重要行事をこなしゆく伸一。夏には伝統の「立正安国論」を講義。参加者に社会の平和建設への自覚を促し、新たな前進の活力をもたらしていったのである。
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伸一は、広宣流布とは、権力の魔性との戦いであることを痛感していた。
人間の尊厳を脅かす、権力や武力などの外的な力に対して、内なる精神の力をもって、人間性の勝利を打ち立てていくことが、仏法者の使命であるからだ。
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およそ、青年を触発する何かを与え続けることほど、難しいことはない。
伸一は、それを可能にするには、自分が、自身の原点であり、規範である師の戸田を、永遠に見失わないことだと思った。源を離れて大河はないからだ。また、求道と挑戦の心を忘れることなく、自己教育に徹し、常に自分を磨き、高め、成長させていく以外にないと感じていた。そして、私心を捨て、人類の幸福のために生き抜く自らの姿を通して、青年の魂を触発していこうと、伸一は誓うのであった。
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今日の聖教新聞の「わが友に贈る」でも、先生の偽りない気持ちが伝わってきます。
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「さあ、これから」と日々、向上の息吹を燃やして進もう!
求道と挑戦の中に人生の栄冠は輝く!
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題目と念仏の違いについて、念仏の諦め思想をつく。
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釈尊の真意は、この娑婆世界こそ、本来、浄土であると示すことにあった。娑婆即寂光土であり、衆生の心が汚れていれば、住む世界も穢土となり、心が清浄であるならば浄土となる。衆生の一念の転換によって、この娑婆世界に浄土を現出させることができるのである。
それを説き示したのが法華経であった。
彼方の世界に救いを求める、念仏の教えは、穢土である現実社会への諦めと無気力と逃避をもたらしていくことになる。
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日蓮は、「立正安国論」を北条時頼に上呈すれば、激しい迫害にさらされることは十分に予測していた。しかし、彼は、大難を覚悟で、この書を上呈し、国主を諌暁したのである。それは、民衆の苦しみをわが苦とする、同苦ゆえの行動であった。
真実の同苦は、ただ、苦悩を分かち合い、ともに嘆き悲しむことだけでは終わらない。また、単に、同情と慰めの言葉だけに終わるものでもない。まことの同苦の人には、人びとの苦悩の解決のための果敢な行動がある。慈悲から発する、何ものをも恐れぬ勇気がある。そして、不屈の信念の持続がある。
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伸一は、ヨーロッパ訪問を前に、一人誓った。
“今こそ、人間と人間を結ぶヒューマニズムの哲学を、広く人びとの心に、浸透させていかなくてはならない。世界の立正安国の道を開くのだ・・・・・・”
彼は、二十一世紀の大空に向かい、大きく平和の翼を広げようとしていた。
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