2016年5月28日土曜日

「新・人間革命」12巻 愛郷の章

海外から帰国後は一転、地方指導に力を。一期一会の想いで中小都市にも少しでも足を運ぼうと努める。群発地震の続いている長野県松代や、江戸時代に悪政に苦しんだ岐阜県高山といった、国土の宿業が深い地域ともいえる場所へ積極的に宿命転換をかけた激励の手を。


寄せ返す波浪は、やがて、岩をも打ち砕く。

そうだ。間断なき出発だ! 間断なき前進だ! 連続闘争だ!

そこにこそ、人生と広布の大勝利の道がある。


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仏法には、地震は、人びとが正法に背くゆえの災難であるとの、とらえ方がある。
また、釈尊が法華経を説く時、大地が六種に震動したとされていることから、正法興隆の瑞相ともとらえられている。

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勝利者とは、心の壁を破った人の異名である。

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人間の成長は、“もうこれ以上はだめだ”という、自分の限界を超えて、突き進んでいくところにあるのだ。その時に、初めて自己の殻を打ち破り、力をつけ、境涯を開き、人間革命が可能となる。

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忙しくとも、音楽を聴くぐらいの、心の余裕はなくてはならない。信心をしているからといって、世界を狭くしてはいけないよ。本来、広宣流布というのは、人間文化の創造の運動なんだからね。

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大聖人は『立正安国論』のなかで、“実乗の一善”すなわち、法華経に帰依すべきであると訴えられております。法華経とは、大宇宙を貫く生命の根本法則を説いた教えであり、また、生命の尊厳の思想、慈悲の哲理です。そして、この正法を生き方の根本とし、自身の一念を、生命を変革していくならば、いかなる環境をも変え、崩れざる幸福を築き上げることができると、大聖人は宣言されています。

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戸田は、徹して悪を打ち砕かんとする敢闘と執念のなかにのみ、正義と人道の勝利があることを、弟子たちに教えたかったのである。

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人生も、広布も、自己の心に宿る惰性と油断との戦いといえるかもしれない。“敵”は外にいるのではない。己心に潜むものだ。

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その本質は、慢心なんだ。

(中略)

惰性化していくと、そうしたことを、真剣に受け止められなくなってしまう。

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広宣流布は、永遠の闘争です。ゆえに、何があっても、戦い続けていくことです。昨日、しくじったならば、今日、勝てばよい。今日、負けたなら、明日は必ず勝つ。そして、昨日も勝ち、今日も勝ったならば、勝ち続けていくことです。

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いつの世も、保身に汲々とする臆病者の姑息さこそ、悪を肥大させていくのである。

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信心をしたからといって、悩みや苦しみがなくなるということではありません。
要は、その苦難に負けずに、悠々と乗り越えていけるのかどうかです。それによって、人生の勝敗も、幸・不幸も決まってしまう。

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「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」

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地域の繁栄は、人びとの一念を転換し、心という土壌を耕すことから始まる。そこに、強き郷土愛の根が育まれ、向上の樹木が繁茂し、知恵の花が咲き、地域は美しき幸の沃野となるからだ。また、そのための創価の運動なのである。

1 件のコメント:

  1. これから勉強会なので拝見させていただきました。

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