2016年5月27日金曜日

中国文明史余話 ~戦国の秦編②~

さあ、いよいよ天下統一です。顔ぶれは4人。戦国中期から末期へ。韓・魏・楚・趙・燕と滅び、斉は戦う気力なく併呑されていくのです。燕の放った始皇帝暗殺の刺客・荊軻は実に惜しかったですけど。

・白起(ハクキ)
・范雎(ハンショ)
・呂不韋(リョフイ)
・王翦(オウセン)

白起は、先に書いた魏冄が登用した常勝将軍です。秦の版図は彼によって大きく広げられました。このまま魏冄が宰相でも統一はなったかもしれませんが、そこに現われた若手ホープが范雎。
彼の遠交近攻策が王の採るところとなり、魏冄とともに白起も表舞台から去っていきます。最後は多くの兵士を殺してきた罪を償うという名目で自殺します。

范雎は、天下統一へ向けて、遠くの斉と同盟を結びながら、多いに近隣国を攻め、天下統一の道筋を立てました。最期は斡旋した他者の罪の責任をとり宰相をやめました。

呂不韋は、いわずと知れた始皇帝の実の父親説のある商人出身の宰相で、始皇帝の父親がまだ人質だったところから一躍、秦王にのしあげたのも彼の実力です。最期は力をもちすぎて、始皇帝から死を賜り、毒を飲み自殺しました。「呂氏春秋」といわれる百科事典も後世に残し、エピソードがありすぎです。

王翦は、わざと欲深いところを始皇帝に示したりして、始皇帝から疑われるのを避け、見事彼の息子、王賁と天下統一を果たすのです。決して無茶な戦いをしない戦術で、これほど天下統一を速めたのは、彼の将としての器が天授のものだったのでしょう。



宮城谷昌光氏「戦国名臣列伝」「春秋名臣列伝」に比べてエピソードが充実し、永久保存版にしておこうと思います。最期の秦の4人のところを詠めば、秦の天下統一がどうやってなされたかわかるようになっています。陳舜臣氏「小説十八史略」と合わせて読めばほぼ内容は同様ですが、さらに充実するかと。

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