仏法は勝負である。
なれば、人生も勝負であり、広宣流布の道もまた、勝負である。
人間の幸福とは、人生の勝者の栄冠といえる。そして、世界の平和は、人類のヒューマニズムの凱歌にほかならない。
その勝利とは、自己自身に勝つことから始まり、必死の一人から、大勝利の金波の怒涛は起こる。
ヨーロッパから帰国後の伸一は、残り2ヶ月となった1961年の総仕上げの活動にまい進。男子部は十万、女子部は八万五千人の総会を。その間、大阪事件の公判も大詰めを迎えていた。正義は勝つと確信しながら。
学会の職員の姿勢について、
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「細かいことまでチェックしているようで申し訳ないが、実は小事が大事なんです。火事や事故の原因というのは、すべて小さなことから起こっている。幹部は、そうした細かいことに気を使っていくことが、結果的に、会員を、同志を守ることになる」
さらに、ここに勤務することになる職員に言った。
「会館の調度品や備品も大切に扱ってください。皆が仕事で使う鉛筆一本にいたるまで、その財源を担ってくれているのは学会員であり、同志の尊い浄財です。だから、紙一枚にしても無駄なことをしてはならない。
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賢者は大胆にして細心であります。愚者は大雑把にして小心。
指導者論について、
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世界を指導すべき大国が、原水爆によって、全人類を恐怖と不安のどん底に叩き落としていることを述べるとともに、国内にあっても、本来、民衆を守るべき指導者が、権力の虜となっていることを指摘していった。
そして、その原因に言及していったのである。
「なぜ、世界も、日本国内も、不幸と悲惨が絶えないのか。それは、日蓮大聖人の大仏法を鑑として拝すれば、すべては明らかであります。
その原因は、いずれの指導者にも、社会を支えゆく民衆にも、確かなる指導理念・哲学がないことにあります。仮に、哲学をもっていても、自他ともの幸福を実現しゆく生命の大哲学ではありません。
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新しい感覚や発想というのは、なかなか理解しがたいものだ。しかし、若い世代が未熟であるのは、当然のことといえる。むしろ、それゆえに、無限の可能性をもっているのである。要するに、未熟だといって、すべての可能性をつぶしてしまうのではなく、若い世代のよさを、いかに引き出していくかである。
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新しき時代の幕は、青年が自らの力で、自らの戦いで、開くものだ。他の力によって用意された檜舞台など、本物の獅子が躍り出る舞台ではない。時代のリーダーたらんとするならば、その舞台は、自らの手で勝ち取る以外にない。
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幸福論について、
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「相対的幸福」とは、経済的な豊かさや社会的な地位など、自分の外の世界から得られる幸福である。そんな幸福は、ひとたび環境条件が変われば、いともたやすく崩れ去ってしまうものだ。これに対して、「絶対的幸福」とは、いかなる困難や試練にも負けることなく、生きていること自体が楽しくてしようがないという境涯の確立である。
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彼には、春の桜にも、秋の紅葉にも、親しむ暇はなかった。しかし、その胸中には、民衆の幸福の桜が咲き馨る、絢爛たる創価山の雄姿が映し出されていた。
先生の謙遜も含まれていると思います。実際はこんなに多忙な中でも心の中には桜も舞い、紅葉狩りもしていたであろうと。先生が道中の束の間に撮られる写真でも伝わります。
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