2016年5月12日木曜日

「新・人間革命」5巻 獅子の章

政治の分野で王仏冥合を理念とする公明政治連盟が1962年1月に発足。伸一は、戸田先生の生前から王仏冥合の解釈について深く思索をこらしてきた。また、4年半の長期に渉った大阪事件の裁判の無罪判決を勝ち取ったのだった。

信心の目的について、

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「私は昨年の新年の勤行の折も、この三指針の話をいたしましたが、今年も同じ話をするのは、この三指針に、どこまでも信心の目的があるからです。
学会は、今や二百三十万世帯を超え、事実上、日本の柱となりましたし、これからも、さらに布教の渦を巻き起こしていきます。
では、その目的は何か。学会という教団が勢力を拡大することでもなければ、議員を増やすことでもありません。この戸田先生の示された三指針を、一人ひとりが現実のものとして、一家の和楽を、人生の幸福を、何ものにも負けない自己自身を築き上げていくことこそ、私どもの目的であります。

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三指針とは、有名な『一家和楽の信心』『各人が幸福をつかむ信心』『難を乗り越える信心』であり、その後、池田先生によって、『健康長寿の信心』『絶対勝利の信心』が加えられ永遠の五指針となったものです。


王仏冥合について、これまでにも政教分離の話で取り上げましたが、今一度、

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この『王法仏法に冥じ』の『冥』の字は『暗い』『幽か』『深い』という意味がある。つまり、表面的な形式や制度上の合体とは異なっている。『王法』と『仏法』が、奥深くで合致することであり、人間の営みである、あらゆる文化の根底に、仏法の哲理、精神が、しっかりと定着するということだ。もちろん、文化の根底といっても、社会を建設していく人間の心、一念のなかに仏法の哲理が確立されることを意味する。
また、『仏法王法に合して』とは、仏法の哲理、精神が、一人ひとりの生き方、行動を通して表れ、世間の法が、社会そのものが、仏法の在り方と合致していく姿だ。

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私は、結論すれば『王仏冥合』の姿とは、世界のすべての国が栄え、それぞれの国の社会の繁栄と個人の幸福とが一致することであると思っている。政治も、経済も、科学も、教育も、すべて人間の手に取り戻して、人類の幸福の糧としていくことだ。そこに、これからの創価学会が果たしていかねばならぬ使命があり、仏法の社会的行動がある。

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人間の手とは、権力の魔性に対する民衆という意味でしょう。そして、経済と幸福のところで述べましたが、まずはあらゆる文化に先立って人類共通の哲学がいるということではないでしょうか。先に哲学、それから経済や教育、政治 etc.・・・。



王仏冥合の未だならざる世界で、大阪事件に臨むに際し、

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何も悪いことをしていない者が、有罪になる道理はない。大聖人も『道理と申すは主に勝つ物なり』と仰せになっている。つまり、道理は権力にも勝つ。

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学会は民衆を組織し、立正安国の精神のうえから、民衆のための政治を実現しようと、政界にも同志を送り出してきました。その学会が飛躍的な発展を遂げているのを見て、権力は、このままでは、学会が自分たちの存在を脅かす一大民衆勢力になるであろうと、恐れをいだいた。そして、今のうちに学会を叩きつぶそうとしたのが、今回の事件です。

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権力の弾圧の仕方はいつでも同じです。微細なことから崩壊を目論見ます。よって、臆病にならないことがまず第一の勝利の条件といえましょう。先生が4年半戦ったごとく。



権力の魔性の鉄鎖を打ち砕いた若獅子は、自由の大地を蹴って、さっそうと使命の疾走を開始したのだ。
伸一は、車窓の景色に視線を注いだ。空には、雲の切れ間から、太陽が、まばゆい光を投げかけ、彼の行く手を照らし出していた。

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