戸田先生の七回忌を期して「本門の時代」に入ることを宣言。獅子身中の虫の胎動を予感させる。本物の青年を育てていくしか道はなかった。
新しき時代は、青年の腕にある。
“出でよ、幾万、幾十万の山本伸一よ!”
伸一は、心でこう叫びながら、この一九六三年の夏も、青年の育成に全力を注いだ。
個人指導について、指導者論について、
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彼は、男女青年部の活動が、会合や行事の運営などが中心となり、個人指導がなおざりになっていくことを心配していたのである。
学会活動の基本は、自行としての勤行・唱題と、化他行としての折伏と個人指導にある。
また、味方によっては、折伏とは、一人の人が入会することで終わるのではなく、個人指導を重ね、その人が自分以上の人材に育ってこそ、完結するということができる。
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知識や学力が大切であることはいうまでもない。しかし、学歴イコール知識・学力ではない。ましてや、学歴イコール人間の能力ではない。指導者には、知識・学力は必要ではあるが、同時にそれを生かす知恵こそ、不可欠である。また、勇気、信念、情熱、行動力の有無も重要なポイントとなる。さらに、何よりも、他人を思いやる心や、自分を律する力など、人格、人間性の輝きといった事柄が、求められていかねばならない。そして、それは、その人のもつ思想、哲学と不可分の関係にある。
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獅子身中の虫の姿について、
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信仰とは、己心における仏と魔、善と悪の闘争だ。魔、悪に打ち勝つためには、仏道修行という生命の練磨が絶対に不可欠である。しかし、真剣に、また地道に信心に励むことのなかった山脇の心は、いともたやすく、第六天の魔王に支配されてくのである。
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「正法正義」を守っているかのように取り繕い、権威を維持することに慣れきってしまった彼らには、謗法を犯したことへの痛みもなければ、反省もなかった。生き方の根本にあるのは「法」ではなく、自分たちの「保身」であるからだ。
「広宣流布」を捨てて、「保身」が目的となれば、人間は規範を失い、欲望の奴隷となっていく。
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現在の組織が当てはまらないとは言えない状況もある気がします。
これは、幹部の在り方とも相通ずるものがあります。獅子身中の虫とならないよう、厳に戒めていかないといけません。
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