2016年5月26日木曜日

中国文明史余話 ~戦国の斉編~

斉は秦とどちらが天下をとるかというくらい、戦国七雄のうちの二大国であった。最期に滅ぼされたのも斉。しかしながら、斉も一度、あの燕の名将、楽毅にもっとはやく滅亡させられそうになったことがある。

次の二人のうち一人は、その滅亡を救った英雄である。

・田単
・孫臏(ソンピン)

田単が、楽毅が落とした70余城の後に残された3城に立てこもり、楽毅を失脚させて、後釜の将を大敗北させ70余城を取り戻した人で、小役人出身というからまさに英雄です。ちょっと権謀術数が多い人のイメージはあります。最期はあまり斉で優遇されず、これまた楽毅と同じく趙に優遇され宰相とまでなったというから、趙の恵文王の徳もすごかったのだと改めて感じました。楽毅と田単は趙で再開してこの時のことをたぶん幾度となく語り合ったでしょうね。

孫臏は、これまた有名で、孫子の兵法の孫子には実は二人モデルがいた!というもう一人の方です。孫子の兵法と普段使われている方は、呉にいた孫武のことですが、この時代、孫子といえば、この斉の孫臏も兵法家として知られていたことが、出土した竹簡から分かったのです。臏とは、魏の同学の者に騙されて、彼が両足を切られる刑をうけていたからです。その復讐を国同士の合戦で果たすのだから痛快なエピソードです。孫武よりも物語性はもっている人ですね。

この二人にあった「菜根譚」一度絶望の淵に立たされる程、苦労したことが名を上げる鍛錬となったこの条文でしょうか。

第127条
  災厄や逆境、困窮に遭う事は人間を鍛える
  一つの鍛冶床である。
  よく鍛えれば心身と共に益し、
  鍛えないと心身共に駄目になる。




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