2016年5月11日水曜日

経済は、人類を幸せにできるのか? その⑦ 最終章

とうとう最終章までやってきました。途中から理解できない部分も多いのですが、こういうことをいいたいのだろうという雰囲気をつかむようにしています。

最終章は「21世紀世界の幸福とは?」です。

おそらく経済成長が目標になっていることが問題のようですね。

農業→製造業→サービス業の移行が不安定な方向にいくと書かれていたのできになっていたのですが、サービス業が悪いのではなく、経済成長が見えにくいから幸福をつかみにくいという論理のようです。

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サービス業固有の問題は、生産性を改善する余地が乏しいことだ。かなり以前から多くの識者が指摘しているように、サービス業における生産性の向上は、工業や農業において達成したものとは性質が異なる。現在でも過去でも、整髪や演劇にかかる時間は同じだ。それらの職業では生産性の向上はごくわずかであり、さらにはまったくない場合さえある。その結果、経済成長率は低く、賃金も上がらない。

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ここで、やはり気になっていたところが間違っていると思いましたね。スピード≠幸福という点を見落としている点です。なぜ、はやくする必要があるのでしょう。世の中が同じペースで動くのなら何ら問題ないではないですか?なぜ賃金は上がらないといけないのでしょう?一定でも生活が保障される世の中に全体がなればいいではないですか?

そして、ITの恩恵はどこにいったかといいますと、

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情報工学は、労働の負担を減らすのではなく、むしろ複数の作業を同時にこなさなければならないストレス要因なのだ。

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とこういう風に、今の世の中がスピード=幸福と考えている限りはなってしまうんでしょうね。

経済界にも人間的な人がいたことがわかりました。アマルティア・センという方で、国連にも「人間開発指数」なんかの発案で貢献されているとのこと。この方の例えがまた絶妙ですが、長くなるので、結論のところのみを。

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センは公共政策に慎ましい目的を付与した。つまり、それは自分の期待に見合う生活を送ることができるための「ケイパビリティ(潜在能力)」を、全員に与えることだ。センがキャパシティとアビリティという二つの単語を合成してつくった「ケイパビリティ」という概念は、人間にはその人が望むように生きられるようにするための資源を与えなければならない、という意味だ。人生におけるさまざまな選択の際に、本当の自由を促すのが哲学だ。

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考え方が今のホモエコノミクスの人種では達成出来ないのは間違いないですが。
訳者のあとがきに面白いことが書かれていました。こちらをもう少し掘り下げて(経済から離れていくが・・・)結論にした方がよかったのではないでしょうか。

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人が幸せを感じるのは成長が加速する時であって、成長が止まれば消える」とし、「人を幸せな気分にするのは成長であって、豊かさそのものではない。(・・・・・・)『もっと、もっと』という感覚だ」とつづけた。

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『もっともっと』が物質的なもので、現在の経済の枠組みだけで論じてしまうと、経済成長しなければ、幸福は得られないという結論になってしまう。

『もっともっと』を精神的なものに置き換えたらどうですか?そう前段に来ていた哲学だ。

人びとの生き方の中に常に精神的に成長しようという共通哲学があれば、物質的な豊かさが増え続けなくても幸福を感じていく、かつまた有限の地球資源を共有していくにたる経済は後からついてくると思いませんか?



ローマ帝国をかつて、キリスト教が救ったように。

ヨーロッパ共同体が経済統一を先にやろうとして失敗したように。



経済は後、共通哲学が先。そう思えてなりません。




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