2016年5月8日日曜日

仏法と菜根譚 その②

前回に引き続き、一切衆生の中に実は仏性が備わっていることを示しています。

ただし、水面に波があるように、鏡が曇っているようにそれを払わないと見えてきません。その辺の絶妙なことを明文で示しているあたり、洪自誠という人物、仏教への造詣がかなり深い只者ではなかった人ですね。

第57条
  人の心の中には真文章(真心)あり。
  ただし古本に閉じ込められている。
  人の中には正しい音楽が備わる。
  ただし怪しげな歌舞に暗まされている。
  それらの外物を掃除してこそ真の受用である。



正しい音楽=南無妙法蓮華経の音律こそ最高の音楽です。

真の受用、仏教では仏の生命を「自受用報身如来」とも呼び、自由自在に受け用いる身の仏と読みます。何の障壁もない状態ですね。この辺の創造もできてしまう、何とも名文ではないでしょうか。

なかなか自由自在にはいかないのが凡夫の日常です。今も妻に叱られてしまい、娘と公園にでも行って来よう。自分のしたいことはなかなかその時にはできないものです。合間を使いながら書いていけたらと思います。

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