行く手には、多くの不信と憎悪の、荒涼たる精神の原野が広がっていた。そのあまりに遠く、長い道のりは伸一にしかはっきりと見えていなかったことだろう。西ドイツからオランダのアムステルダム、フランスのパリ、イギリスのロンドンへと地道すぎる広布旅は進む。
学会のことなんて見向きもされないのではないかという幹部の懸念に応えたところ、
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「大丈夫だよ。学会によって、無名の民衆が見事に蘇生し、その人たちが、社会を建設する大きな力になっていることを知れば、賢明な指導者ならば、必ず、学会に深い関心を寄せるはずです。いや、既に、大いなる関心をもっているでしょう。
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そして、哲学の意義について、
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「私ども創価学会は、仏教の精髄である、日蓮大聖人の仏法を信奉する団体であります。仏法のヒューマニズムの哲理をもって、人間の心、生命という土壌を耕し、世界の平和と人類の幸福の実現をすることが、私たちの目的です。
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さらに、科学の研究が進めば、仏法の真実が証明されていくと思います。仏法と科学は、決して相反するものではなく、むしろ、科学を人間の幸福のために、正しくリードしていくのが仏法です。
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では、なぜ、文化や芸術を愛する人間が、“野蛮”の最たるものといえる戦争を讃美し、積極的に協力していったのか。
一つの次元からいえば、それは、「確固たる自分がなかった」ということではないか。自分がないとは、結局、哲学がないということである。その哲学とは、自分の心を、人間性を耕して、生き方、信念を形成するものという意味である。
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「権力に酔う人間は、武力や権力、あるいは金の力で、なんでもできると思ってしまう。しかし、不屈の信仰に生きる人間の心、精神を自在に操ることなど、絶対にできない。どんなに過酷な弾圧も、不屈の人には、信仰の火に油を注ぐことでしかない。また、そうであってこそ本当の信仰だ。
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指導者論について、
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指導者は、まず自らが学び、体験しなくてはならない。それを怠った時には、既に堕落であり、もはや真実の指導者ではない。虚構の権威の人にすぎなくなってしまう。
私も、いつも、それを自分に言い聞かせている。だからこそ、寸暇を割いて、世界を回ろうと思っているんです。
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ドゴールの強き一念の源泉とは何か。それは『私自身がフランスである』との自覚です。我々の立場でいえば『私自身が創価学会である』との自覚ということになる。
人を頼むのではなく、“自分が主体者であり、責任者だ。自分が負ければ、みんなを不幸にしてしまうのだ”という思いが人間を強くする。
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一流について、
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一流になろうと、本当に決意しているならば、そこには、既に行動がある。既に努力があります。成功とは、努力の積み重ねの異名です。
夢と憧れだけをいだき、真剣な精進がなければ、気ばかり焦り、現実はますます惨めになってしまう。大切なのは、足元を固めることです。仏法は最高の道理であり、その努力のなかに信仰がある。
また、自分を開花させ、崩れざる幸福を確立していくには、信心という生き方の確固たる基盤をつくることです。人間は自分の境涯が変わらなければ、いくら住む所が変わっても、何も変わりません。その境涯を革命するのが仏法です。
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“開道”は対話から始まる。勇気の言葉、誠実の言葉、確信の言葉が、閉ざされた人間の心の扉を開くからである。
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