2016年5月21日土曜日

中国文明史余話 ~春秋の斉編~

斉は現在の山東省を中心にした大国。太公望を始祖とする由緒ある国。

史記の列伝の第二に併記される程の名宰相二人が上げられている。

・管夷吾(管仲)
・晏嬰(晏子)

この二人、エピソードが豊富で言わずもがなである。管仲の方は「管鮑の交わり」との故事にもなっている親友・鮑叔がいて初めて引き立つので鮑叔も大切である。

管仲と鮑叔は若き日は親友であり、その後二人とも斉に仕え、別々の公子についた。太子争いでは、鮑叔が勝つのであるが、この時、管仲もあわやのところまで後の桓公を追い詰めたのである。鮑叔はこの時、管仲でなければ覇は唱えられないと助命を要請し、自らは身を退いたのもすごいし、殺されかけた桓公が、管仲を許し、宰相としたのもすごい。三人が三人とも良いところを出し合って、この時代に斉は覇者となるのである。

晏嬰はもう少し後の時代の人で、孔子と同時代であり、儒教の考えとは反対にあった人のようです。すなわち、礼よりも民を重んじたと。孔子の学問がよく、支配者階級に利用されるのは上下を厳しくしたからで、晏子はその弊害を見破っていたのかもしれません。



この二人、大国にあって驕らず、民を重んじた点で一致しています。国を支えるのは民だと。
ただし、子産のように、民を賢くするという思想にまでは至っていなかったと思いますが。



斉はこの流れでいけば天下をとれたのではと思いますが、如何せん、晏嬰の子の時代に、田氏に君主の座を簒奪されてから芳しくなくなったようです。晏嬰は予見していたといいます。すごい二人です。

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