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一般的にも忠言は耳に逆らうし、権威、権力に平伏しない屹立した人格の人を、権力者は憎悪するものです。実は、それ自体が権力者の傲慢であり、権力の魔性なのです。
(中略)
つまり、無実の罪をつくりあげ、大悪人に仕立て、断罪するというのが、いつの世も変わらぬ弾圧の図式です。
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広宣流布の道とは、見方によっては、讒言との戦いであるともいえます。讒言の包囲網を破り、仏法の、また学会の真実を知らしめ、賛同と共感を勝ち取る言論の戦いであり、人間性の戦いです。
本来、学会の勝利は明らかなのです。なぜならば、いかに、嘘、偽りを重ねても、真実を覆すことは絶対にできないからです。御聖訓にも『悪は多けれども一善にかつ事なし』と仰せではないですか。
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そして、学会活動と健康について、
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妙法流布の仏子を讃え、励まし、仏法を語れば、歓喜がわき、力がみなぎるものだ。それは、菩薩の、また仏の、強い生命が全身にあふれてくるからだよ。だから、学会活動をすればするほど、ますます元気になる。戦うことが、私の健康法でもある。
もちろん、人間だから疲れもする。仏法は道理だから、休養も大切だ。しかし、学会活動をやり抜いた疲労は、心地よい、さわやかな疲労であり、すぐに疲れも取れる。
しかし、同じように学会活動をしているように見えても、疲労が溜まる一方の場合もある。それは、受け身の場合だね。心のどこかに、言われたから仕方なくやっているという気持ちがあれば、歓喜もないし、元気も出てきません。
元気になるには、自ら勇んで活動していくことが大事だ。そして、自分の具体的な目標を決めて挑戦していくことだ。目標をもって力を尽くし、それが達成できれば喜びも大きい。
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彼は、疾風も、怒涛も、覚悟の上であった。人類の永遠の平和とヒューマニズムの勝利のために、伸一は殉難を恐れず、創価の大船の舵を必死に取り続けるしかなかった。
船内の同志たちの幸福と安穏とを、ひたすらに、祈り念じながら――。
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