2016年5月18日水曜日

「新・人間革命」8巻 清流の章

信濃町の新学会本部が完成、民主音楽協会の設立等、前進の最中、幹部の金銭詐取事件が発覚。この不祥事を通して魔の本質を暴くとともに、現罰の怖さを語る。


言論は、人間の人間たる証である。

暴力、武力に抗して、平和を築きゆく力こそ言論である。

広宣流布とは、言論によって、精神の勝利を打ち立て、民衆の幸福と永遠の平和を建設する、新しきヒューマニズム運動といえる。


言論について等、

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民衆の支配をもくろむ権力は、言論を意のままに操り、言論の暴力をもって、改革者を社会的に抹殺してきた。

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「真実」をもって、「悪」のまやかしを打ち破るところから、未来は開かれる。
言うべきことを、断固として言い切る。正しいことを「正しい」と言い切る。間違っていることを「間違っている」と言い切る。そこに、本来の仏法者の生き方がある。

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「本門の時代」とは、これまでに築き上げてきた広宣流布の基盤のうえに、教育、芸術、政治、経済などの各分野に、本格的な文化の華を咲かせていく時代といってよい。

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私たちが厳格なのは、宗教の教えそのものに対してです。芸術や文化に対しては、いっさい自由であることを、社会にも、学会員にも、語っていかなくてはならない。

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幹部の不祥事について、

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いかに山本会長を慕っているかを強調することによって、自らの純粋さを演出し、角谷の自分への不信感を払拭しようとしていたにすぎなかった。また、その言葉に酔うことで、無意識のうちに、自分の心のなかで、悪事が正当化されていたのかもしれない。そこに、魔性の心理があるといえよう。

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人間には、誰にも、名聞名利や私利私欲を貪る心はある。だが、広布に生きようと、懸命に信心に打ち込んでいる時には、そうした声明は冥伏されている。しかし、油断が生じ、惰性に陥る時、悪しき性癖が噴き出し、心は邪心に染まっていく。ゆえに、大聖人は「月月・日日につより給へ・すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」と仰せなのである。
信仰とは、己心の魔と仏の戦いでもある。幹部として広宣流布の力となり、一生成仏の道を歩むか、あるいは、退転・反逆していくかは、わずかな一念の差であり、紙一重ともいえよう。

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「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」

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学会や山本伸一を「巨悪」に仕立て上げ、自分を、その被害者、犠牲者として、「悪」と戦う「正義」を演じようとするのである。
この本末転倒の心の在り方を「悪鬼入其身」というのである。

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転倒した姿、これが現実です。リーダーが成長の芽を摘みとる。本当に狡猾な悪とは、偽善に飾られているものです。見破って厳しく諌めていく必要があります。

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