1967年9月1日、学会本部に隣接して、創価文化会館が落成。10月15日、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった東京文化祭が。そこには、出演者一人ひとりの涙ぐましい挑戦と人間革命のドラマがあった。同月下旬、「ヨーロッパ統合の父」として知られる、カレルギー伯爵と会見。後年、対談集『文明・西と東』として結実する。
文化について、
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広宣流布とは、一口にしていえば、日蓮大聖人の大仏法を根底とした、絢爛たる最高の文化社会の建設であります。そして、世界の人びとの幸福と平和を基調とした、大文明の建設であります。すなわち、色心不二の大生命哲学を根幹とした、中道主義による文明の開花であります。
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文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。
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文化祭は、創価学会がいかに文化の向上に真剣であり、平和文化を愛好しているかということを示す縮図です。
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文化祭の練習等学会活動について、
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友の幸福を願って、懸命に唱題し、活動に励めば励むほど、心の底から歓喜が込み上げ、生命の燃焼と躍動を覚えるのである。それは、これまでに体験したことのない、充実した境地であった。
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その一念こそが、その粘り強い、執念の前進こそが、困難の壁を打ち破る力となるのだ。
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皆が、自身に打ち勝った勝者であった。
皆が、感動の青春ドラマを演じたヒーローであり、ヒロインであった。
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世界の平和とは、与えられるものではない。人間が、人間自身の力と英知で、創造していくものだ。戦い、勝ち取っていくものだ。ゆえに、人間が、自身を磨き、自分の弱さに挑み、打ち勝つことこそが、平和建設の要諦といえる。つまり、自己の境涯を開き、高めゆく、人間革命の闘争なくして平和はない。
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御聖訓には、「陰徳あれば陽報あり」と仰せである。
それを確信できるかどうかに、信心は表れ、また、それが、一生成仏を決するといってよい。
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カレルギー伯爵との会談にて、
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仏法というのは、人間と宇宙を貫く、生命の永遠不変の法則であり、また、人類の平和と幸福を実現するための指導原理といえます。したがって、現代科学とも、決して矛盾するものではありません。むしろ科学技術をリードし、人間の幸福に寄与するものにしていくための、哲学が仏法なんです。
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もちろん、暴力やテロは絶対に悪ですし、民衆を支配し、隷属化させる権力とは、どこまでも戦います。
しかし、人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います。
さらに、仏法で説く、万人が等しく『仏』の生命をもっているという考え方は、人間を貫く、内なる普遍の世界を開示するものといえます。
人類がそこに着目し、人間の共通項に目を向けていくならば、分断から融合へと発想を切り替える、回転軸となっていくと確信しています。
また、宗教の違いによって生じた文化的な差異は、違いを認めるというだけでなく、むしろ尊重すべきです。
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2016年5月30日月曜日
2016年5月16日月曜日
中国文明史 ~春秋戦国~
周から春秋戦国への移り変わりはその名のごとく一方から一方への王朝の交代ではありません。始めに諸侯が礼制に従わなくなり、周の威厳が失われていき、少数民族からの侵入によって、周が、西安から東の洛陽へ遷都を余儀なくされてから、周は一弱小国となり下がり、代わって有力な諸侯あるいは卿、大夫、士の起こした王国が群雄割拠し、天下統一を目指して併呑合戦を繰り広げるようになりました。十八史略の中でもとりわけ面白いエピソードが沢山登場する時期です。
差別されてきた下層の人たちも一旗揚げる機会に恵まれ、武人になったり、「諸子百家」といわれる論士になったりして名声を博したのです。その間に民族も融合し、諸子百家により思想も融合し、商業の発達によってあらゆるジャンルのものが融合した時代といえ、一時代の文化として語れるものではありません。日本で言えば、室町~現在くらいの時間幅があることを考えても、入り交ざった時期と考えておく必要があります。
戦国時代の始まりについては諸説あり、一応の結論としてはB.C.475年に「史記」の六国年表(秦を除く戦国七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚)を指す)が始まる年とする程度の境界です。併呑合戦により覇を唱えられるのが七強大国に絞られてきた時期からを戦国とイメージした方がいいかもしれません。
【春秋戦国】B.C.770年~(B.C.475年)~B.C.221年(国が多数の群雄割拠時代)
<特徴>
・周の力が弱まり分封されていた諸侯国(当初は百数十か国)が従属しなくなった。
・日本の室町時代末期から戦国時代と同じく、いわゆる下剋上の時代。
・周の礼制は失われ、軍隊、学問や青銅器あらゆる次元のものが庶民へ解放されていった。
・封建制が崩れ、各国は郡県制をしくようになった。
・人材の登用が重要視され、諸子百家が哲学と教育を担う人びととして活躍。
・青銅器文化は最盛期を迎え、鉄器の生産によりあらゆる技術・生産力が進歩した。
・民族は中央平原の諸夏と、四方民族の戎、夷、蛮、狄が融合し、華夏族が形成。
・夷には東北夷に粛慎族、濊貊族、夫余族が、
東夷に東夷族、淮夷族が諸国に属したり、
戦争を起こしたりした。
・狄には北狄に白狄、赤狄、長狄が、
戦国期に林胡、楼煩、東胡が併呑戦争を繰り広げた。
・白狄の鮮虞族が起こした中山国はとりわけ強国だった。
・北方民族では他に匈奴が強大化。
・蛮は百越、三苗、巴蜀、滇地方の各族を南蛮と呼んだ。
・百越の句呉は呉を、于越は越を建国し覇を唱えた。
読んでいても、一冊の本に書かれていることが一時代にしては幅広く、まとめきれないのがこの時代ですね。面白いのはこの時代に起こった孔子の儒教は今なお受け継がれ、同じく二大勢力だった墨子の学問の方は戦国末ですたれてしまったことです。知識である学問にまで興亡があるのは面白いですね。
そういう意味では、著者も序文で書かれていますが、この時代に最盛期を迎え、今の時代に引き継がれていない思想・技術も沢山ありそうであり(青銅器文化等)、今の思想・技術の方が進んでいるとは決して言えないような気がします。人間の力はすごいですね。何故金属を製錬する技術に、しかも青銅器から鉄器へと順を追ってあらゆる文明がたどりつくのかも不思議です。今の人たちが仮に文明を奪われたとして、金属の精錬を思いつくものなのでしょうか。
差別されてきた下層の人たちも一旗揚げる機会に恵まれ、武人になったり、「諸子百家」といわれる論士になったりして名声を博したのです。その間に民族も融合し、諸子百家により思想も融合し、商業の発達によってあらゆるジャンルのものが融合した時代といえ、一時代の文化として語れるものではありません。日本で言えば、室町~現在くらいの時間幅があることを考えても、入り交ざった時期と考えておく必要があります。
戦国時代の始まりについては諸説あり、一応の結論としてはB.C.475年に「史記」の六国年表(秦を除く戦国七雄(韓・魏・趙・燕・斉・楚)を指す)が始まる年とする程度の境界です。併呑合戦により覇を唱えられるのが七強大国に絞られてきた時期からを戦国とイメージした方がいいかもしれません。
【春秋戦国】B.C.770年~(B.C.475年)~B.C.221年(国が多数の群雄割拠時代)
<特徴>
・周の力が弱まり分封されていた諸侯国(当初は百数十か国)が従属しなくなった。
・日本の室町時代末期から戦国時代と同じく、いわゆる下剋上の時代。
・周の礼制は失われ、軍隊、学問や青銅器あらゆる次元のものが庶民へ解放されていった。
・封建制が崩れ、各国は郡県制をしくようになった。
・人材の登用が重要視され、諸子百家が哲学と教育を担う人びととして活躍。
・青銅器文化は最盛期を迎え、鉄器の生産によりあらゆる技術・生産力が進歩した。
・民族は中央平原の諸夏と、四方民族の戎、夷、蛮、狄が融合し、華夏族が形成。
・夷には東北夷に粛慎族、濊貊族、夫余族が、
東夷に東夷族、淮夷族が諸国に属したり、
戦争を起こしたりした。
・狄には北狄に白狄、赤狄、長狄が、
戦国期に林胡、楼煩、東胡が併呑戦争を繰り広げた。
・白狄の鮮虞族が起こした中山国はとりわけ強国だった。
・北方民族では他に匈奴が強大化。
・蛮は百越、三苗、巴蜀、滇地方の各族を南蛮と呼んだ。
・百越の句呉は呉を、于越は越を建国し覇を唱えた。
読んでいても、一冊の本に書かれていることが一時代にしては幅広く、まとめきれないのがこの時代ですね。面白いのはこの時代に起こった孔子の儒教は今なお受け継がれ、同じく二大勢力だった墨子の学問の方は戦国末ですたれてしまったことです。知識である学問にまで興亡があるのは面白いですね。
そういう意味では、著者も序文で書かれていますが、この時代に最盛期を迎え、今の時代に引き継がれていない思想・技術も沢山ありそうであり(青銅器文化等)、今の思想・技術の方が進んでいるとは決して言えないような気がします。人間の力はすごいですね。何故金属を製錬する技術に、しかも青銅器から鉄器へと順を追ってあらゆる文明がたどりつくのかも不思議です。今の人たちが仮に文明を奪われたとして、金属の精錬を思いつくものなのでしょうか。
2016年5月13日金曜日
中国文明史 ~周~
十八史略としては、酒池肉林に溺れる殷の紂王を周の武王が征伐する形で爽快なエピソードとして残されています。史実なのがすごいですよね。紂王を諌めた比干、武王の弟の周公旦や太公望呂尚など中々今でも人気の歴史的人物が出ております。コラムで多少楽しめますが、こちらは文化中心の資料なので淡々と書かれていますね。
【周】B.C.1050年頃~B.C.771年(東に追われた東周に対し西周とも)
<特徴>
・夏王朝の遺民で農耕民族であり、次第に政治同盟を組織し殷を討った。
・洛陽より西側の西安に都を置き、洛陽も副都として機能。
・身分に応じた厳しい礼制を確立した王朝
・占いを常とする神権政治の色彩は徐々に薄らいでいった。
・分封制とそれを補完する宗法制(相続法)制度で秩序維持。
・分封制がのちに春秋時代の覇権争いを引き起こす遠因。
・天子→諸侯→卿・大夫→上士→下士など階級細分化。
・軍隊は三軍陣形。1師団が三千人からなる制度で常備軍を持っていた。
・タカラ貝を貨幣代わりに使用。
・青銅器は頻繁に、後半に鉄器も登場。
・陶器から原始磁器への発展。
・住居は瓦屋根が一般的となる。
殷のところでは文字が文明継続の原因と述べましたが、著者はそれと合わせてこの周の時代の礼制の確立もまたその原因と述べています。細かな社会等級制度こそが周を王朝たらしめた基礎だったのでしょう。誰もが知る、その後の春秋戦国時代の原因は、このときの分封制が仇となっていると言われますが、増えていく一方の同族を配置するのは難しいですね。この時のことにならって一族を冷遇したことで知られる三国志の曹氏ですが、これまた司馬氏に政権を取られますし。司馬氏はまた「八王の乱」で周と同じ轍を踏みました。難しいです。晋国は天子と同姓の諸侯国ながら、礼制をそのまま系統せず、他の民族と融合を計り、異なる文化圏をつくっていたことが、後の時代に覇権をとなえる因となったという部分に少し解が見えてきそうな気もしています。
それはそうと、殷の紂王を周の武王が倒すところは、日蓮大聖人の御書にも出てきて痛快な箇所です。
************************
殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ
八百人とは諸侯の数であり、実際はもっといたでしょうが、いかに民心が殷から離れ、周の政治連盟が功を制していたかがわかります。
<2016.6.4追記>
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例せば周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り殷の紂王をうつ
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天感とは諸天を動かす機運のようなもの。師匠のあるものは強いということ。
【周】B.C.1050年頃~B.C.771年(東に追われた東周に対し西周とも)
<特徴>
・夏王朝の遺民で農耕民族であり、次第に政治同盟を組織し殷を討った。
・洛陽より西側の西安に都を置き、洛陽も副都として機能。
・身分に応じた厳しい礼制を確立した王朝
・占いを常とする神権政治の色彩は徐々に薄らいでいった。
・分封制とそれを補完する宗法制(相続法)制度で秩序維持。
・分封制がのちに春秋時代の覇権争いを引き起こす遠因。
・天子→諸侯→卿・大夫→上士→下士など階級細分化。
・軍隊は三軍陣形。1師団が三千人からなる制度で常備軍を持っていた。
・タカラ貝を貨幣代わりに使用。
・青銅器は頻繁に、後半に鉄器も登場。
・陶器から原始磁器への発展。
・住居は瓦屋根が一般的となる。
殷のところでは文字が文明継続の原因と述べましたが、著者はそれと合わせてこの周の時代の礼制の確立もまたその原因と述べています。細かな社会等級制度こそが周を王朝たらしめた基礎だったのでしょう。誰もが知る、その後の春秋戦国時代の原因は、このときの分封制が仇となっていると言われますが、増えていく一方の同族を配置するのは難しいですね。この時のことにならって一族を冷遇したことで知られる三国志の曹氏ですが、これまた司馬氏に政権を取られますし。司馬氏はまた「八王の乱」で周と同じ轍を踏みました。難しいです。晋国は天子と同姓の諸侯国ながら、礼制をそのまま系統せず、他の民族と融合を計り、異なる文化圏をつくっていたことが、後の時代に覇権をとなえる因となったという部分に少し解が見えてきそうな気もしています。
それはそうと、殷の紂王を周の武王が倒すところは、日蓮大聖人の御書にも出てきて痛快な箇所です。
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殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ、周の武王は八百人なれども異体同心なればかちぬ
日蓮大聖人御書全集 異体同心事 1463ページ
************************八百人とは諸侯の数であり、実際はもっといたでしょうが、いかに民心が殷から離れ、周の政治連盟が功を制していたかがわかります。
<2016.6.4追記>
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例せば周の武王は父の形を木像に造つて車にのせて戦の大将と定めて天感を蒙り殷の紂王をうつ
日蓮大聖人御書全集 善無畏三蔵抄 884ページ
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天感とは諸天を動かす機運のようなもの。師匠のあるものは強いということ。
中国文明史 ~殷~
何故か中国に興味が惹かれるこの頃である。菜根譚しかり。昔、一読した陳舜臣氏の「十八史略」を読み返そうかとも思ったが既に手元になく、今度はビジュアル的に広く時代々々の文化を学ぼうと思い図書館へ行った。
いいのがあった。「図説中国文明史」全10巻。そのうち、1巻は先史時代のものであり、興味が低かったため、夏(B.C.2070年~B.C.1600年)のところをさっと読んで、2巻へ進んだ。夏も遺跡は見つかってその存在は確実視されているものの、文字が残されていないため先史時代であり、漢字の源流である甲骨文字を発明した殷から始めることにした。
要点をまとめると次の通り、
【殷】 B.C.1600年~B.C.1050年頃(自称で商とも)
<特徴>
・洛陽のやや東側に何度か遷都しながら商(首都)をおいた。
・夏、殷、周は文化圏が異なるがほぼ同時期に並存し武力で王権交代した。
・武力により地方勢力(方国)を支配下におき、四方に拠点を置いた王朝。
・方国から連れてきた奴隷は厳しい刑罰によって支配。
・王権と神権を二つながらにもつ祭政一致王朝。
・軍隊は三師戦法等組織化され戦車も使用。ただし、徴兵は臨時性。
・万般において占卜に頼り、人祭(人を生贄にする)や殉葬を頻繁に行った。
・青銅器文化の花開いた時代で特に礼器に技術の粋が。
・後期に甲骨文字を発達させた。
そして、この文字の発明こそが、黄河文明を古代文明の中で唯一存続させた原因と著者・稲畑耕一郎氏は語る。国は滅んでも文字を継承することで文明として存続しえたと。中々面白いですね。コラムも面白いですよ。大量生産なのに個性を出すにはどうするか→ユニット生産して組み合わせを無限にする。これは現在の考え方に比べてもさほど見劣りせず、殷は文化としてはかなり成就していたことが伺えます。ただし、人を殺すことに対してはまだ鈍感だった気がします。方国から奴隷として連れてこられた人々はかなり悲惨な目に遭わされたのだろうと。
いいのがあった。「図説中国文明史」全10巻。そのうち、1巻は先史時代のものであり、興味が低かったため、夏(B.C.2070年~B.C.1600年)のところをさっと読んで、2巻へ進んだ。夏も遺跡は見つかってその存在は確実視されているものの、文字が残されていないため先史時代であり、漢字の源流である甲骨文字を発明した殷から始めることにした。
要点をまとめると次の通り、
【殷】 B.C.1600年~B.C.1050年頃(自称で商とも)
<特徴>
・洛陽のやや東側に何度か遷都しながら商(首都)をおいた。
・夏、殷、周は文化圏が異なるがほぼ同時期に並存し武力で王権交代した。
・武力により地方勢力(方国)を支配下におき、四方に拠点を置いた王朝。
・方国から連れてきた奴隷は厳しい刑罰によって支配。
・王権と神権を二つながらにもつ祭政一致王朝。
・軍隊は三師戦法等組織化され戦車も使用。ただし、徴兵は臨時性。
・万般において占卜に頼り、人祭(人を生贄にする)や殉葬を頻繁に行った。
・青銅器文化の花開いた時代で特に礼器に技術の粋が。
・後期に甲骨文字を発達させた。
そして、この文字の発明こそが、黄河文明を古代文明の中で唯一存続させた原因と著者・稲畑耕一郎氏は語る。国は滅んでも文字を継承することで文明として存続しえたと。中々面白いですね。コラムも面白いですよ。大量生産なのに個性を出すにはどうするか→ユニット生産して組み合わせを無限にする。これは現在の考え方に比べてもさほど見劣りせず、殷は文化としてはかなり成就していたことが伺えます。ただし、人を殺すことに対してはまだ鈍感だった気がします。方国から奴隷として連れてこられた人々はかなり悲惨な目に遭わされたのだろうと。
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