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2016年5月18日水曜日

「新・人間革命」8巻 激流の章

1963年11月は悲惨な事故や事件が相次ぐ。世界に目を向ければ、一時は伸一との会談もl予定されていたケネディ大統領が暗殺された。また、侵略戦争を起こした日本の宗教という偏見から、韓国のメンバーに弾圧の嵐が襲う。一つ一つメンバーが自らの姿を通して信頼の実証を勝ち取っていくしかないのであった。


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正義を叫ぶことは、死と隣り合わせに生きることを意味していよう。だが、その覚悟なくして、真の社会の改革は決してできない。

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他者を蔑み、貶めることによって、自分を偉く見せようとするのが、心に劣等感をいだく人間の常であるからだ。

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過去の過ちを忘れることは恥である。そして、過去の過ちを歪曲し、正当化することは、さらに恥ずべき行為である。

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仏法では「随方毘尼」を説き、仏教の本義に違わないかぎり、その国や民族、地域の文化、精神、習慣などを尊重していくべきことを教えている。

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そう、狡猾な偽善者は正当化する理由まで先にこしらえているものである。そこをよくよく、見破っていかなくてはならない。

「新・人間革命」8巻 清流の章

信濃町の新学会本部が完成、民主音楽協会の設立等、前進の最中、幹部の金銭詐取事件が発覚。この不祥事を通して魔の本質を暴くとともに、現罰の怖さを語る。


言論は、人間の人間たる証である。

暴力、武力に抗して、平和を築きゆく力こそ言論である。

広宣流布とは、言論によって、精神の勝利を打ち立て、民衆の幸福と永遠の平和を建設する、新しきヒューマニズム運動といえる。


言論について等、

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民衆の支配をもくろむ権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。

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「真実」をもって、「悪」のまやかしを打ち破るところから、未来は開かれる。
言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを「正しい」と言い切る。間違っていることを「間違っている」と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。

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「本門の時代」とは、これまでに築き上げてきた広宣流布の基盤のうえに、教育、芸術、政治、経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代といってよい。

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私たちが厳格なのは、宗教の教えそのものに対してです。芸術や文化に対しては、いっさい自由であることを、社会にも、学会員にも、語っていかなくてはならない。

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幹部の不祥事について、

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いかに山本会長を慕っているかを強調することによって、自らの純粋さを演出し、角谷の自分への不信感を払拭しようとしていたにすぎなかった。また、その言葉に酔うことで、無意識のうちに、自分の心のなかで、悪事が正当化されていたのかもしれない。そこに、魔性の心理があるといえよう。

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人間には、誰にも、名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと、懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした声明は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき性癖が噴き出し、心は邪心に染まっていく。ゆえに、大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せなのである。
信仰とは、己心の魔と仏の戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。

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「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」

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学会や山本伸一を「巨悪」に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、「悪」と戦う「正義」を演じようとするのである。
この本末転倒の心の在り方を「悪鬼入其身」というのである。

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転倒した姿、これが現実です。リーダーが成長の芽を摘みとる。本当に狡猾な悪とは、偽善に飾られているものです。見破って厳しく諌めていく必要があります。

2016年5月6日金曜日

「新・人間革命」2巻 勇舞の章

海外初訪問を遡る会長就任以来の伸一の活動が前二章は述べられてきたが、ここで海外訪問後の本部幹部会や支部結成大会の模様が綴られる。地方にも全力であたる。それが先生の達観した視座だと感じる。

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「日蓮大聖人は、師子王は蟻の子を捕る時も、獰猛な野獣に挑む時も、“前三後一”といって、三歩前に、一歩後ろにという万全の構えで、全精力を注ぐと仰せですが、これは、広宣流布の活動を進める私たちにも、相通ずる原理ではないかと思います。
そこで、十一月、十二月は、弘教に全力をあげ、一月は徹底して同志の信心指導に力を注いでまいりたいと思います。家庭指導、個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の『根』を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人ひとりの悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信をもって、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります」

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折伏と人材の育成とは、車の両輪の関係にある。この二つがともに回転していってこそ、広宣流布の伸展がある。

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戦わずしては正義も敗れる。時に沈黙は、屈服につながることを知らねばならない。

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「私は十年余にわたって戸田先生のもとで仕えた。それはそれは、激しい戦いの歳月だった。緊張の連続だった。弱い体と闘いながら、そのうえに、先生の事業のいっさいの責任を担ってきた。そのなかで私は、精神的にも、肉体的にも、すっかり訓練されてしまった。それが生命力というものだよ。

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「静中の動 動中の静」を参照

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大聖人は自らを「法華経の行者」と仰せのように、「行動」を最も重視されていた。法華経を信心の規範とされ、その教えのままに戦いを起こし、数々の大難にあい、法華経を身で読まれたのである。

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戸田は、師の牧口の命を奪った“権力の魔性”に対する怒りと闘争を忘れなかった。邪悪への怒りを忘れて正義はない。また、悪との戦いなき正義は、結局は悪を温存する、偽善の正義にすぎない。

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法要を終えて、伸一が外に出ると、晩秋の夜風が冷たかった。彼は、火柱のごとく燃え盛る、先師への誓いを胸に、木枯らしの道をさっそうと歩き始めた。





そうだ、先生のこの感覚で我も行くのだ。この章も要約すれば『悪とは徹底して戦え』ということだ。

2016年5月4日水曜日

「新・人間革命」1巻 慈光の章

伸一のアメリカ広布旅は続く。前章に引き続き、各々経済と政治の中心地であるニューヨークそしてワシントンへ。体調を崩す中で、徹して一人を励ます旅が続く。ブラジルへ渡る直前には、周囲が断念を進める程体調を崩していたが、恩師戸田先生が亡くなる直前に広島行を何としても行くといわれた姿と自分を重ね合わせ、強靭な意志力で克服した姿があった。


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自分が強くなければ、人に対して、優しい心遣いはできません

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あの、『イソップ物語』の「北風と太陽」の話のように、人の心のマントを脱がせるものは、寒く激しい北風ではない。それは、人を思いやり、包み込む、太陽のような慈光の温かさである。

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家族の幸せのために、入会を祈ってゆくことは大切ですが、根本は、信心のすばらしさを、皆さんが身をもって示していくことといえます。

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そして、創価学会の信奉する日蓮仏法は悪と戦うことを大切にしていることを明記。



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悪と戦わず、悪を見過ごすことは、結果的に、悪を野放しにし、助長させることになってしまうからだ。しかし、その戦いの方法は、どこまでも“折伏”という対話であられた。しかも、命に及ぶ迫害を被りながらも、自らは非暴力に徹し、終始、言論による戦いを貫かれている。

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この悪と戦うことについては、2003年の本部幹部会での先生のスピーチにもこうある。





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日蓮仏法の根幹である「御義口伝」には、「功徳」の意義として「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と説かれている。私の好きな一節である。
生命の悪を滅し、善を生ずる―これが「功徳」である。
悪と戦うことが、どれほどすばらしいか。全部、自分自身をつくり、絶対の幸福境涯をつくることにつながる。
広布のために悪と戦えば、功徳がある。戦わなければ功徳はない。私の後に続くのだ―こう大聖人は繰り返し、教えておられる。
2003年2月本部幹部会でのスピーチ
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宗教が戦時中に軍部に屈してしまったのも悪を看過してきたからだ。学会はあえて弾圧を受けた。




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言論、出版の自由が保障された世の中で、平和を叫ぶことは容易である。しかし、それが仮面の平和主義であるか、本物であるかを見極めるには、あの戦時中に、何をなしたかを問わねばならない。これは、ジャーナリズムに限らず、宗教についてもいえる。今日、いかに平和や民主を叫び、正義の仮面を被ろうが、戦時中の在り方のなかに、その教団の正体があることを見過ごしてはなるまい。

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伸一は、しばらくすると、ベッドから起き上がった。そして、イスに座ると、御守りご本尊に向かい、真剣に題目を唱え始めた。大生命力を自身の内より引き出し、病魔を打ち破らんとする、ひたぶるな祈りであった。長い唱題であった。