周から春秋戦国への移り変わりはその名のごとく一方から一方への王朝の交代ではありません。始めに諸侯が礼制に従わなくなり、周の威厳が失われていき、少数民族からの侵入によって、周が、西安から東の洛陽へ遷都を余儀なくされてから、周は一弱小国となり下がり、代わって有力な諸侯あるいは卿、大夫、士の起こした王国が群雄割拠し、天下統一を目指して併呑合戦を繰り広げるようになりました。十八史略の中でもとりわけ面白いエピソードが沢山登場する時期です。
差別されてきた下層の人たちも一旗揚げる機会に恵まれ、武人になったり、「諸子百家」といわれる論士になったりして名声を博したのです。その間に民族も融合し、諸子百家により思想も融合し、商業の発達によってあらゆるジャンルのものが融合した時代といえ、一時代の文化として語れるものではありません。日本で言えば、室町~現在くらいの時間幅があることを考えても、入り交ざった時期と考えておく必要があります。
戦国時代の始まりについては諸説あり、一応の結論としてはB.C.475年に「史記」の六国年表(秦を除く戦国七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚)を指す)が始まる年とする程度の境界です。併呑合戦により覇を唱えられるのが七強大国に絞られてきた時期からを戦国とイメージした方がいいかもしれません。
【春秋戦国】B.C.770年~(B.C.475年)~B.C.221年(国が多数の群雄割拠時代)
<特徴>
・周の力が弱まり分封されていた諸侯国(当初は百数十か国)が従属しなくなった。
・日本の室町時代末期から戦国時代と同じく、いわゆる下剋上の時代。
・周の礼制は失われ、軍隊、学問や青銅器あらゆる次元のものが庶民へ解放されていった。
・封建制が崩れ、各国は郡県制をしくようになった。
・人材の登用が重要視され、諸子百家が哲学と教育を担う人びととして活躍。
・青銅器文化は最盛期を迎え、鉄器の生産によりあらゆる技術・生産力が進歩した。
・民族は中央平原の諸夏と、四方民族の戎、夷、蛮、狄が融合し、華夏族が形成。
・夷には東北夷に粛慎族、濊貊族、夫余族が、
東夷に東夷族、淮夷族が諸国に属したり、
戦争を起こしたりした。
・狄には北狄に白狄、赤狄、長狄が、
戦国期に林胡、楼煩、東胡が併呑戦争を繰り広げた。
・白狄の鮮虞族が起こした中山国はとりわけ強国だった。
・北方民族では他に匈奴が強大化。
・蛮は百越、三苗、巴蜀、滇地方の各族を南蛮と呼んだ。
・百越の句呉は呉を、于越は越を建国し覇を唱えた。
読んでいても、一冊の本に書かれていることが一時代にしては幅広く、まとめきれないのがこの時代ですね。面白いのはこの時代に起こった孔子の儒教は今なお受け継がれ、同じく二大勢力だった墨子の学問の方は戦国末ですたれてしまったことです。知識である学問にまで興亡があるのは面白いですね。
そういう意味では、著者も序文で書かれていますが、この時代に最盛期を迎え、今の時代に引き継がれていない思想・技術も沢山ありそうであり(青銅器文化等)、今の思想・技術の方が進んでいるとは決して言えないような気がします。人間の力はすごいですね。何故金属を製錬する技術に、しかも青銅器から鉄器へと順を追ってあらゆる文明がたどりつくのかも不思議です。今の人たちが仮に文明を奪われたとして、金属の精錬を思いつくものなのでしょうか。
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