ここであげられているのは1人で、あの呉起が楚で志半ばで亡くなってからの楚である。よって旧習に戻り、退行の気配のある楚である。
・屈原
彼は、外交上の手腕者であるが、文学史上の巨星とみられる方が多い。なにせ、秦による天下統一に向けた亡国の悲哀も彼一人の詩に収まる程の代表者であるからだ。
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その切々と哀訴するような詩文の気息は、司馬遷の文章に影響をあたえたとおもわれる。
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外交上は、あの合従連衡の、連衡を唱える代表者、秦の張儀(楚で一度拷問にあい、恨んでいた)に負けたとも言えるでしょう。そのおかげ?で文学史上に永遠に残る哀しみに満ちた亡国の詩(楚辞)が完成したのです。
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清潔な身に汚れた物を衣せられてはたまらぬ。それならば、川のながれにはいって、魚の腹中に葬られたほうがましである。皓々たる白が、世俗のきたない黒をこうむってよいものであろうか
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屈原は我万物と一体なりとは感じれなかった。我独り行くの人であった。
「菜根譚」のこの条文を送ります。
第76条
腐った土には草木が良く繁茂し、
澄みすぎた水に魚はいない。
君子は、雅量を持つべきで、
潔白一点張りで我独り行くは狭量である。
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