アジア訪問には仏法上の甚深な意味があった。
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雲の井に 月こそ見んと 願いてし
アジアの民に 日(ひかり)をぞ送らん
この和歌を聞くと、伸一の心は躍った。それは1956年(昭和31年)の年頭に、戸田が詠んだ懐かしい和歌であった。―――雲の切れ間に、ほのかな幸の月光を見ようと願うアジアの民衆に、それよりも遥かに明るく、まばゆい太陽の光を送ろう、との意味である。
ここでいう「月」とは釈尊の仏法であり、「日」とは日蓮大聖人の仏法をさすことはいうまでもない。戸田は、「諌暁八幡抄」などに示された、大聖人の「仏法西還」の大原理をふまえ、東洋広布への決意を詠んだのである。この戸田の決意は、そのまま、愛弟子である伸一の決意であった。
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今回の山本伸一のアジア訪問の目的は、日蓮大聖人の御予言である、“仏法西還”の第一歩を印し、東洋の幸福と恒久平和への道を開くことにあった。
日蓮大聖人は「諌暁八幡抄」に、次のように仰せである。
「月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり」
日蓮大聖人御書全集 諌暁八幡抄 588ページ
この「諌暁八幡抄」のほか、「顕仏未来記」などにも、同様の趣旨の御文がある。いずれも、日蓮大聖人の仏法の西還を予言され、東洋、世界への広宣流布を示されたものである。
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アジア初、香港の地区結成に際して、池田先生(戸田先生)の重要な宿命論・生命論が完結に説かれています。長いですが重要な箇所ですので、
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この宿命が、どこから生じたのかを徹底して突き詰めていくならば、どうしても、今世だけで解決することはできない。生命が永遠であるという観点に立たざるをえません」
伸一は、参加者に視線を注いだ。皆、真剣な顔で耳を澄ましていた。
「三世にわたる生命の因果の法則のうえから、この宿命の根本原因を明かし、宿業の転換の道を示しているのが仏法なんです。
では、仏法では、宿命はいかにしてつくられると、説いているのか――。
自分以外のものによってつくられたのではなく、過去世において、自分自身がつくり出したものだというんです。少し難しくなりますが、身・口・意の三業の積み重ねが、宿業となるのです。つまり、どのような行動をし、何を言い、何を思い、考えてきたかです。
たとえば、人を騙し、不幸にしてきたり、命を奪うといったことが、悪業をつくる原因になります。さらに最大の悪業の因は、誤った宗教に惑わされて、正法を誹謗することです。
これは生命の根本の法則に逆行することになるからです。
さて、人間は、死ねばどうなるのかという問題ですが、生命は大宇宙にとけ込みます。
戸田先生は、その状態を、夜になって眠るようなものであると言われている。さらに、眠りから覚めれば新しい一日が始まる。これが来世にあたります。生命は、それを繰り返していくのです。
ここで大事なことは、死後も、宿業は消えることなく、来世まで続くということです。たとえば、一晩、眠っても、昨日の借金がなくなりはしないのと同じです。今世の苦しみは、また来世の苦しみとなります。
今世で、七転八倒の苦しみのなかで死ねば、来世も同じ苦を背負って生まれてきます。人を恨み抜いて、怨念のなかで死を迎えるならば、来世も、人を恨んで生きねばならない環境に生まれることになる。死んでも、宿命から逃れることはできない。ゆえに、自殺をしても、苦悩から解放されることはないんです。
反対に、幸福境涯を確立し、喜びのなかに人生の幕を閉じれば、来世も、善処に生まれ、人生の幸福の軌道に入ることができます。
こう言うと、なかには、来世も宿業で苦しむなら、生まれてこないで、ずっと眠ったままの状態の方がいいと思う方もいるでしょうが、そうはいきません。生まれる前の、大宇宙にとけ込んだ状態であっても、生命は苦しみを感じているんです。ちょうど、大変な苦悩をかかえている時には、寝ても、悪夢にうなされ続けているようなものです」
彼は、生死という根本の問題を、わかりやすく、噛み砕いて語っていった。
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これで、人に見られていないからと悪いことをした人の末路が哀れなのがお分かり頂けると思います。今世で大丈夫だったように思えても、来世は戦争の真っただ中で生まれて死ななければいけなかったりと、苦しい環境、また障害をもったりと苦しい身体で生まれてこなければならないのです。それを今世で転換できる方法を具体的にしかも万人ができる形で説いたのが日蓮大聖人の仏法なんです。なんと希望の哲学ではないでしょうか? 南無妙法蓮華経の題目こそ、最高の修行なのです。
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