楚は現在の湖北省、湖南省の広い地域にまたがる大国。
ここであげられた二人は魯の?と違って確かに逸材です。
・屈巫(巫臣)
・蔿艾猟(孫叔敖)
が、とにかく家系の説明が長く、本人が活躍する話はわずかという事が多い。
屈巫は楚の荘王という覇者を補佐したほどの人物であるからすごいのだけれど、自分が一目ぼれした女性の取り合い合戦が主テーマとなっては太鼓判を押せません。荘王の死後は晋の臣下になりますし。その名の通り、巫術に優れていたようですので記憶には残るかもしれません。女性の取り合い合戦の末に一族を殺されて、それを恨むのもどうかと思いますが。
蔿艾猟は陰徳を積むことのできる人だったということは言えそうです。そして、長期的な視野を持ち、一族を栄えさせたのだから中々の人物だったのでしょう。
「陰徳有る者は、必ず陽報有り」とは漢の時代に成立した「淮南子(エナンシ)」という書物の文章から来ていることをしって少し得した気分にさせてもらいました。仏教用語とのみ思っていたのですが。
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