世界広布の第一ページを開いたハワイ訪問は、わずか三十数時間の滞在にすぎなかった。しかし、ここに、人類の歴史に新しい夜明けを告げる、平和の旭日は昇ったのである。
で締めくくられる「旭日」の章は1960年、伸一(池田先生のペンネーム)が会長就任の年のわずか数ヵ月後の10月2日、ハワイに海外初訪問をしたときの模様が記録されている。
日本が太平洋戦争へ突入するきっかけとなった真珠湾(パールハーバー)の史実を描きつつ、パールハーバーの前に立ったときの伸一の思いを抜粋する。
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“戦争の辛酸をなめた人ほど、平和を渇望している。いな、最も不幸に泣いた人こそ、最も幸せになる権利があるはずだ。そうであるならば、太平洋戦争の開戦の島であり、人種の坩堝ともいうべきハワイこそ、世界に先駆けて、人類の平和の縮図の地としなければならない。また、それができるのが仏法である”
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先生は既にハワイに第一歩をしるす意義をこのようにもたれて望まれたと察します。
その後の座談会で悲嘆にくれる婦人の方への激励の言葉、
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「毎日、苦しい思いをしてきたんですね。辛かったでしょう。・・・・・・でも、あなたには御本尊があるではありませんか。信心というのは生き抜く力なんですよ。
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伸一の平和旅は、生きる希望を失い、人生の悲哀に打ちひしがれた人びとに、勇気の灯を点じることから始まったのである。それは、およそ世界の平和とはほど遠い、微細なことのように思えるかもしれない。しかし、平和の原点は、どこまでも人間にある。一人ひとりの人間の蘇生と歓喜なくして、真実の平和はないことを、伸一は知悉していたのである。
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すごい。気の遠くなるような地道な作業から先生が手を打たれて、今の192ケ国・地域にあるSGIに発展したことに感銘を覚えます。英語ができない等の手段が先に来ることもありません。大変なことです。一人に焦点をあてて平和を築く作業は。私も少しでもエッセンスが紹介できるよう努力してまいります。
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