1965年元旦、沖縄で執筆を開始された「人間革命」の連載がスタート。聖教新聞も日刊化へ向けて準備が進む。伸一の激励もあり、晴れて7月15日付で日刊化が実現したのだった。海外にも機関紙の発刊が進む。
人間革命―――そこに、いっさいの原点がある。
根本をなしているのは、人間であり、自己自身であるからだ。
自分自身の生命の変革が、家族を変え、地域を変え、社会を変える。時代を変え、歴史を変え、世界を変える。
特に指導者論について、
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指導とは、この“わだかまり”を取り除き、勇気を与えることである。希望を与えることである。
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戸田先生は、『一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな』と詠まれましたが、私どもは、人間を脅かす魔性の生命への追撃の手を、断固、ゆるめることなく、果敢に広宣流布に生き抜いていこうではありませんか!
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指導者には、力と知恵と責任がなければならない。どんなつらいことがあっても、それを乗り越え、頑張り抜く、責任感のある人物が、大指導者に育っていくというのが永遠不変の法則です。
また、後輩に対しても、自分以上の力をつけさせていける、雅量のあるリーダーでなければならない。それには、まず率先垂範だ。その姿、行動が、真実の触発をもたらしていくことは間違いない。ただ命令したり文句を言うだけの、権威主義の人物の下では、人は決して育たない。
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学会精神とは、浅きを去って深きに就く、一人立つ「丈夫の心」である。
殉難を恐れぬ、「死身弘法」の決意である。
間断なき「未曾暫廃」の持続の闘争である。
情熱と勇気の、「勇猛精進」の実践である。
いかなる難も、莞爾として耐え忍ぶ、「忍辱大力」である。
大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く、「如説修行」の行動である。
邪悪を許さぬ、「破邪顕正」の精神である。
正しき信心の血脈に結ばれた、「師弟不二」の道である。
堅固なる「異体同心」の団結である。
一人ひとりを仏を敬うがごとく大切にする、「当如敬仏」の心である。
この学会精神を伝えるには、どうすればよいのか――答えは明らかである。自らが行動することだ。精神の継承は、振る舞いのなかにのみある。
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雅量のところでも紹介した部分ですね。
率先垂範とは、中々勇気がいることです。その勇気こそが魔性の生命を破るものであるからには、常に臆病の心との戦い、すなわち勇気こそ率先垂範です。
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