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自分が強くなければ、人に対して、優しい心遣いはできません
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あの、『イソップ物語』の「北風と太陽」の話のように、人の心のマントを脱がせるものは、寒く激しい北風ではない。それは、人を思いやり、包み込む、太陽のような慈光の温かさである。
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家族の幸せのために、入会を祈ってゆくことは大切ですが、根本は、信心のすばらしさを、皆さんが身をもって示していくことといえます。
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そして、創価学会の信奉する日蓮仏法は悪と戦うことを大切にしていることを明記。
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悪と戦わず、悪を見過ごすことは、結果的に、悪を野放しにし、助長させることになってしまうからだ。しかし、その戦いの方法は、どこまでも“折伏”という対話であられた。しかも、命に及ぶ迫害を被りながらも、自らは非暴力に徹し、終始、言論による戦いを貫かれている。
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この悪と戦うことについては、2003年の本部幹部会での先生のスピーチにもこうある。
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日蓮仏法の根幹である「御義口伝」には、「功徳」の意義として「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」と説かれている。私の好きな一節である。
生命の悪を滅し、善を生ずる―これが「功徳」である。
悪と戦うことが、どれほどすばらしいか。全部、自分自身をつくり、絶対の幸福境涯をつくることにつながる。
広布のために悪と戦えば、功徳がある。戦わなければ功徳はない。私の後に続くのだ―こう大聖人は繰り返し、教えておられる。
2003年2月本部幹部会でのスピーチ
******************************宗教が戦時中に軍部に屈してしまったのも悪を看過してきたからだ。学会はあえて弾圧を受けた。
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言論、出版の自由が保障された世の中で、平和を叫ぶことは容易である。しかし、それが仮面の平和主義であるか、本物であるかを見極めるには、あの戦時中に、何をなしたかを問わねばならない。これは、ジャーナリズムに限らず、宗教についてもいえる。今日、いかに平和や民主を叫び、正義の仮面を被ろうが、戦時中の在り方のなかに、その教団の正体があることを見過ごしてはなるまい。
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伸一は、しばらくすると、ベッドから起き上がった。そして、イスに座ると、御守りご本尊に向かい、真剣に題目を唱え始めた。大生命力を自身の内より引き出し、病魔を打ち破らんとする、ひたぶるな祈りであった。長い唱題であった。
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