1967年、「躍進の年」明ける。瞬時の休みもなく全国各地の撮影会等の激励に臨む。1月、公明党は初挑戦の衆院選で勝利し一躍第四党に。中道政治の実現へ本格始動する。この激闘の最中においても、伸一は常に学ぶことをやめず、大学の卒業レポートを書き上げるのだった。新潟の指導において、佐渡を訪れ、日蓮大聖人の殉難の御生涯を偲ぶ。
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人びとはリーダーの言葉についてくるのではない。行動についてくるのだ。
口先だけのリーダーは、やがて、その欺瞞の仮面をはがされ、誰からも相手にされず、見捨てられていくにちがいない。
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ぼくは今、大学に提出するリポートを書いているんだよ。学ぶことは楽しいし、学ぶことは人間の権利なんだ。だから、どんなに忙しくても、激務の日々であったとしても、学ぶことをやめてはいけない。
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会館について、
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文化会館も、会館も、機能、内容は同じである。しかし、伸一が、あえて「文化」という名を冠した会館の建設を推進してきたのは、広宣流布とは、人間文化の創造であると考えていたからである。
宗教はなんのために存在するのか――。
それは、人びとの幸福のためである。生きがいある人生のためである。そして、それを実現するには、人間尊重の社会を築き、さまざまな人間文化の花を、咲かせなくてはならない。つまり、宗教が社会建設の力となってこそ、宗教の目的を達成することができるといえよう。
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彼は、各県などの中心となる会館は、しっかりとした、大きな建物にしなければならないと思っていた。
それは、ひとたび災害が起きた時には、学会の会館は救援対策本部となり、また、臨時の避難所として、被災者を受け入れられる建物にすることを、考慮してのことであった。
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信心とは、
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信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。その戦いのなかにこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生があることを知っていただきたいのです。
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「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。法難の時こそ、“師子王”となって戦え、そこに成仏があるとの指導である。
ここには、「難即悟達」の原理が示されている。
日蓮は、法難こそ、一生成仏のための不可欠な条件であることを教えている。それゆえに、難を「喜び」「功徳」ととらえ、難を呼び起こせと説いているのである。
そして、自分を迫害した者たちに対しても、彼らがいなければ「法華経の行者」にはなれなかったと、喜びをもって述べているのである。
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