2016年5月15日日曜日

「新・人間革命」7巻 萌芽の章

1960年の海外発のアメリカ訪問を出発として、世界は確実に広布の種子の萌芽の時期を迎えていた。伸一が行くところだけでなく、幹部も成長し、幹部も同時進行で広布にかける重層的な展開となったのが今回の旅の特徴といえる。また、行く先もアメリカ、ヨーロッパ、中東と世界一周の様相を呈してきた。アメリカでは、ハワイ、ニューヨーク、ロサンゼルスに支部が結成。

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地表から見ている時には、限りなく高く感じられる石の壁も、飛行機から眺めれば、地にへばりついているような、低い境目にしか見えない。同じように、自分の境涯が変われば、物事の感じ方、とらえ方も変わっていくものだ。逆境も、苦難も、人生のドラマを楽しむように、悠々と乗り越えていくことができる
その境涯革命の原動力は、強い一念を込めた真剣な唱題だ。題目を唱え抜いて、勇気を奮い起こして行動し、自分の壁を打ち破った時に、境涯を開くことができる。
南無妙法蓮華経は大宇宙に通ずる。御書にも『一身一念法界に遍し』とあるじゃないか。宇宙をも包み込む大境涯に、自分を変えていくことができるのが仏法だ

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布教は、友の幸福を念じ、自分の信ずる最高の教えを、最高の生き方を教えていく、崇高な慈悲の行為です。ゆえに、布教をしていけば、真の友情と信頼が生れます。
さらに布教のなかにこそ、真実の仏道修行があり、人間革命がある。なぜならば布教は、自分の臆病な心や生命の弱さを打ち破るという、自己自身との戦いから始まるからです。
懸命に、わが友に仏法を語り抜いていくならば、歓喜がみなぎり、自身の境涯が開かれていきます。その時に、地涌の菩薩の大生命が、わが胸中に脈打っていくからです。
この弘教のなかにこそ、自らの人間革命があり、自身の、さらに社会の宿命を転換し、永遠の幸福と平和を築きゆく直道があります。

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そして、題目の次に教学が必要なことについて、

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皆さんのなかには、“なぜ、難しい教学なんてやるのだろう。お題目を唱えて功徳があれば、それで十分だ”と思っているのではないでしょうか。
正しい信仰には大功徳がありますが、同時に必ず難もあります。その時に教学がないと、信心に疑問をいだくようになってしまう戦時中、日本の軍部政府の弾圧によって、牧口先生、戸田先生が逮捕された時、幹部は皆、退転してしまった。教学がなかったからです。
しかし、教学を身につけていれば、なぜ、正しい信仰に難が競い起こるのか、どうすれば一生成仏できるのかがわかります。また、仏法を語る場合でも、なぜ大聖人の仏法が偉大なのか、正しい宗教とは何かなど、理路整然と語り、納得させることができる。
だから、大聖人は『行学の二道をはげみ候べし、行学たへなば仏法はあるべからず』と、『行』とともに『学』の重要性を強調されているのです

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まさに、信心の基本である。行(自行と化他行)及び学についてこの章では教えられていると思います。

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人間の一生には限りがある。そのなかで、人生をいかに生きるかが、最も重要な問題です。もしも、自分の社会的な地位や名声、財産を得ることに汲々として、人生を送るとするならば、最後は空しさだけが残るにちがいありません。
結論していうならば、人びとの絶対的な幸福のために、世界の平和のために貢献していくことです。つまり、広宣流布のために生き抜いてこそ、最高の歓喜と充実のなかに、最も意義のある自分自身の人生を完結していくことができる。そのための信仰です。

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