2016年5月13日金曜日

中国文明史 ~殷~

何故か中国に興味が惹かれるこの頃である。菜根譚しかり。昔、一読した陳舜臣氏「十八史略」を読み返そうかとも思ったが既に手元になく、今度はビジュアル的に広く時代々々の文化を学ぼうと思い図書館へ行った。

いいのがあった。「図説中国文明史」全10巻。そのうち、1巻は先史時代のものであり、興味が低かったため、夏(B.C.2070年~B.C.1600年)のところをさっと読んで、2巻へ進んだ。夏も遺跡は見つかってその存在は確実視されているものの、文字が残されていないため先史時代であり、漢字の源流である甲骨文字を発明したから始めることにした。

要点をまとめると次の通り、

【殷】 B.C.1600年~B.C.1050年頃(自称でとも)

<特徴>
・洛陽のやや東側に何度か遷都しながら(首都)をおいた。
・夏、殷、周は文化圏が異なるがほぼ同時期に並存し武力で王権交代した。
武力により地方勢力(方国)を支配下におき、四方に拠点を置いた王朝。
・方国から連れてきた奴隷は厳しい刑罰によって支配。
・王権と神権を二つながらにもつ祭政一致王朝。
・軍隊は三師戦法等組織化され車も使用。ただし、徴兵は臨時性。
・万般において占卜に頼り、人祭(人を生贄にする)や殉葬を頻繁に行った。
青銅器文化の花開いた時代で特に礼器に技術の粋が。
・後期に甲骨文字を発達させた。

そして、この文字の発明こそが、黄河文明を古代文明の中で唯一存続させた原因と著者・稲畑耕一郎氏は語る。国は滅んでも文字を継承することで文明として存続しえたと。中々面白いですね。コラムも面白いですよ。大量生産なのに個性を出すにはどうするか→ユニット生産して組み合わせを無限にする。これは現在の考え方に比べてもさほど見劣りせず、殷は文化としてはかなり成就していたことが伺えます。ただし、人を殺すことに対してはまだ鈍感だった気がします。方国から奴隷として連れてこられた人々はかなり悲惨な目に遭わされたのだろうと。


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