鄭は現在の河南省に位置した小国。春秋時代は荘公という名君を得、覇を唱える程の強国であったが、次第に晋と楚という強大国に挟まれ弱体化していった。
ここであげられる2名はともに名君を支えた名宰相である。
・祭足(祭仲)
・国僑(子産)
宮城谷昌光氏は長編の方が面白いかもしれません。知識が膨大すぎて短編だと説明で終わってしまうのです。祭足についても祭の字の由来から入り、祭足を重用した荘公のエピソードが目立ちすぎて、中々人物像が結ばれてきません。この時代の人たちは、他の人のエピソードで引き立てられることが多いこともあるでしょう。
荘公は逆子で生まれたことから生母から嫌われ続けます。弟が溺愛されるのですが、それによる弟の僭越も目をつぶり続け、とうとう戦争を起こした時に、生母もまた加担していたのでした。母親を幽閉した後も自分から会いたいとついに二人は仲直りを果たしたというエピソードは感動的です。祭足は生母や弟の行状を諫言できた賢臣であったことは確かですが、戦争を回避できたわけではありません。後のエピソードはしたたか者の匂いがします。
「不義をかさねれば、かならず自滅する」
の荘公の言葉こそ「菜根譚」の次の条文にも合致するものです。
敧器(キキ)ハ満ヲ以テ覆ヘリ
敧器は金属製の容器で、物を一杯入れるとひっくり返るようにできているため「満つれば欠ける」といって訓戒の例とされます。
子産は・・・ でましたまさに民衆の見方である賢人が。でも、これも彼を採用した子皮とその君主、簡公をほめることによって薄れています。子産はいつかきっと長編小説で読みたいですね。中国史上最初に国民へ法律を示した人でもあるそうです。それまでは、従うのみだった国民を賢くしたのは間違いなく子産のおかげでしょう。
簡公が名君なのは、父殺しに連座して殺されるはずだった子産を恨まなかったこと、子皮は彼を抜擢したことです。孔子からは、
「賢人を進める人がほんとうの賢人である」と讃えられました。
まさに活躍の機会を与える人こそ、人物が大きいともいえそうです。影の戦いに徹する。素晴らしい人材が鄭にはいたのですね。小国だったのが残念。
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