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2016年6月18日土曜日

憔悴から逃れられない時は・・・

「憔悴」その言葉がぴったりくるような日々。自分の中で確信と懐疑のせめぎ合い。とにかくも無明の怖さを知る。平常心とは、そう簡単に手に入るものではないのですね。



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しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分りはせぬ


人間に分らない無数の理由が

あれをもこれをも支配してゐるのだ


山蔭の清水のやうに忍耐ぶかく

つぐむでゐれば愉しいだけだ


汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな


やがては全体の調和に溶けて

空に昇って 虹となるのだらうとおもふ・・・・・・


さてどうすれば利するだらうか、とか

どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと


要するに人を相手の思惑に

明けくれすぐす、世の人々よ、


僕はあなたがたの心も尤もと感じ

一生懸命郷に従つてもみたのだが


今日はまた自分に帰るのだ

ひつぱつたゴムを手離したやうに


さうしてこの怠惰の窓の中から

扇のかたちに食指をひろげ


青空を喫ふ 閑を嚥む

蛙さながら水に泛んで


夜は夜とて星をみる

あゝ 空の奥、空の奥。



しかし またかうした僕の状態がつづき、

僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、

自分の生存をしんきくさく感じ、

ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。


そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに

気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。

それがばかげてゐるにしても、その二つつ

僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。


中原中也全詩集 「憔悴」より
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2016年6月4日土曜日

仏法と歴史 ~ジョン万次郎編~

5/29~6/3まで4日間、池田先生は聖教新聞ジョン万次郎を紹介してくださいましたね。大学時代に四国一周旅行に回ったとき、銅像を見て、漂流した人だとは記憶していましたが、いつの時代の人で、具体的な事跡についてはよく知りませんでした。

これを機会に、先生が若かりし頃に読んだという井伏鱒二氏の短編小説・「ジョン万次郎漂流記」と、短編では物足りず童門冬二氏「ジョン万次郎」を通読しました。

明治維新の坂本竜馬や勝海舟と同時代人だとは、幕末好きを呼称していながら知りませんでした。咸臨丸で条約批准のためアメリカに渡った時も通訳で同行していたとは。「新・人間革命」にて、池田先生が1960年にアメリカ初訪問されたときに、丁度100年前の1860年のこの日の出来事を感慨深く述べられていましたが、この時にサンフランシスコまでは彼も来ていたのです(咸臨丸の補修とかでワシントンには行かなかったとのこと)。


聖教新聞「新・人間革命」より、

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強き向上、向学の一念があれば、人生のいかなる逆境も、最高の学びの場となる。

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万次郎は、常に希望を捨てなかった。行く先々で、その時に自分ができることにベストを尽くした。だから活路が開かれたのだ。

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自分に力もなく、立身出世や保身に執着する者ほど、胸中で妬みの炎を燃やす。大業を成そうとする英傑は、嫉妬の礫を覚悟しなければならない。
人間は、ひとたび嫉妬に心が冒されると、憎悪が燃え上がり、全体の目的や理想を成就することを忘れ、その人物を攻撃、排斥することが目的となってしまう。そして、さまざまな理由を探し、奸策を用いて、追い落としに躍起となる。
国に限らず、いかなる組織、団体にあっても、前進、発展を阻むものは、人間の心に巣くう、この嫉妬の心である。

(中略)

大事なことは、その心を超克する、人間革命の戦いだ」

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報恩は、古今東西を問わず、普遍的な人間の規範といえよう。

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「ジョン万次郎」より、

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貧しさと、貧しさからくる辱しめとの二重の敵と、万次郎はいつも闘ってきた。その戦いが万次郎を強くした。大抵のことにはびくともしない性格の強さを、土佐の厳しい条件が万次郎に与えていた。

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帰れる日まで、できるだけこの国のいいところを学んで、日本に持ち込もう、と思っていたのである。

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りこうな万次郎は、表面は民主的で自由なアメリカの、隠された部分を鋭く見抜いた。しかし、その恥を、何とかして無くそうとつとめている、ホイットフィールド船長のような立派な人がいることも、正しく認めた。

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(したいことをすべきだ。)という考えは、万次郎にとっては、実に新しい考えだった。個人が自分の考えどおりに生きる、ということは、日本では、あまり許されないわがままなのである。

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(大きな船が自由に造れるからだ。そして、どこの海へでも出ていけるからだ・・・・・・)という、アメリカやヨーロッパの、海に対する考えかたの違いなのだ、ということが強く感じられた。

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本当は人間の冒険心は純粋で美しく、また、それが人間生活にいろいろな新しい便利をもたらすものだが、この冒険心に、ときどき、裏があることがある。
それは、冒険によってお金を儲けようとすることだ。

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人間には、やはり、生きる場所というものがあるらしい。力が思いきり発揮できるところにいないと、逆にだめになってしまうのだ。

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いま、何かをしていないと、わたしの冒険心がだめになってしまうような気がするのです。

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準備を全部整えてから仕事にかかる、というのが、万次郎のやりかただったのである。

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ものごとの始まりはいつもそうである。始まってしまうと、意外とあとの収穫のスピードが速いものなのである。

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「アメリカでくらして、一番頭のなかに残ったことはどういうことか?」
万次郎は、すぐさま答えた。
人間に、身分の高い、低いということがないことです。」

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万次郎は、英語に限らず、学問の勉強にひとつの考えを持っていた。
それは、「学ぶ気がなければ、何を教えたってだめだ。」という考えである。

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今の日本の動きかたに非常に不満だった。みんなが一生懸命に国のことを思っているのはわかる。政府を替えるのもいいだろう。
しかし、いったい、誰のために、何のために替えるのだろう?その“誰のために”ということを討議する人が一人も出てこないのは、どういうわけだろう。

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新しい日本が考えなければならないのは、日本の国民全部の幸福だ。一部の人の幸福ではない・・・・・・

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徳川幕府が倒れて、新しくできた明治政府は、日本をヨーロッパの国々の経済や文化水準に追い付かせようと必死になった。
「まず、国を富ませることだ。」
と考えて、日本の工業化に大きな力を注いだ。そのかわり、国民を富ませることを忘れてしまった
「国民にはなにも知らせる必要はない。ただ、政府に頼らせておけばよい。」
という当時の考えは、その後もずっと続く。

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そう、創価学会は冒険心をもって、強く賢い世界民衆勢力を築きあげるのだ!

2016年5月23日月曜日

失意の時こそ

今日を読み解く。



本日、読み返した新・人間革命11巻・暁光の章にて、

「勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。」



また、戦国名臣列伝・屈原の章にて、

最盛期に衰亡の端緒がある、とは、まさにこれである。その戦いを境に、楚の命運は坂道をころがり落ちていく。」



最後に「菜根譚」にて、

第58条
  苦心のときに真の楽しみを見い出す趣を得
  得意のときに失意の悲しみが萌している。



これが私に与えられたメッセージとうけとめ、この失意の時を悠々祈り越えよう


2016年5月22日日曜日

「新・人間革命」10巻 桂冠の章

ヨーロッパから帰ると直ちに創価大学設立へむけた手を打っていく。構想を着実に現実のものに。記念撮影会を中心にして各地のメンバーの激励に全力を注ぐ。1966年1月にはハワイへ。2月には壮年部の結成を語り、3月には結成式を見たのだった。広布への布陣が構想から現実へ整っていく。



病気について、

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次の撮影までの間、伸一は、そのメンバーを懸命に励まし、病気の原因から語り始めた。
『大聖人は、病の原因について、天台大師の『摩訶止観』を引かれて、こう述べられています。『一には四大順ならざる故に病む・二には飲食節ならざる故に病む・三には座禅調わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む』

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試練について、

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「人生というのは、試練との闘争といえる。幾つもの苦難の峰を越えてこそ、真の幸福がつかめるんです。ゆえに、苦労こそが、人生の財産です。自身を磨き上げる研磨剤です。だから、青春時代に、どんな困難に出合おうが、決して負けないで、堂々と進み勝ってください」

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逆境が人を不幸にするのではない。苦難が人を不幸にするのでもない。
自身に破れて、荒み、歪んだ心が、人を羨み憎む貧しき心が、人間を不幸にするのだ。

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信心について、

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花が美しく咲いているのは、大地に根を張って、養分を吸い上げ続けているからです。人間にも、成長のための養分が必要です
それが、生き方の根幹となる哲学であり、信心です。
表面的な華やかさや、刹那的な喜びに目を奪われて、自身を向上させることを忘れ、根無し草のような生き方になってしまえば、自分を輝かせていくことも、本当の幸福をつかむこともできません。

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壮年部について、

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学会は、各部が強調し合いながら進んでいくのは当然ですが、一家においても父親が柱であるように、最高責任者は壮年です。各支部にあっては支部長であり、各地区にあっては地区部長です。
したがって壮年部は、壮年の育成に責任をもつのは当然ですが、各部のなかの一つの部であると考えるのではなく、各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を守っていただきたいのであります。

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壮年部には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
大聖人は『かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい―――と、大聖人は言われている。
それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。

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壮年部に上がろうとする今、10巻の最後を手を取り今一度読みなおす必要がある。また、今後も惰性に呑みこまれそうになるとき、10巻の最後を読み直して行こう。

2016年4月28日木曜日

人生に成功は約束されず、成長は約束される とか

どこで覚えた格言か知りませんが、私の大好きな言葉です。

まさにその通りだなと。見た目の成功はどんなに努力しても果たされないことはありますが、その間に苦しんだことは必ず成長の糧になっているはずです。自暴自棄になっていなければ。








あ~ どこまで煮え切らないんだ我が人生は!!







「菜根譚」もテーマは終わり!


後は日に日に、1つ1つ、好きな文章を噛みしめていこう!








第14条
  大事業をなさなくても、俗情を捨て去れれば一流。
  学問が社会に役立たずとも、物欲を捨て去れれば聖人。



第28条
  成功はしなくても、過ちのないことが成功。
  相手が恩に感じなくても怨まなければ徳。



最後の行は、自分としては、相手ではなく、自分が怨まないことだと考えています。

解釈はその人なりにあっていいのかなと、時代によって変わってきたくらいですから文脈や読みに拘らずに行きましょう。

2016年4月21日木曜日

動中の静、静中の動

ずっと気にしていた格言ですが、「菜根譚」の中にも出てきます。先日の「フロー状態」と関連性がありそうなため、ここで整理し、紹介します。

<フロー状態と動中の静について>
私の解釈ですが、フロー状態が、目まぐるしく展開している場面でゆっくりとすべてを感じ取ることができるのは、「動中の静」の訓練の賜物ではないかと考えています。


さて、表題のように二律背反的な考えは、元々は中国の「陰陽思想」から来ているようです。

光と影のように、一方の存在は一方の存在があってのものであり、極まるともう一方へ転ずる。すなわち、陰陽の二気でこの世は成り立っているとする説のようです。白と黒の二つの勾玉が重なるように描かれたシンボルマークは「太極図」とか「陰陽魚」と言われ、皆さんもイメージしやすいのではないでしょうか。

動中の静、静中の動は丁度勾玉の孔の部分を意識するとよいと思います。


斎藤孝先生の著書「菜根譚 バランスよければ憂いなし」のタイトルにもなっているとおり、極端の中にもその対極となるものの要素を含ませておくバランス感覚が大切ということです。


「菜根譚」の前集の中から該当箇所を抜粋しますと、

第22条
  動かない雲中を鳶が飛び、流れのない水中で魚が跳ねるような心構が大切。

第88条
  静中の静はあたり前。喧噪の中に得た静こそ本物である。





似たようなものに「閑中の忙 忙中の閑」があり、


第8条
  暇な時に緊急に備える心構え、忙しい時に悠々たる態度で趣味に遊べること。

第172条
  暇で滅入る時に生々とした気を持ち、慌てそうな時に落ち着いて事にあたる。




「苦中の楽 楽中の苦」のような箇所もあります。上記88条後半部分もそうです。


第58条
  苦心している中に真の楽しみ、得意の時に失意の悲しみが宿る。

第99条
  逆境の中に沢山の為になるもの、順境の中に身を滅ぼすものが実は潜む。





最後に、私の人生の師匠である方からの言葉をご紹介して、格言の整理を終えたいと思います。



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 どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ。

(中略)

 動中にも静はある。何ごとにも“めりはり”が必要であり、リズム、切り替えが大切だ。それによって心も一新され、新たな活力も生まれてこよう。いかに一生懸命であっても、伸びきったゴムのようになってしまえば、価値の創造はない。

(中略)

 日々活力を増していった源泉は、この「動」と「静」の緩急自在な躍動のリズムを体得していたことにあった。

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いかがだったでしょうか。本を読む真骨頂とは、自分では思っていてもうまく紡げない言葉が、達人の言葉を借りて整理されてくる感動を得られることと言い換えることもできそうです。

伸びきったゴムのようになって・・・は今度、中原中也氏の詩 を私には連想させてくれるのです。

さて中也の詩でも読もうか。


2016年4月19日火曜日

投げ出さないということ

とかく人は時間がありすぎてもできないことが多い。

休職しているから時間があっていいねというかもしれないが、有意義な時間を過ごすために必要な、心を平穏に保つこと(滅入っていかないこと)は難しい。

思ってもいなかった4回目の休職にあたり、つくづく心を御するの難しさを考える。

このことにつき、心を落ち着かせるために毎朝20条ずつ読むように心掛けている「菜根譚」に、心洗われる文章がある。

まず、スカッとするような第73条の文章↓



ザックリ解釈すると、

天の道理にかなっていれば、何ら妨げるものもなく胸中はどこまでも広く感じる。
欲に染まっていれば、どこにいても茨や泥に足をとられた狭い世界と感じる。

ということで、これを読むと何か心の中に悶々としていたものが洗われ、気宇壮大になるのを感じる。

また、ところどころで逆境や有閑な時にも「放手=放過=投げ出さないこと」を訴えてくれている。以下、ザックリな解釈と共に参考としてご紹介。

第10条
  成功に失敗の種が、失敗に成功の種が。失意のときこそ何かをするのだ。

第85条
  暇なときにしたことが忙しい時に役立つ





言葉は違えど、同じようなことを繰り返し述べている箇所は多い↓

第84条
  貧にも風雅あり。一度困窮し凋落の憂き目にあったとて
  何故自暴自棄になる必要があるのか。

第117条
  景気の良いときに衰えの種が、不景気に発生の種が。
  零落困窮した時にこそ次の活躍の機運があるので落胆せず忍耐で時を待て。

第127条
  災厄や逆境、困窮が人間を鍛えるのだ。




まとめると、時間があるときに、心を平穏に保ち、くさらず学ぶこと。これを肝に銘じて今この時をのりきろう。