2017年2月25日土曜日

中国歴史小説 ~楽毅④~

いよいよ最終章。彷徨ったのち、燕の卿に昇った楽毅が斉の70余城を落とすシーンがメインと思いきや…。割かれたページ数も少なく、意外と淡々とした描写であり、そこまでの経緯の方に力が注がれていたなと感じました。
それでも痛快ではないですか。わが身の不遇にあてはめて、歴史上の人物が逆転劇を成し遂げるシーンというものは。私にも春がそろそろきそうです。我ながら引際は歴史に叶っていたと思うのです。反転攻勢のこのときに「楽毅」の最終章を読破でき光栄です。

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ついに中山国は滅亡した。祖国を失った楽毅は趙の主父から仕官の誘いを受けたが、折しも王位の継承をめぐり趙では内戦が勃発。主父は無惨にも餓死に追い込まれた。諸国を転々とし雌伏のときを過ごしていた楽毅の前途に光明がさす。楽毅の将才を高く評価する燕の昭王が三顧の礼で迎え、大望を託そうとしていた……。三国志の諸葛孔明、劉邦らを魅了してやまなかった名将を描く歴史巨編。

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そして抜粋、

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学問をする者は、年齢にかかわりなく、童子のような純粋さをもって師に仕えなければ、教義の深奥をのぞきこむことはできない。

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人は不運ゆえに、胆知を練り、知恵を育てる。幸運のつづく者が、そんなことをするか。

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失敗を心中でひきずりつづけると、起死回生の機をとらえそこなう。それは戦場における教訓にすぎないともいえるが、大きな勝利とは、相手の失敗につけこむのではなく、自分の失敗を活かすところにある。楽毅の信念はそうである。

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外交は生き物であり、どう変幻するかわからない。人も国も夢幻と化しやすいこのときに、すべてに不信のまなざしをなげかけていては、正気を保っていられない。

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賞罰は戦いに勝つための助けになるが、もっとも重要というわけではない。そのほか、権、勢、謀、詐も、勝利への補助にすぎず、孫臏がもっとも需要であると考えたのは、、であった。

信なる者は昌え、兵を窮むる者は亡ぶ。

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――引いて勝つ

ということがわからなかったのではないか。

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わかるということは教義を心身におさめることで終わりではなく、挙措進退に、日常と非常に、活かすことでなければならない。まずそれを知ることから、人の深化がはじまるといってよい。軽々しい理解のしかたをする者は、おのれの深化のための端緒をつかめないまま、時勢にながされてゆくだけであろう。

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私が常に大切にしているのは「引いて勝つ」ということ。その時は負けたような姿をさらす勇気が大切だと。引けばその反動を利用して勝つことができるのだ。

2017年1月31日火曜日

復活 ~そして反転攻勢へ~

長らくお休みしておりました。その間にここを訪れて下さった方に感謝々々です。

池田先生が総仕上げの2年といってくださった初戦を完全勝利で飾ることができ、私自身も気力が充実して参りました。ここに晴れて復活宣言を致します!

いきなり気合いを入れすぎても何なので、ここは少し愉しいネタから入りたいと思います。明日からは「勝って兜の緒を締めよ」で、池田先生のSGI提言を読んだり、その他乗り越えなければいけない事柄が沢山待ち受けたりしています。楽毅の最終章も楽しみですね。痛快に斉の城を落としていく場面が待っているはずです。



今日は何といっても 小休憩の日。



小学校の頃、ファミコンに熱中した方は多いのではないでしょうか?

でも母親に1時間だけ、皆で仲良く、なんて制限が入り、クリアできずじまいに終わっていた懐かしいゲームが皆さんにも1つや2つあるのでは?


わたくし、この2本を今年はクリアしました。お正月に、「東海道五十三次」、そして今日、「スカイキッド」です。どちらも隣の家に遊びに行っていたとき知ったゲームで自分では所有してなく、ずっと気になっていました。今まさに復活の時にふさわしくエンディングを見届けました!

きもちいい!!

どちらもエンディングはあっさりと写真を撮る閑もないくらい。ですので、写真はエンディング直前シーンです。そして、明確にクリアとならず無限ループに戻っていきます。ファミコンならではですね。




▲右側に突然、ももこちゃん棒立ちで待ってます!

 ▲26面の空中戦艦を爆撃しないと終われません!





こんな小ネタも挟みながら、ここに少しでも有用な情報を書いていけたらと思います。では、今後ともよろしくお願いします。


2016年7月1日金曜日

本日から休診

しばらく休診いたします。

再開は楽毅の最終章に合わせ「反転攻勢」がテーマです。

まず今は雌伏のときと定め、静養に精を出そうと。

2016年6月27日月曜日

中国歴史小説 ~楽毅③~

ちょっとずつ、ちょっとずつと思いながらも重なれば一巻。第三巻も楽毅は「燕」に入らずにしまいました。全四巻のうち前三巻は「趙」の歴史が分かりやすく書かれているといったほうがいいですね。宮城谷昌光氏「孟夏の太陽」というタイトルで「趙」の始祖のことも小説に書いており、格別「趙」びいきであるようです。これを読んでいると戦国前期は「魏」が強く、中期は「秦」と「斉」の二強とまとめられていた歴史が、「趙」にも天下統一とはいかないまでも北半分を版図にする勢いがあったことがわかります。武霊王の知略と武略によるところが大きいですが、その後の恵文王も別の角度から国を富ませました。ただし、この引継ぎが、武霊王を餓死に追いやってという暗さが残ります。それが、第三巻の見どころです。

大胆にして細心の武霊王は賢人といえそうですが、なぜか名君になれなかったのは細心の部分が狡猾であったからだと感じました。細心はどこまでも真心でありたいものです。


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中山国はこの世から消え去るのか――。隣国趙と成立した講和は一方的に破棄され、趙の苛烈な侵攻は再開した。中山国の邑は次々に落ち、そのさなか中山国王も没した。そして首都の霊寿もついに陥落する。東西の辺土を残すのみとなった祖国の存続をかけ、楽毅は機略を胸に秘め、戦火の消えぬ中山を離れ、燕へと向かった。抗い難い時代の奔流のなか、楽毅はなにを遺そうとしたのか。

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大切と思われた箇所、

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世論にも歴史にも、勢いとながれがある。それをみきわめただけでは故事を学んだことを活かしきったとはいえない。勢いとながれを自分でつくりだしてこそ、学んだことを活かしたといえるのである。ただし、それができるのは、万人にひとりか。

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まえをみずぎれば足もとがおろそかになる。足もとをみずぎればまえがおろそかになる。人の歩行はむずかしい。目的がなければ努力をしつづけにくい。が、人が目的をうしなったときに、目的をつくるというのが、才能というものではないか。平穏無事を多数とともに満喫しているようでは、急変の際に対応できず、人の生命と財産を守りぬけず、輿望をあつめることはできない。

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不遇や閑時にこそ勉学をと歴史は教えてくれています。晴耕雨読。今日も雨降る、本を読む。何時か反動を利用して勢いをつけるべく。

2016年6月24日金曜日

中国歴史小説 ~楽毅②~

落ち着いて読書のできない日が続いていますが、歴史的偉人は必ず読書家であることに鑑み、地道に続けます。楽毅もまた、不遇のときこそ読書をしたようです。

第二巻はいよいよ武霊王が中山国を計画的に滅ぼしにかかります。最終章に近いところで初めて「燕」に援助を頼むという話が出始め、史実である、「燕」の楽毅が「斉」を攻めるという構図に近づきます。「中山国」の宰相だったというのは宮城谷氏のフィクションと思われ(確か戦国名臣列伝で中山出身と思いたいと書かれていた)、ここで示したかったのは、中山を例にして、「ほろび」の国がどのような状態であるかということだったのでしょう。これは現在の会社等にもあてはめられるのではないでしょうか。

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祖国中山は自分にとって小さすぎるのか――。楽毅の憂色は濃く、深い。四度にわたる隣国・趙の侵略。宰相だった楽毅の父は自ら望んで死地へ赴き、祖国は国土の大半を失った。趙の侵略はとどまるところを知らず、戦火が絶えない。が、祖国の君臣は方策を講じず、内外で声望の高まる楽毅を疎んじ続けた。苦難の戦いを強いられた楽毅はどこに活路を見出し、いかに理想の自己を貫いたか。

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第二巻は、「ほろび」の哲学色が濃いところ、

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疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。

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勇と智をあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときよりも、なにもなさないときに、その良質をあらわすからです

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なにもしないとみせて、なにかをする。なにかをするとみせて、なにもしない。敵に虚実をさとらせないのは、孫子の兵法ではありますまいか

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復讐は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている

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白を黒であるといいくるめる術には信義が欠けている。あえていえば、そこには人の心がない。

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天与の幸を享ける者は希にしかおらず、その人に付すことによって幸をわけてもらうというのが幸運とよばれているものである。

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勇気とは、人より半歩すすみでることです。人生でも戦場でも、その差が大きいのです

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天下の才は、天下のために使うべきであり、それが天意というものであろう。ひとりの人物が天業のために不可欠であるのなら、かならずその人物に天啓というものがある。その天啓をさまたげようとする者は、天の怒りを買い、天譴をくだされる

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君主とは孤独に生きる人をいう。孤独に身を置かなければ、群臣と国民とが納得する聴政をおこなえるはずがない。

(中略)

好悪があきらかであることは、正直であるというより、精神の幼さを意味している。あるいは人としての弱さもそこにあり、自立するという真の意義を理解していない。中山王は孤独に耐えられないからこそ、国を孤立化させている、ともいえる。孤独をつらぬくには勇気が要る。まったく援助を得られない立場に身を置いてみて、はじめて自己と他者というものがわかる。自分で考え、自分で決断し、自分で実行する。これほど勇気を必要とすることはない。

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こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。人が戦うということは、おのれと戦うということであり、勝つということは、おのれに剋つということにほかならない。

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歴史を知ることによって、自分のむこうにある自分がみえてくる。

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歴史を知らぬ、偽善を行ってきた中山は滅ぶべくして滅ぶのだと。

2016年6月20日月曜日

中国歴史小説 ~楽毅①~

中国文明史は「漢」までいきましたが、歴史小説は「春秋戦国」や「楚漢戦争」において豊富です。読んでみたいと思っていた春秋戦国時代の人物、「子産」「楽毅」「楽喜」の三人のうち、前二人は宮城谷昌光氏が小説を書いてくれていることが判明し、一読しようと決心。省エネモードながら、少しずつ読み進めたいと思います。




一巻の概略は、外交を怠る慢心の中山国を、趙の武霊王が巧妙に侵略するのを、太子に光明を見いだした楽毅が巧みに防ぐところ、

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古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国、中山国宰相の嫡子として生まれた楽毅は栄華を誇る大国・斉の都で己に問う。人が見事に生きるとは、どういうことかと。諸子百家の気風に魅せられ、斉の都に学んだ青年を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略だった。才知と矜持をかけ、若き楽毅は祖国の救済を模索する。

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抜粋箇所は主に田文(孟嘗君)の人柄についての部分が多い。

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独りで生きることはさびしい。自分のさびしさを視、自分のさびしさを聴いたにすぎぬ

(中略)

そのさびしさのむこうに、人の真影がある

(中略)

人の偉さというのは、孤独の深さにかかわりがある

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孟嘗君はたびたび自領を捨て、個として天下を闊歩した。
――ほろびのわかっている人のありようは、あれよ。
それゆえに孟嘗君は不朽なのではないか。

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薛公に会って以来、つねに自分にいいきかせていることは、おのれへのこだわりを棄てよ、ということである。

(中略)

無欲を衒う者は名誉欲にとらわれるという坎穽にはまりこむものであるが、薛公にはそれもない。

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かれの考えていることに根拠はない。すべてを感覚がおしえている。感じた通りに行動したにすぎない。したがってなぜそうなのかは説明できない。
――いのちにかかわるときは、おのれのままに動いたほうがよい。

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――人とはふしぎなものだ。
身分とは違うところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のりこえることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。

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成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。

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信義などというものを枯葉のごとくふるい落とす戦乱の世に、信義を立てて生きている薛公は奇蹟の人といってよいであろう。

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自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。

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知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。

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軽蔑のなかには発見はない

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目には呪力がある。

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目くばりは自分にもおこなわなければならない。それが内省というものである。人は神ではない。万能でなく、人格も完璧ではない。むしろ欠点のほうが多い。その認識から発して、徳望の高みに一歩ずつのぼってゆく努力をしなければならない。

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この世で、自分で自分がわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希っているのかもしれない。

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2016年6月19日日曜日

仏法と歴史 ~宮本武蔵編~

昨日の「聖教新聞」には、先生の随筆が掲載され、宮本武蔵が紹介されました。

今までだったら、ここで紹介されている『五輪書』や、吉川英治氏『宮本武蔵』も読んだかもしれませんが、今は省エネモードに入っています。紹介だけにして、後日追加していけたらいいですね。

巌流島にはいったことあるのです。その時に歴史に触れたイメージは、決闘時間をずらして佐々木小次郎の気を削ぎ、討ち果たしたイメージしかなかったのですが、やはり精神面を含めて、剣術を極めた天才だったということでしょう。


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無双の剣豪・宮本武蔵は、晩年を九州・熊本の地で過ごし、独自の兵法観と思想を集大成した『五輪書』をまとめた。
そこに「生国播磨」――今の兵庫出身と記した彼は、生涯で六十数回にわたって勝負をして一度も負けなかったという。
なぜ、強かったのか。
武蔵は自身の剣術について、「水を本として、心を水になすなり」と譬えた。水は形を自由に変える。この水の如く、自分を自在に変えることができたから強かったというのである。さらに実際の太刀の使い方や構えにも、固定的な型はないと述べている。
千差万別の相手に、自在に対処していくのだ。
決して過去の成功にとらわれず、電光石火で対応を変化させる。これこそ武蔵の必勝の哲学だ。
『五輪書』は、「一人の敵に自由に勝つときは、世界の人にみな勝つところなり」と論じてもいる。
我らが真剣勝負の対話で、一人の心をつかむことは、万人の心をつかむことにも通じよう。
大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」と明言なされた。「断じて勝つ」との強き一念で御本尊に祈り、勇敢に一歩を踏み出せば、世雄たる仏の隨縁真如の智は、いくらでも湧いてくるのだ。

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