インドから、池田先生の長兄が戦死したビルマ(現ミャンマー)へ。東洋広布の道標は打ち立てられ、この年の秋にはヨーロッパ、来年には中東と、広布の構想に余念はなかった。
インドの詩聖と言われたタゴールの生涯を偲ぶ箇所では、
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それでも、詩人は、常に、ユーモアを忘れることなく、心は生気にあふれ、陽気だった。そして、詩を書く体力がなくなってからも、最後の最後まで、戦争という人間の愚行を糾弾する詩を、生命を讃える詩を、口述で作り続けたのである。
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これは、まさに今、池田先生がなされていることであり、間断なき魔との闘争(精進)こそが仏であるならば、タゴールもまた仏の生命を湧現していたのではないかと思えます。仏陀の章にも書かれている通り、先生は唱題行(最高の精進行)によって絶えず己心の魔と闘っておられるのでしょう。
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広宣流布というのは、仏法をもって人間の生命を開拓し、平和と文化の花を咲かせていく運動です。つまり、平和、文化にどれだけ貢献し、寄与できるかが、実は極めて重要な問題になってくる。
『王仏冥合』と言いますが、この平和と文化への貢献が『王法』です。したがって『王法』には、芸術、教育、政治、経済など、あらゆる社会の営みが含まれます。
その文化創造の大地となる、民衆の生命を耕していくのが『仏法』なんです。
『冥合』というのは、根底とする、奥深く合一しているということであり、決して制度的に一体化することではない。
つまり、個人に即していえば、信仰によって磨かれた人格の帰結として、各人が時代建設の使命に目覚め、社会のため、平和のために、積極的に行動していく姿が『冥合』といえる。『仏法』と『王法』を結ぶものは人間自身であり、精神です。
そして、結論すれば、本来、仏法者の宗教的使命は、人間としての社会的使命を成し遂げていくことで完結される。それができてこそ、生きた宗教です。
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凄い!次元が政教一致なんかを言っている輩と雲泥の差があります。つまり、奥深い人間の根底をなしている哲学が仏教観に根差しており、その人たちが政治、経済、教育などの各次元の文化の花を爛漫と咲かせていくことが創価学会の使命(=我々一人ひとりの使命)といえそうです。
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人間は変わっていく。仏法の指導者というのは、常にみんなを元気にし、生命力を豊かにさせ、希望と勇気を与えていくものだ。
反対に、皆の生命力を奪い、元気をなくさせていくならば、それは『魔』の働きになってしまう。幹部が自分中心の考え方に陥ってしまうと、この『魔』の働きをするようになる。注意しなければいけない
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指導者とはやはりたえず、仏性を湧現させていかないといけない所以ですね。少しでもたゆむ心があれば魔がたよりをえます。間断なき己心の魔との闘争こそ、幹部に課せられた修行でしょう。
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