最初の目的地はデンマークのコペンハーゲン。西ドイツのデュッセルドルフから西ベルリンへ。間断なき広布旅は続く。
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同志のため、広宣流布のために生きるのが、私の使命なんです。そして、使命を果たすとは、命を使うということだ。その決意がなければ、学会のリーダーにはなれません。
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引用するのはこの箇所だけですが、ここに凝縮されています。
今年の聖教新聞のコラム「名字の言」にもこの時の様子が描かれています。もう55周年なんですね。
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今年は、池田SGI会長のアジア、欧州初訪問から55周年の節を刻む。欧州への第一歩は、1961年10月5日。デンマークの首都コペンハーゲンへ、羽田空港から約17時間の長旅だった。
午前7時過ぎに同地に着いた直後から、会員の激励に、市内の視察にと、SGI会長は休む間もなく活動を続け、ようやく宿舎に戻ったのは夕刻。小一時間の休憩後、随行者と夕食を共にすることにした。
集まってみると、随行者らは驚いた。SGI会長が日本の会員などへの便りを、二十数通も書き終えていたからだ。“私たちがくつろいでいた、ほんの少しの間に・・・・・・”と、随行記者が感嘆した記録が残されている。
聖教新聞 名字の言 2016年1月7日より
**************************ベルリンの壁にたったとき、「三十年後には、きっと、このベルリンの壁は取り払われているだろう・・・・・・」の言葉も他人事ではなく、必ずそうして見せるとの決意であったこと、そして南無妙法蓮華経の題目を送って下さったことが分かる。
そして、ベルリンの壁は無くなったのだ!
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