真剣に、広布の活動に励めたといえる。学会のリーダーとして、最も重要なことは、悩みに負けないということだ。これが一番の条件だ

***************************

私たちが今なそうとしていることは、人間革命を機軸とした総体革命だ。わが内なる悪と戦い、すべての根源である人間の内面を、生命を変革していく人間革命だ。
そして、政治や経済に限らず、教育、科学、文化、芸術など、人間のもたらすいっさいの所産を、人間の幸福のためのものとしていく作業である。

***************************

何ごとにつけても、その感謝の心は大切だね。感謝があり、ありがたいなと思えれば、歓喜がわいてくる。歓喜があれば、勇気も出てくる。人に報いよう、頑張ろうという気持ちにもなる。感謝がある人は幸せであるというのが、多くの人びとを見てきた、私の結論でもあるんです。

***************************



―――かくも美しく、オーロラは輝く。宇宙は、こんなにも輝きに満ちている。小宇宙である人間もまた、本来、まばゆい光に満ちているはずである。その人間の光彩をめざして、人間のなかへ、生命のなかへ、私は励ましの旅を、断固として続けよう。
人類の闇を開くために、輝ける人間の勝利の時代を開くために―――。

2016年5月19日木曜日

中国文明史余話 ~春秋の宋編~

宋は現在の河南省にあった殷の末裔の国。晋の重耳に恩を施したことから、晋と楚という強大国の狭間で、常に晋側に立って楚と争った。最終的には斉に滅ぼされた。

ここであげられたのは一人だけ

・楽喜(子罕)

あざなをシカンと呼びますが、これが中々さっぱりとした好男子。春秋時代の傑物同志はある程度交流があると見え、先に絶賛した晋の子産、子皮、斉の晏子、魯の孔子等と同時代の人で、うわさは互いに通じ合っていたのではと思います。それがまた身の処し方にも表れたのではと。



エピソードをそのまま紹介した方が人となりを感じやすいかと思います。

*************************

宋人が美しい玉(礼器に使われる格式高い石のこと)を手に入れたので、尊敬する子罕に献上にきた。ところが子罕は、
「要らない」
と、ことわった。心外におもったその人は、
「これを玉人(玉みがき)にみせたところ、宝であるといいました。本物であるので、献上にきたのです」
と、いった。偽物ではない、と訴えたのである。子罕は眼前にすわっている者に不純な心をみなかったので、さとすようにいった。
「わたしは貪らないことを宝としている。あなたは玉を宝としている。すると、わたしが玉をうけとると、両方が宝を喪うことになる。それぞれに宝があったほうがよい」

*************************

なんと痛快なエピソードでしょうか。子罕はただの潔癖ではなく、実力十分な人間でした。富貴の中にあって貪らないのは並々の人ではありません。

「菜根譚」のこの条文を送ります。

世ヲ済ヒ邦ヲ経ムルニ、段ノ雲水的趣味ヲ要ス、若シ一タビ貪著有ラバ、便チ危機ニ堕チン

この辺のことをよく、同時代の諸子の行いやそれ以前の道徳書で学んでいたのでしょうね。子罕もまた長編小説があったら読んでみたい一人です。

追記>
「菜根譚」78条に古人は貪らないことを宝としたと。この逸話をさしていたりして。

故二古人ハ貪ラザルヲ以テ宝ト為シ、一世ヲ度越スル所以ナリ

中国文明史余話 ~春秋の鄭編~

鄭は現在の河南省に位置した小国。春秋時代は荘公という名君を得、覇を唱える程の強国であったが、次第に晋と楚という強大国に挟まれ弱体化していった。

ここであげられる2名はともに名君を支えた名宰相である。

・祭足(祭仲)
・国僑(子産)

宮城谷昌光氏長編の方が面白いかもしれません。知識が膨大すぎて短編だと説明で終わってしまうのです。祭足についても祭の字の由来から入り、祭足を重用した荘公のエピソードが目立ちすぎて、中々人物像が結ばれてきません。この時代の人たちは、他の人のエピソードで引き立てられることが多いこともあるでしょう。

荘公は逆子で生まれたことから生母から嫌われ続けます。弟が溺愛されるのですが、それによる弟の僭越も目をつぶり続け、とうとう戦争を起こした時に、生母もまた加担していたのでした。母親を幽閉した後も自分から会いたいとついに二人は仲直りを果たしたというエピソードは感動的です。祭足は生母や弟の行状を諫言できた賢臣であったことは確かですが、戦争を回避できたわけではありません。後のエピソードはしたたか者の匂いがします。

「不義をかさねれば、かならず自滅する」


の荘公の言葉こそ「菜根譚」の次の条文にも合致するものです。


敧器(キキ)ハ満ヲ以テ覆ヘリ


敧器は金属製の容器で、物を一杯入れるとひっくり返るようにできているため「満つれば欠ける」といって訓戒の例とされます。




子産は・・・ でましたまさに民衆の見方である賢人が。でも、これも彼を採用した子皮とその君主、簡公をほめることによって薄れています。子産はいつかきっと長編小説で読みたいですね。中国史上最初に国民へ法律を示した人でもあるそうです。それまでは、従うのみだった国民を賢くしたのは間違いなく子産のおかげでしょう。

簡公が名君なのは、父殺しに連座して殺されるはずだった子産を恨まなかったこと、子皮は彼を抜擢したことです。孔子からは、

「賢人を進める人がほんとうの賢人である」と讃えられました。

まさに活躍の機会を与える人こそ、人物が大きいともいえそうです。影の戦いに徹する。素晴らしい人材が鄭にはいたのですね。小国だったのが残念。


「新・人間革命」9巻 鳳雛の章

山本伸一が「本門の時代」の出発にさいし、国内で初めに着手したこと。それは、高等部、中等部、少年部という未来の人材の泉を掘ることであった。これにより、二十一世紀へ創価後継の大河の流れが一段と開かれたのである。

**************************

広宣流布の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。
広宣流布の活動というものは、権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いであることを、申し上げておきたい。

**************************

一人の人間が、本当に真剣な信心に立ち、生命力強く、英知を輝かせていけば、一家も、一族も、大きくいえば、一国も変えていくことができる。
戦争といっても、本当の要因は人間の心にある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。
また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。
依正不二という考え方に立つならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。

**************************

人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。
すると、信心をもって、団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、この『自己中心』の心との戦いなんです。

**************************

「師子身中の虫の師子を食」の講義では、次のように強調している。
「この御書にも『仏弟子等・必ず仏法を破るべし』と仰せのように、広宣流布を破壊していくのは、外的ではなく、“師子身中の虫”です。
たとえば、最高幹部であった者が、野心から、あるいは嫉妬から、学会を裏切り、造反し、躍起になって攻撃しようとする。それと戦い、学会を守っていくのが諸君です。
また、絶対に、“師子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、“師子身中の虫”をわかしてもならない。
“師子身中の虫”というのは、造反者だけではありません。
仮に、立場は幹部であっても、堕落し、怠惰、無気力になったり、虚栄を張って見栄っぱりになり、すなわち自己中心主義に陥り、一念が広宣流布から離れていくならば、”師子身中の虫”です。そうした幹部がいれば、みんながやる気を失い、学会は蝕まれていく。怖いのは内部です。恐ろしいのも内部です。

**************************

私がこれほどまでに期待しているのに、もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。

**************************

賢人とは、自分で自分をリードしていける人のことです。健康管理は、自分の知恵で行っていくしかない。

**************************


全てを自分の方に向ける。一人が一体どれほどのことができるのか。大河の一滴ではないのか。いや一滴がやがて大河となる。それを先生は教えて下さる。私の一念で国や世界のことまでも包み込んでみせる。そんな祈りでありたい。

「新・人間革命」9巻 新時代の章

戸田先生の七回忌を遺言である会員三百万世帯の達成と、大客殿の建立寄進の実現で迎えた。そして、社会に実証の華を咲かせていく「本門の時代」に入ったことを宣言。向こう七年の活動として、会員六百万世帯の達成と、正本堂の建立寄進を誓う。公明政治連盟も自立へ向けて一歩前進させることに。間髪入れず本門の時代の開幕を告げる海外訪問へ飛び立つ。訪問国はオーストラリア、セイロン、インドと今なすべきことを着実にこなしていくのだった。


***************************

彼は、形式のみに目を奪われるのではなく、戸田の精神に立ち返って、師の言葉にこめられた深甚の意義を見極め、その実現のために全力を傾けてきた。

***************************

創価学会は、どこまでも宗教団体として、宗教活動に、折伏行に邁進し、公政連の支持団体、推薦団体として、その活躍を見守ってまいりたいと思います。
それは、創価学会としての“政教分離”への宣言でもあった。

***************************

すべてに裏があるかのように考え、崇高なものを卑小化してとらえる日本の風土は、精神の貧困さの反映といえまいか。その誤った認識を打ち砕くには、それぞれの分野にあって、着実に実績を積み上げていく以外にない

***************************

何ごとにも平坦な道はない。しかし、苦労があるから強くなれる。苦難がまことの信仰を育む。労苦が魂を鍛える。嵐に向かい、怒涛に向かって進んでいくのが、広宣流布の開拓者だ。

***************************

一人ひとりを、自分以上の人材に育て上げていけばよい。そして、同志を着実に増やしていくことだ。

***************************

仏法は道理であり、罰があったということは、正しい信仰を貫くならば、必ず功徳を受け、幸福を実感できることだと、懇々と指導してくれた。

***************************



海外訪問にて、

***************************

ネルーは、「人のために働いて、働いて眠れぬ夜を何日過ごすかが大切だ」との言葉を残しているが、これこそ、真正の指導者の心であろう。

***************************


今なすべきことを、今なし、今日やるべきことを、完璧に仕上げていく―――この現実の地平の彼方に、山本伸一は、世界平和の旭日を見ていた。

2016年5月18日水曜日

中国文明史余話 ~春秋の晋編~

晋は現在の山西省付近にあった春秋時代に最も強力だった国である。それだけに、分家が本家から主権を奪ったり、戦国時代に入る直前には有力な六氏の間で権力争いがあったりと大変です。

上げられている5人の名は

・士蔿(子輿)
・狐偃(子犯)
・郤缺(郤成子)
・キ奚
・師曠(子野)



いずれも献公が晩年、寵愛する女性の子を後継ぎにしようとしたために起こった争乱期の人たちで、私にしてみれば陰謀家の匂いもしてあまり頭に残らなかったです。

叔向という直言の士がいて初めて後半の二人は光る存在となりえるため、叔向をあげるべきではなかったでしょうか。

狐偃と郤缺はよく耐え忍ぶといった印象でした。誰しも何か裏がありそうで、強大国ならではのかけひきを感じました。有名な重耳という大器晩成の君主を育て上げた狐偃が頭一つ飛び出た存在と思われます。

この時代に忍耐力は並々ならぬものが必要だったでしょう。

「菜根譚」でも忍耐力は魔を斬る利剣といっています。





中国文明史余話 ~春秋の呉編~

呉は現在の蘇州周辺を支配し、6代王の闔閭の時に二人の名臣、

・伍員(伍子胥)
孫武(孫子)

を得て強大国・楚を滅亡寸前まで追い込み覇を唱えた国である。
本に紹介されているもう一人は、闔閭の叔父にあたる

・季札(延陵の季子)

である。

実に呉も他国に劣らず権謀術数が多く、ここでのエピソードも従来は楚に仕えた一族で、父と兄を楚王に殺されたために復讐を誓い、呉に亡命した伍子胥の物語が中心である。孫子の兵法として今なお知られている孫武の方は、名が上げられるわりには伍子胥が推薦した人という程度で物語性は少ない。伍子胥は痛快に復讐を果たすのであるが、既に死んでいた楚王の墓を暴いて屍に鞭を討ったとあるから酷です。

やはり、怨みに対し怨みを以て対処すれば、業を積むらしく、闔閭の子の夫差からは越を滅ぼすための献言も受け入れられず、自殺に追い込まれます。夫差はこの時のことが仇となり、反って越に滅亡させられる君主です。

この三人の中で一番有名とは言えないのが季札ですが、軍配は彼に上がりそうです。名君だった父から、兄弟の順を越えて王になるのを進められた程の知識人ですが、節義を守り固辞し続けて、最終的には甥にあたる闔閭が兄弟から王権奪取したことも認め、長寿を全うしました。この時代に謙譲の心こそ命を保つには必要だったのかもしれません。


「菜根譚」にもこういう条文があります。

径路ノ窄キ処ハ、一歩ヲ留メテ歩ヲ人ニ与ヘテ行カシム。

まさに季札の取った行動です。伍子胥は有名ではありますが、無くなる直前の内心は穏やかではなかったでしょう。かつて紹介した「菜根譚」のこの条文を送りたいです。

第70条
  喜神(喜ぶ心や感謝する心)を養い、福をまねくのみ。
  殺機(人を害そうとする心)を除いて、禍を避けるのみ。





「新・人間革命」8巻 激流の章

1963年11月は悲惨な事故や事件が相次ぐ。世界に目を向ければ、一時は伸一との会談もl予定されていたケネディ大統領が暗殺された。また、侵略戦争を起こした日本の宗教という偏見から、韓国のメンバーに弾圧の嵐が襲う。一つ一つメンバーが自らの姿を通して信頼の実証を勝ち取っていくしかないのであった。


*****************************

正義を叫ぶことは、死と隣り合わせに生きることを意味していよう。だが、その覚悟なくして、真の社会の改革は決してできない。

*****************************

他者を蔑み、貶めることによって、自分を偉く見せようとするのが、心に劣等感をいだく人間の常であるからだ。

*****************************

過去の過ちを忘れることは恥である。そして、過去の過ちを歪曲し、正当化することは、さらに恥ずべき行為である。

*****************************

仏法では「随方毘尼」を説き、仏教の本義に違わないかぎり、その国や民族、地域の文化、精神、習慣などを尊重していくべきことを教えている。

*****************************



そう、狡猾な偽善者は正当化する理由まで先にこしらえているものである。そこをよくよく、見破っていかなくてはならない。

「新・人間革命」8巻 清流の章

信濃町の新学会本部が完成、民主音楽協会の設立等、前進の最中、幹部の金銭詐取事件が発覚。この不祥事を通して魔の本質を暴くとともに、現罰の怖さを語る。


言論は、人間の人間たる証である。

暴力、武力に抗して、平和を築きゆく力こそ言論である。

広宣流布とは、言論によって、精神の勝利を打ち立て、民衆の幸福と永遠の平和を建設する、新しきヒューマニズム運動といえる。


言論について等、

*************************

民衆の支配をもくろむ権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。

*************************

「真実」をもって、「悪」のまやかしを打ち破るところから、未来は開かれる。
言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを「正しい」と言い切る。間違っていることを「間違っている」と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。

*************************

「本門の時代」とは、これまでに築き上げてきた広宣流布の基盤のうえに、教育、芸術、政治、経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代といってよい。

*************************

私たちが厳格なのは、宗教の教えそのものに対してです。芸術や文化に対しては、いっさい自由であることを、社会にも、学会員にも、語っていかなくてはならない。

*************************



幹部の不祥事について、

*************************

いかに山本会長を慕っているかを強調することによって、自らの純粋さを演出し、角谷の自分への不信感を払拭しようとしていたにすぎなかった。また、その言葉に酔うことで、無意識のうちに、自分の心のなかで、悪事が正当化されていたのかもしれない。そこに、魔性の心理があるといえよう。

*************************

人間には、誰にも、名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと、懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした声明は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき性癖が噴き出し、心は邪心に染まっていく。ゆえに、大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せなのである。
信仰とは、己心の魔と仏の戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。

*************************

「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」

*************************

学会や山本伸一を「巨悪」に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、「悪」と戦う「正義」を演じようとするのである。
この本末転倒の心の在り方を「悪鬼入其身」というのである。

*************************


転倒した姿、これが現実です。リーダーが成長の芽を摘みとる。本当に狡猾な悪とは、偽善に飾られているものです。見破って厳しく諌めていく必要があります。

2016年5月17日火曜日

中国文明史余話 ~春秋名臣列伝~

中国文明史を文化中心に淡々と読み進めるのも手なのですが、やはり春秋戦国時代については人物伝がないと寂しい気がしまして、脱線するとは思いながら・・・古本で購入しました。陳舜臣氏が逝去された今、この時代の著者でこの方の右に出るものはいないかと。

宮城谷昌光氏「春秋名臣列伝」「戦国名臣列伝」です。

この方の本は「晏子」「孟夏の太陽」である程度読んでいるのですが、この時代の風俗にかなり通じているなと感じていました。

「史記」「十八史略」の片片の記憶と、今回購入のこの本で、今一度、個性豊かな人物伝を国ごとに頭の中で整理しようと思います。

記憶というのはイメージと一緒に記憶するほど固定されやすいらしく、文明史で眺めた写真と、名臣伝がセットで頭に瞬時にイメージできるようになればと期待しています。最終的には日蓮大聖人の御書に引用されている故事が瞬時に理解できればと。

春秋時代には、歴史的な重要さをもたない小国を除いて、以下十五国を記憶すればよいらしいです。戦国は先に上げた七雄ですね。



東周・魯・斉・晋・秦・楚・宋・鄭・衛・曹・陳・蔡・燕・呉・越



これを消滅順に並べ直して

曹・陳・呉・蔡・晋・鄭・宋・越・魯・東周・燕・楚・衛・斉・秦


の順に読んでいこうと。は滅亡というより、韓・魏・趙への分割なのですが、この三国は戦国に入る時期にあたるためこの順としました。B.C.475年より以前(春秋時代)に滅んだ国は曹と陳のみです。は宋にB.C.487年は楚にB.C.478年に滅ぼされました。

名臣列伝に掲載されている20人のいる国のみで並べると、

呉(3人)・晋(5人)・鄭(2人)・宋(1人)・魯(2人)・楚(2人)・衛(2人)・斉(2人)・秦(1人)

です。

それでは、脱線しながらも春秋時代を呉から楽しませてもらいましょう!




▲写真右は主要国興亡図を文明史より書写


「新・人間革命」8巻 宝剣の章

戸田先生の七回忌を期して「本門の時代」に入ることを宣言。獅子身中の虫の胎動を予感させる。本物の青年を育てていくしか道はなかった。



新しき時代は、青年の腕にある。

“出でよ、幾万、幾十万の山本伸一よ!”

伸一は、心でこう叫びながら、この一九六三年の夏も、青年の育成に全力を注いだ。



個人指導について、指導者論について、

***************************

彼は、男女青年部の活動が、会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。
学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。
また、味方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。

***************************

知識や学力が大切であることはいうまでもない。しかし、学歴イコール知識・学力ではない。ましてや、学歴イコール人間の能力ではない。指導者には、知識・学力は必要ではあるが、同時にそれを生かす知恵こそ、不可欠である。また、勇気、信念、情熱、行動力の有無も重要なポイントとなる。さらに、何よりも、他人を思いやる心や、自分を律する力など、人格、人間性の輝きといった事柄が、求められていかねばならない。そして、それは、その人のもつ思想、哲学と不可分の関係にある。

***************************



獅子身中の虫の姿について、

***************************

信仰とは、己心における仏と魔、善と悪の闘争だ。魔、悪に打ち勝つためには、仏道修行という生命の練磨が絶対に不可欠である。しかし、真剣に、また地道に信心に励むことのなかった山脇の心は、いともたやすく、第六天の魔王に支配されてくのである。

***************************

「正法正義」を守っているかのように取り繕い、権威を維持することに慣れきってしまった彼らには、謗法を犯したことへの痛みもなければ、反省もなかった。生き方の根本にあるのは「法」ではなく、自分たちの「保身」であるからだ。
「広宣流布」を捨てて、「保身」が目的となれば、人間は規範を失い、欲望の奴隷となっていく

***************************


現在の組織が当てはまらないとは言えない状況もある気がします。
これは、幹部の在り方とも相通ずるものがあります。獅子身中の虫とならないよう、厳に戒めていかないといけません。

「新・人間革命」8巻 布陣の章

支部結成に引き続き、支部を束ねる本部・総支部の布陣も整っていった。次第に学会も幹部が官僚主義に陥っていることを憂慮。広布模範の地、奄美大島へ激励行。



先生が師弟不二を最も重要視されるのは、ここにあると思います。

****************************

伸一は、もっと重要な課題があることを痛感していた。
それは、殉難をも恐れず、民衆の幸福と人類の平和に生涯を捧げた、牧口常三郎と戸田城聖の精神を、いかにして永遠のものにしていくかということであった。
彼は、学会が発展するにつれて、幹部のなかに、その精神が希薄になっていきつつあることに、憂慮を覚えたのである。
たとえば、学会のため、広宣流布のために、自分が何をするかではなく、できあがった組織の上に乗っかり、学会に何かしてもらうことを期待する幹部が出始めていることを、彼は感じとっていた。
また、学会のなかで、より高い役職につくことが、立身出世であるかのように勘違いし、いわゆる“偉くなる”ことに執心し、人事のたびごとに一喜一憂している者もいた。
名聞名利の心をいだき、自分のために学会を利用しようとするような者が幹部になれば、会員が不幸である。やがては、学会自体が蝕まれ、内部から崩壊していく要因となることは必定である。
伸一は、未来の大発展のために、この兆候の根を断ち、まず幹部の胸中に、学会精神をみなぎらせることから始めようと、密かに決意したのである。

****************************

『学会の発展のためには、まず会長である私自身が、しっかりしなければならん。私自身が自分を教育し、磨いていかねばならんと思っている』と言われた。
そのうえで、同様に、各組織にあっては、幹部がしっかりしなければならないと、指導してくださった。つまり、戸田先生は、ご自身のまた、幹部の“自己教育”ということを、叫ばれた。これは、先生の遺言です。常に“自己教育”していける人でなければ、本当の幹部とはいえません。

****************************



学会活動について、

****************************

折伏にせよ、あるいは会合の結集にせよ、勝とうと思えば、目標を立て、決意を定め、真剣に唱題に励むことから始めなければならない。さらに、知恵を絞って、勇気をもって挑戦し、粘り強く行動していく以外にありません。
そして、一つ一つの課題に勝利していくならば、それは、大きな功徳、福運となっていきます。また、何よりも、それが人生に勝つための方程式を習得していくことになる。さらに、活動を通してつかんだ信仰への大確信は、人生のいかなる困難をも切り開いていく力となります。
御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらに人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。

****************************


“本部、総支部など、組織の布陣は着々と整いつつあるが、そこに魂を吹き込むのは精神の布陣である。戸田先生の精神を受け継ぎ、常に「師はわが胸にあり」と言い切れる、まことの“師子”が勢揃いする日が、先生の七回忌でなければならない”
彼は先駆けの走者として、ただ一人、力走に力走を続けた。後に真正の同志が、二陣、三陣と続くことを信じて。


2016年5月16日月曜日

中国文明史 ~春秋戦国~

周から春秋戦国への移り変わりはその名のごとく一方から一方への王朝の交代ではありません。始めに諸侯が礼制に従わなくなり、周の威厳が失われていき、少数民族からの侵入によって、周が、西安から東の洛陽へ遷都を余儀なくされてから、周は一弱小国となり下がり、代わって有力な諸侯あるいは卿、大夫、士の起こした王国が群雄割拠し、天下統一を目指して併呑合戦を繰り広げるようになりました。十八史略の中でもとりわけ面白いエピソードが沢山登場する時期です。

差別されてきた下層の人たちも一旗揚げる機会に恵まれ、武人になったり、「諸子百家」といわれる論士になったりして名声を博したのです。その間に民族も融合し、諸子百家により思想も融合し、商業の発達によってあらゆるジャンルのものが融合した時代といえ、一時代の文化として語れるものではありません。日本で言えば、室町~現在くらいの時間幅があることを考えても、入り交ざった時期と考えておく必要があります。

戦国時代の始まりについては諸説あり、一応の結論としてはB.C.475年に「史記」の六国年表(を除く戦国七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚)を指す)が始まる年とする程度の境界です。併呑合戦により覇を唱えられるのが七強大国に絞られてきた時期からを戦国とイメージした方がいいかもしれません。

【春秋戦国】B.C.770年~(B.C.475年)~B.C.221年(国が多数の群雄割拠時代)

<特徴>
・周の力が弱まり分封されていた諸侯国(当初は百数十か国)が従属しなくなった
・日本の室町時代末期から戦国時代と同じく、いわゆる下剋上の時代
周の礼制は失われ、軍隊、学問や青銅器あらゆる次元のものが庶民へ解放されていった。
・封建制が崩れ、各国は郡県制をしくようになった。
・人材の登用が重要視され、諸子百家が哲学と教育を担う人びととして活躍
青銅器文化は最盛期を迎え、鉄器の生産によりあらゆる技術・生産力が進歩した。
・民族は中央平原の諸夏と、四方民族の戎、夷、蛮、狄が融合し、華夏族が形成。
・夷には東北夷に粛慎族、濊貊族、夫余族が、
 東夷に東夷族、淮夷族が諸国に属したり、
 戦争を起こしたりした。
・狄には北狄に、赤、長が、
 戦国期に林胡、楼煩、東胡が併呑戦争を繰り広げた。
白狄の鮮虞族が起こした中山国はとりわけ強国だった。
・北方民族では他に匈奴が強大化。
・蛮は百越、三苗、巴蜀、滇地方の各族を南蛮と呼んだ。
百越句呉は呉を、于越は越を建国し覇を唱えた。


読んでいても、一冊の本に書かれていることが一時代にしては幅広く、まとめきれないのがこの時代ですね。面白いのはこの時代に起こった孔子の儒教は今なお受け継がれ、同じく二大勢力だった墨子の学問の方は戦国末ですたれてしまったことです。知識である学問にまで興亡があるのは面白いですね。

そういう意味では、著者も序文で書かれていますが、この時代に最盛期を迎え、今の時代に引き継がれていない思想・技術も沢山ありそうであり(青銅器文化等)、今の思想・技術の方が進んでいるとは決して言えないような気がします。人間の力はすごいですね。何故金属を製錬する技術に、しかも青銅器から鉄器へと順を追ってあらゆる文明がたどりつくのかも不思議です。今の人たちが仮に文明を奪われたとして、金属の精錬を思いつくものなのでしょうか。




2016年5月15日日曜日

「新・人間革命」7巻 操舵の章

伸一が海外から帰国するほんの数日前、ここ日本では、新潟でドラマが生れていた。1963年1月24日、後に「三八豪雪」と言われる記録的な被害により総本山から新潟に帰るメンバーが109時間も帰宅に時間を要したのだ。長岡の友が支援に走る。信仰の力を証明するように、騒動が起こることも多かった他の場所に比べ、学会員の乗った団体列車は整然としていた。台湾の同志にも、試練が押し寄せる。35歳の青年会長、山本伸一の舵取りはますます難しさを加えていったのだった。



冷戦下にある中で、核兵器について、

***************************

核兵器を正当化していたのが、いわゆる核抑止論であった。つまり全面核戦争になれば、人類が滅びるかもしれないという恐怖が、戦争を“抑止する”というのである。
しかし、人類の生存の権利を“人質”にとり、その恐怖を前提としたこの思考こそが、“魔性の爪”を育んでいるといってよい。

***************************

その流れの底には、「相互不信」「疑心暗鬼」という、暗い深淵が横たわっている。この深淵を埋めるのは、各国の最高指導者の、胸襟を開いた語らい以外にない

***************************



権力について、

***************************

いかなる男性幹部の言葉なりとも、学会指導に反した、感情、利害、利用等の話であった場合は、断じて聞く必要もなければ、むしろ厳しく戒めあっていく、強き強き婦人であっていただきたいものである。

***************************

戦わずしては、人権は守り抜けない

***************************

権力の魔性と命をかけて戦おうとせず、民衆を守りきれぬ政治家であれば、民衆を自分の選挙のために利用し、踏み台にしているだけにすぎません。それ自体が、既に自らが権力の魔性に同化した姿であります。

***************************

日蓮大聖人は『今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり』と仰せだ。
広宣流布を破壊しようとする大悪人と、また、魔性の権力と戦い、勝てば、成仏することができる。ゆえに大聖人は、方人、つまり味方よりも、強敵が人をよくすると言われているのだ。大難の時に、勇気を奮い起こして戦えば、人は強くなる。師子になる!

***************************

日本は高度経済成長の時代に入り、経済的に豊かになるにつれて、青年層にも拝金主義の風潮が強まっていった。そして、本来、生き方の最も大事な基準となるべき「善悪」や「正邪」に替わって、物質的な豊かさや恰好のよさが、判断の尺度になろうとしていた。
その風潮こそが、「悪」を温存させ、政治権力の横暴や腐敗をもたらす土壌を形成しつつあった。

***************************



政治権力だけではありません。明日勝負することになる会社権力もそうですし、あらゆる次元の権力が拝金主義に成り下がっているのが末法です。

***************************

御書に『教主釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ』と仰せのように仏法とは、人間の生き方の究極を説いたものである。
したがって、人として、いかなる行為、振る舞いをなすかが、仏法者として最も大切な問題となる。

***************************



台湾を襲った試練について、

***************************

この試練は、それぞれの信仰が、ホンモノなのか、ニセモノなのかを明らかにしていった。名聞名利の心をいだいて信心をしていた者は、迫害を恐れて、次々と退転していったのである。

***************************



そう難こそ誉れだ。ニセモノを淘汰してくれるからだ。さあ、明日も重要な決戦だ。


しかし、いかに波浪は激しく、嵐は猛るとも、人間の勝利の旗を打ち立てるために、伸一は新世紀の大陸に向かって、必死になって舵を操るしかなかった。
三十五歳の青年会長の操舵に、広宣流布のすべてはかかっていたのである。

「新・人間革命」7巻 早春の章

ヨーロッパでは、フランスのパリ、スイスのジュネーブ、イタリアのローマ、中東では、レバノンのベイルート、アジアではインドのニューデリー、香港と広布旅は終りを告げようとしていたが、急なエンジントラブルで台湾の台北にもよることに。そこには経由地と予定されていなかったにも関わらず、伸一を祈り待っていたけなげな会員の姿があった。伸一はトラブルにも意味を感じ取っていた。

学会の職員について、

***************************

学会の職員として戦うことは、君にとって、最高の人生の道だろうと、私は思う。
しかし、職員の精神は、二十四時間、会員への奉仕だ。自分の自由な時間もなければ、プライバシーさえなくなると思わなければ、職員の使命を全うすることなどできないよ。
職員というのは、自ら願って、人生を広布に捧げる人だ。

***************************

いつの日か、あなたはヨーロッパ広布の大指導者として、歴史に名を残すことになるでしょう。その時に、ドクターでもある大リーダーが、狭いアパートに住んでいたということが、きっと語り継がれることになるよ。
人間は、寝る時も、死ぬ時も、畳一畳分のスペースですんでしまう。境涯が広く、大きければ、住むのは狭い家で十分だ。広ければ掃除が大変だよ。

***************************



信心について、

***************************

信心というのは、その弱い自分の心との戦いなんだ。御書にも『心の師とはなるとも心を師とせざれ』と仰せじゃないか。自分の心を制することができてこそ、まことの信仰の勇者といえる。

***************************


これは、「菜根譚」「魔を降す者は先づ自心を降せ、心伏すれば即ち群魔退き聴く」の条文も浮かんでくる箇所です。



日本の宗教観について、

***************************

日本の宗教の多くは、国家に隷属してきた長い歴史をもち、冠婚葬祭のための儀式宗教となって久しい。およそ宗教が社会的な力となることは稀であるし、宗教が個人の思想、信条、生活に、深く根差しているとはいい難い。だから、一人が複数の宗教に所属しているケースもあるし、自分の宗教や宗派の教義を、いっさい知らないということも、決して珍しくはない。いわば、形骸化した宗教の氾濫が、日本の宗教事情といえよう。

***************************



人生について、

***************************

私は、試練や障害に出あうたびに、これでまた一つ、人生のドラマができたと思い、勇んで立ち向かってきた。人間はみな、わが人生劇場の主役なんだから、どうせなら堂々たるヒーローを演じようじゃないか。青年には、その気概が大事だよ。

***************************


飛行機がトラブルになったこともまた、先生にはドラマであったのだ。

「新・人間革命」7巻 萌芽の章

1960年の海外発のアメリカ訪問を出発として、世界は確実に広布の種子の萌芽の時期を迎えていた。伸一が行くところだけでなく、幹部も成長し、幹部も同時進行で広布にかける重層的な展開となったのが今回の旅の特徴といえる。また、行く先もアメリカ、ヨーロッパ、中東と世界一周の様相を呈してきた。アメリカでは、ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルスに支部が結成。

*************************

地表から見ている時には、限りなく高く感じられる石の壁も、飛行機から眺めれば、地にへばりついているような、低い境目にしか見えない。同じように、自分の境涯が変われば、物事の感じ方、とらえ方も変わっていくものだ。逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる
その境涯革命の原動力は、強い一念を込めた真剣な唱題だ。題目を唱え抜いて、勇気を奮い起こして行動し、自分の壁を打ち破った時に、境涯を開くことができる。
南無妙法蓮華経は大宇宙に通ずる。御書にも『一身一念法界に遍し』とあるじゃないか。宇宙をも包み込む大境涯に、自分を変えていくことができるのが仏法だ

*************************

布教は、友の幸福を念じ、自分の信ずる最高の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為です。ゆえに、布教をしていけば、真の友情と信頼が生れます。
さらに布教のなかにこそ、真実の仏道修行があり、人間革命がある。なぜならば布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まるからです。
懸命に、わが友に仏法を語り抜いていくならば、歓喜がみなぎり、自身の境涯が開かれていきます。その時に、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈打っていくからです。
この弘教のなかにこそ、自らの人間革命があり、自身の、さらに社会の宿命を転換し、永遠の幸福と平和を築きゆく直道があります。

*************************


そして、題目の次に教学が必要なことについて、

*************************

皆さんのなかには、“なぜ、難しい教学なんてやるのだろう。お題目を唱えて功徳があれば、それで十分だ”と思っているのではないでしょうか。
正しい信仰には大功徳がありますが、同時に必ず難もあります。その時に教学がないと、信心に疑問をいだくようになってしまう戦時中、日本の軍部政府の弾圧によって、牧口先生、戸田先生が逮捕された時、幹部は皆、退転してしまった。教学がなかったからです。
しかし、教学を身につけていれば、なぜ、正しい信仰に難が競い起こるのか、どうすれば一生成仏できるのかがわかります。また、仏法を語る場合でも、なぜ大聖人の仏法が偉大なのか、正しい宗教とは何かなど、理路整然と語り、納得させることができる。
だから、大聖人は『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず』と、『行』とともに『学』の重要性を強調されているのです

*************************

まさに、信心の基本である。行(自行と化他行)及び学についてこの章では教えられていると思います。

*************************

人間の一生には限りがある。そのなかで、人生をいかに生きるかが、最も重要な問題です。もしも、自分の社会的な地位や名声、財産を得ることに汲々として、人生を送るとするならば、最後は空しさだけが残るにちがいありません。
結論していうならば、人びとの絶対的な幸福のために、世界の平和のために貢献していくことです。つまり、広宣流布のために生き抜いてこそ、最高の歓喜と充実のなかに、最も意義のある自分自身の人生を完結していくことができる。そのための信仰です。

*************************

「新・人間革命」7巻 文化の華の章

1962年10月22日、アメリカのケネディ大統領は、キューバにソ連の攻撃用ミサイルの発射基地が建設されていると演説。米ソ間の緊張は一気に高まったが、直接の対話こそなかったものの、意見交換の形で米ソ両首脳は破局による核戦争の勃発を免れ、キューバ危機は回避とともに、米ソの緊張緩和へと動いていった。そんな折、300万世帯という民衆平和勢力を達成した学会のリーダー、伸一のもとにケネディ大統領との会見の話がもたらされる。

**************************

平和を望みながらも、相互不信に陥り、反目し、憎悪し合っているのが、世界の現実です。では、どうすれば、核戦争をなくしていくことができるのか。その本当の解決の道は、仏法による以外にありません。
仏法は、一切衆生が皆、仏であると教えている。万人に仏性があり、自分も相手も、仏の生命を具えていると説く、仏法の生命哲学こそ、人間の尊厳を裏付ける大思想です。その教えが流布されるならば、必ずや、戦争を防ぐ最大の力となります。
また、誰でも信仰に励み、実際に、仏の生命を湧現していくならば、破壊や殺戮に走ろうとする、自身の魔性の生命を打ち破ることができる。
悲惨な核戦争の根本原因は、“元品の無明”という生命の根源的な迷いにある。この無明の闇から、不信や憎悪、嫉妬、あるいは、支配欲、殺戮の衝動など、魔性の心が生じる。
この“元品の無明”を断ち切り、“元品の法性”という、真実の智慧の光をもって、生命を照らし、憎悪を慈悲に、破壊を創造に、不信を信頼に転じゆく力こそが、南無妙法蓮華経であります。また、それが人間革命ということです。

***************************




あくまでも、自身の魔性の生命としているところに注目すべき点があると思います。大宇宙をも包み込む自分自身の一念の中の心の一凶を打ち破れば、それが全体に波及して戦争はなくなっていくのです。そして、魔性の生命もまた、生命の実像であり、間断なく戦っていくことこそ平和実現の能動的解決法です。


***************************

彼ははやる心を抑え、一歩一歩、堅実に、民衆の大地に根差した大哲学運動を展開することに最大の力を注いでいた。
伸一には、時流の変化で消え去る、砂上の楼閣のごとき平和運動を踏襲するつもりはなかった。
彼は、戦争の絶滅という人類史の課題に、真っ向から挑むために、五十年、百年後の平和の堅固な礎を築こうとしていたのである。

***************************



仏法と菜根譚 その⑦ 最終章

さて、いよいよ究極の境地へとたどり着きました。

菜根譚においても、仏法においてもここまでくれば、仏の生命を湧現した境地といえます。身の回りに起こる出来事、縁する人びと全てを含めて自分自身に他ならない、との境地、すなわち宇宙生命と一体となった境地といえます。人を羨ましがったりする必要はなく全ては我が事なんだと。


第103条
  現世は幻だという事からすれば、功名とか富貴とか問題でなく、
  身体も仮の姿である。
  真の実体をもっていえば、父母兄弟は問題でなく、
  万物と我は一体である。
  これを見破り、真理を認識できれば、それこそ天下の大事を
  担うにたり、世間の利欲から抜け出せた人といえる。








2016年5月14日土曜日

「新・人間革命」6巻 若鷲の章

青年部、なかんずく学生部の育成の時が到来する。伸一は学生部代表への「御義口伝」講義を開始した。明治維新に人材をきらぼしの如く輩出した松下村塾に重ね合わせながら。



**************************

学問は知識の蓄積であり、知恵にはいる道程である。仏法は知恵であり、生活の原理である。いっさいの知識は、仏法の知恵によって、初めて社会のために最高に生かされることを知らねばならない。

**************************

御書を拝読する場合は、まず“真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、信心で求め、信心で受けとめていこうとすることが大事です。
西洋哲学は“懐疑”から出発するといえるかもしれない。しかし、仏法を学ぶには、“信”をもって入らなければならないあの智慧第一といわれた舎利弗でさえ、知識や知能で仏法を解了したのではなく、信心によって解脱したのです

**************************

この日本の国を救いたい、世界を平和にしたいと熱願する。これも煩悩です。大煩悩です。煩悩は、信心が根底にあれば、いくらでも、燃やしていいんです。むしろ大煩悩ほど大菩提となる。それが本当の仏法です。

**************************

私は、戸田先生から、十年間、徹底して、広宣流布の原理を教わった。師匠は原理、弟子は応用だ。
今度は、将来、君たちが私の成したことを土台にして、何十倍も、何百倍も展開し、広宣流布の大道を開いていってほしい。私は、そのための踏み台です。目的は、人類の幸福であり、世界の平和にある

**************************


そう、私も今の子どもたちの土台となろうと決めたからには、功名心など捨て去らねばならぬ。後は宇宙を包みこむような意志を、地道な行動でもって醸成していくしかない。地道さ、これは相当難しいことだと知らされます。

「新・人間革命」6巻 波浪の章

参院選で、非難中傷の中を公明政治連盟は完全勝利。それが波浪を呼び、秋田や長崎の鉱山労組からの不当な学会員圧迫事件が重なる。しかし、もとより伸一は、そららのことなど覚悟の上での学会の舵取りであった。


******************************

一般的にも忠言は耳に逆らうし、権威、権力に平伏しない屹立した人格の人を、権力者は憎悪するものです。実は、それ自体が権力者の傲慢であり、権力の魔性なのです。

(中略)

つまり、無実の罪をつくりあげ、大悪人に仕立て、断罪するというのが、いつの世も変わらぬ弾圧の図式です。

******************************

広宣流布の道とは、見方によっては、讒言との戦いであるともいえます。讒言の包囲網を破り、仏法の、また学会の真実を知らしめ、賛同と共感を勝ち取る言論の戦いであり、人間性の戦いです。
本来、学会の勝利は明らかなのです。なぜならば、いかに、嘘、偽りを重ねても、真実を覆すことは絶対にできないからです。御聖訓にも『悪は多けれども一善にかつ事なし』と仰せではないですか。

******************************



そして、学会活動と健康について、

******************************

妙法流布の仏子を讃え、励まし、仏法を語れば、歓喜がわき、力がみなぎるものだ。それは、菩薩の、また仏の、強い生命が全身にあふれてくるからだよ。だから、学会活動をすればするほど、ますます元気になる。戦うことが、私の健康法でもある。
もちろん、人間だから疲れもする。仏法は道理だから、休養も大切だ。しかし、学会活動をやり抜いた疲労は、心地よい、さわやかな疲労であり、すぐに疲れも取れる。
しかし、同じように学会活動をしているように見えても、疲労が溜まる一方の場合もある。それは、受け身の場合だね。心のどこかに、言われたから仕方なくやっているという気持ちがあれば、歓喜もないし、元気も出てきません。
元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。

*******************************

彼は、疾風も、怒涛も、覚悟の上であった。人類の永遠の平和とヒューマニズムの勝利のために、伸一は殉難を恐れず、創価の大船の舵を必死に取り続けるしかなかった。
船内の同志たちの幸福と安穏とを、ひたすらに、祈り念じながら――。

「新・人間革命」6巻 加速の章

布教の波は加速していった。もっとも貧しく、苦しんでいる人を蘇生させながら。会長就任2周年にして、300万世帯まであと一歩にせまったのだった。

御書を研鑽する時の姿勢について、

****************************

彼は講義に際して、深夜まで御書を拝し、研鑽することも少なくなかった。
御書に仰せの一つ一つの事柄や時代背景を正確に認識するために、関連した御書や法華経、一般の歴史書もひもといた。
また、講義で強調すべきポイントは何かを考え、皆がより明快に理解できるよう、どこで、いかなる譬えやエピソードを引くかにも心を配った。
さらに、戸田城聖の講義や講演、論文、あるいは、戸田の指導を記したメモなどを読み返し、その御文に関する恩師の指導も確認していった。

****************************


宗教の目的について、諸次元との関係性について、

****************************

学会の広宣流布の運動は、単に自分個人の苦悩の解決だけに終わるものではない。一人ひとりが広く社会に目を開き、人間の勝利の時代を建設していくことにある。つまり、仏法を根底にした、平和社会の建設であり、世界に真実の人間文化を開花させることに、通じていかなくてはならないだろう。真実の宗教は、自分の精神の救済にのみとどまるものではない。個人を覚醒させ、社会的使命の自覚を促すものだ。

****************************

今の日本の不幸は、民衆を幸福にし、恒久平和を建設していくための、確固とした理念、哲学がないことです。生命の尊厳を裏付ける哲学もなければ、慈悲の思想もない。人間の生き方や根本の勝を教える哲理を見失い、精神の骨格なき社会になってしまっております。
ゆえに、政治にせよ、経済にせよ、あるいは教育にしても、確かなる展望が開けず、迷い、揺れているというのが現状です。今は経済的に豊かにはなりつつありますが、このままでは、やがて、精神は荒廃し、政治も、経済も、教育も、すべての面で行き詰まらざるをえません。
その日本の国を救う、精神の骨格、大理念、大哲学となるのが日蓮大聖人の仏法であると断言したいのであります

****************************

山本伸一は、経済ばかりが先行し、人命を守るという最も肝心なことが見失われつつあることが、心配でならなかった。
経済を至上の価値とし、利潤の追及に狂奔して得られるものは、人間の真実の幸福とはほど遠い、砂上の楼閣のような、虚構の繁栄でしかないからだ。伸一は、人びとの精神が蝕まれ、拝金主義に陥り、殺伐とした心の世界が広がっていくことを恐れていた。
国や社会の豊かさ、文化の成熟度は、単に物質的な側面や経済的な発展だけで推し量ることはできない。人命や人権を守るために、どれだけの配慮があり、いかなる対策が講じられているかこそ、実は最も根本的な尺度といえよう。
そして、人命、人権を守る国家、社会を築くには、生命の尊厳という理念、哲学が絶対の要請となる。

****************************



これこそ、つい最近読んだ「経済は、人類を幸せにできるのか?」で学んだ私なりの結論だったではないか。すごい、池田先生は既に何十年前には見抜かれていたのだ。

2016年5月13日金曜日

中国文明史 ~周~

十八史略としては、酒池肉林に溺れる殷の紂王を周の武王が征伐する形で爽快なエピソードとして残されています。史実なのがすごいですよね。紂王を諌めた比干、武王の弟の周公旦や太公望呂尚など中々今でも人気の歴史的人物が出ております。コラムで多少楽しめますが、こちらは文化中心の資料なので淡々と書かれていますね。

【周】B.C.1050年頃~B.C.771年(東に追われた東周に対し西周とも)

<特徴>
・夏王朝の遺民で農耕民族であり、次第に政治同盟を組織し殷を討った。
・洛陽より西側の西安に都を置き、洛陽も副都として機能。
・身分に応じた厳しい礼制を確立した王朝
・占いを常とする神権政治の色彩は徐々に薄らいでいった。
分封制とそれを補完する宗法制(相続法)制度で秩序維持。
・分封制がのちに春秋時代の覇権争いを引き起こす遠因
・天子→諸侯→卿・大夫→上士→下士など階級細分化。
・軍隊は三軍陣形。1師団が三千人からなる制度で常備軍を持っていた。
・タカラ貝を貨幣代わりに使用。
・青銅器は頻繁に、後半に鉄器も登場。
・陶器から原始磁器への発展。
・住居は瓦屋根が一般的となる。

殷のところでは文字が文明継続の原因と述べましたが、著者はそれと合わせてこの周の時代の礼制の確立もまたその原因と述べています。細かな社会等級制度こそが周を王朝たらしめた基礎だったのでしょう。誰もが知る、その後の春秋戦国時代の原因は、このときの分封制が仇となっていると言われますが、増えていく一方の同族を配置するのは難しいですね。この時のことにならって一族を冷遇したことで知られる三国志の曹氏ですが、これまた司馬氏に政権を取られますし。司馬氏はまた「八王の乱」で周と同じ轍を踏みました。難しいです。晋国は天子と同姓の諸侯国ながら、礼制をそのまま系統せず、他の民族と融合を計り、異なる文化圏をつくっていたことが、後の時代に覇権をとなえる因となったという部分に少し解が見えてきそうな気もしています。

それはそうと、殷の紂王を周の武王が倒すところは、日蓮大聖人の御書にも出てきて痛快な箇所です。

************************

殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ
日蓮大聖人御書全集 異体同心事 1463ページ
************************

八百人とは諸侯の数であり、実際はもっといたでしょうが、いかに民心が殷から離れ、周の政治連盟が功を制していたかがわかります。


<2016.6.4追記>
*************************

例せば周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り殷の紂王をうつ
日蓮大聖人御書全集 善無畏三蔵抄 884ページ

*************************


天感とは諸天を動かす機運のようなもの。師匠のあるものは強いということ。

中国文明史 ~殷~

何故か中国に興味が惹かれるこの頃である。菜根譚しかり。昔、一読した陳舜臣氏「十八史略」を読み返そうかとも思ったが既に手元になく、今度はビジュアル的に広く時代々々の文化を学ぼうと思い図書館へ行った。

いいのがあった。「図説中国文明史」全10巻。そのうち、1巻は先史時代のものであり、興味が低かったため、夏(B.C.2070年~B.C.1600年)のところをさっと読んで、2巻へ進んだ。夏も遺跡は見つかってその存在は確実視されているものの、文字が残されていないため先史時代であり、漢字の源流である甲骨文字を発明したから始めることにした。

要点をまとめると次の通り、

【殷】 B.C.1600年~B.C.1050年頃(自称でとも)

<特徴>
・洛陽のやや東側に何度か遷都しながら(首都)をおいた。
・夏、殷、周は文化圏が異なるがほぼ同時期に並存し武力で王権交代した。
武力により地方勢力(方国)を支配下におき、四方に拠点を置いた王朝。
・方国から連れてきた奴隷は厳しい刑罰によって支配。
・王権と神権を二つながらにもつ祭政一致王朝。
・軍隊は三師戦法等組織化され車も使用。ただし、徴兵は臨時性。
・万般において占卜に頼り、人祭(人を生贄にする)や殉葬を頻繁に行った。
青銅器文化の花開いた時代で特に礼器に技術の粋が。
・後期に甲骨文字を発達させた。

そして、この文字の発明こそが、黄河文明を古代文明の中で唯一存続させた原因と著者・稲畑耕一郎氏は語る。国は滅んでも文字を継承することで文明として存続しえたと。中々面白いですね。コラムも面白いですよ。大量生産なのに個性を出すにはどうするか→ユニット生産して組み合わせを無限にする。これは現在の考え方に比べてもさほど見劣りせず、殷は文化としてはかなり成就していたことが伺えます。ただし、人を殺すことに対してはまだ鈍感だった気がします。方国から奴隷として連れてこられた人々はかなり悲惨な目に遭わされたのだろうと。


無産(※)階級の会議について

※無産とは資産がないではなく、ここでは何も産み出さないの意

先日、吉川英治氏著の「黒田如水」を紹介しましたが、その際の論点とはずれていたので紹介しませんでした。
しかし、これはすごいなと思う箇所が冒頭付近にあります。吉川英治氏も随分と不毛な会議に参加されたことがあるのだろうと感慨深くなりました。我が職場は当然として・・・

**************************

「全国、どこの城にも、かならず評定の間というものはある。けれどもその評定の間から真の大策らしい大策が生れた例は甚だ少ないようだ。多くは形式にながれ、多くは理論にあそび、さもなければ心にもない議決におよそ雷同して、まずこの辺という頃合いを取って散会を告げる。
三人寄れば文殊の知というが、それは少なくとも一と一とが寄った場合のことで、零と零との会合は百人集まっても零に過ぎない。時代の行くての見えない眼ばかりがたとえ千人寄ってみたところで次の時代を見とおすことは出来ないが、評議となって列座すれば、誰ひとりとして、
(それがしは、めくらである)
と、いう顔はしていない。
そのくせ信念もなければ格別の達見も持っては居ないので、ただ自己をつくろうに詭弁と口舌の才を以てすることになる。従って、評議は物々しくばかりなって、徒らに縺れ、徒らに横道に入り、またいたずらに末梢的にのみ走って、結局、何回評議をかさねても、衆から一の真も生れず、そしていつまでも埒はあかないという所に陥ちてしまうのだった。

***************************



さらに、会議に参加している人種が無産階級(私利私欲を貪る上層部)になると、古代ギリシャのソフィストのようになる。

***************************

「ソフィストにとっては、何が真実であるかも、そして、何が人間の人生や幸福にとって大事かも関係なかった。ともかく、博学を装い、白も黒と言いくるめて、相手を打ち負かし、自分の主張が正しいと信じ込ませることが狙いとなっていた。」
新・人間革命6巻 遠路の章より
***************************





ソフィストたちが集まった会議はたまらないですよ。どうでもよい部分は白熱し、重要な部分は弁舌でさっと流し、あたかも博識ぶっていますから。知っていて知らないふりをする。正しい結果も不完全なところをあげつらって不正とする。自分の責任のところだけは、急に謙って逃れようと必死です。昔からそうだったのかと思えば、少し心も落ち着きを取り戻せそうですね。

しかし、厳に戒めないといけません!


「新・人間革命」6巻 遠路の章

旅は続くどこまでも。トルコのイスタンブール、ギリシャのアテネ、エジプトのカイロ、パキスタンのカラチ、タイのバンコクを経て、香港経由で帰路に。タイとバンコクには支部が新たに結成された。

*************************

人間は、ともすれば、敵に対して幻影をいだき、その幻影に怯え、自ら敗北していく場合が多い。

*************************

ソフィストにとっては、何が真実であるかも、そして、何が人間の人生や幸福にとって大事かも関係なかった。ともかく、博学を装い、白も黒と言いくるめて、相手を打ち負かし、自分の主張が正しいと信じ込ませることが狙いとなっていた。

*************************



いた、ここに職場の先輩たちの原型が。彼らはソフィストだったのだ。現在にもいますよ。

*************************

本来、社会全般が、一切の法が、皆、仏法なんだから、歴史や政治を語っても、また、人生を語っても、仏法のものの見方、考え方に触れざるをえないものだよ。
仏法を、信心を、本当に自分の生き方の根底にし、そのことに誇りと確信をもっていれば、自然に仏法対話になっていくものだ。そうならないのは、自分の心のなかに、仏法に対して、垣根を設けているということだろうね。

*************************

私たちが最終的にめざすものは、個人に即していえば絶対的幸福だ。どんな逆境に立とうが、崩れることのない、生命の大宮殿を自身の胸中に築き上げていくことです。また、自他ともの幸福であり、広宣流布こそが本当の目的だ。

*************************


前巻にもあったように、永遠の五指針を含め、民衆の心の土壌を耕し、大宮殿を築き上げる(どこまでも高く築き上げ続けることが本義に近い)が目的です。

*************************

伸一は、時として、気の遠くなるような思いをいだくこともあった。焦りを感じもした。しかし、そんな時には、彼は、いつも、敗戦の焼け野原に一人立った恩師が、七十五万世帯の友の幸福の城を築き、自身の生涯の使命を果たしたことを思い起こした。

*************************


池田先生でさえも焦りはあるのだ。魔との戦いもあるのだと。間断なき魔との闘争と一瞬一瞬の命の燃焼。これが真実。



―――広宣流布の道は、遠路である。
遠路なればこそ、一歩一歩の地道な歩みが大事だ。
遠路なればこそ、何ものにも挫けぬ、信念と勇気の火を燃やし続けることだ。
そして、遠路なればこそ、皆で肩を組みながら、朗らかな、楽しき行進を繰り広げていかなければならない。
窓の外には、星々が微笑むように、清らかに、また美しく瞬いていた。

「新・人間革命」6巻 宝土の章★

1962年1月29日、中東へ初訪問の旅に出発。イランのテヘラン、イラクのバグダッドを訪問し、イスラム教の歴史を語る。「対話を重ねていくならば、イスラム教の人びとも、仏法と多くの共通項を見いだし、仏法への理解と共感を示すに違いない」これが伸一の偽らざる思いだった。

**************************

先駆者の仕事というのは、その時は、無視され、あるいは、批判され続けるものです。

**************************

真実の仏法は、やがていつか、どこかで幸福になることを教えているのではありません。今、この場所で幸福をつくり出していくための法です。その幸福を生み出していく力は、あなた自身の胸中にある。それを引き出していくのが信仰です。

**************************

要するに、“恐れ”と“誤解”と“嫉妬”によるものだと思う。それが常に憎悪と偏見をつくり出す。学会への非難や中傷も、すべてそこからきている。これが、世界に共通した、どうしようもない事実だ。

**************************

広宣流布というのは、人間の生命の大地に眠っている“智慧の宝”“善の力”を発掘し、平和と幸福の花開く、新しい未来の文明をつくることだ。これは、誰人も成しえなかった未聞の大作業だ。

**************************


永劫の太陽の輝きも一瞬一瞬の燃焼の連続である使命に生きるとは、瞬間瞬間、わが命を燃え上がらせ、行動することだ。その絶え間なき完全燃焼が発する熱きヒューマニズムの光彩が、永遠なる平和の朝を開いていくからだ―――。