2016年5月19日木曜日

中国文明史余話 ~春秋の宋編~

宋は現在の河南省にあった殷の末裔の国。晋の重耳に恩を施したことから、晋と楚という強大国の狭間で、常に晋側に立って楚と争った。最終的には斉に滅ぼされた。

ここであげられたのは一人だけ

・楽喜(子罕)

あざなをシカンと呼びますが、これが中々さっぱりとした好男子。春秋時代の傑物同志はある程度交流があると見え、先に絶賛した晋の子産、子皮、斉の晏子、魯の孔子等と同時代の人で、うわさは互いに通じ合っていたのではと思います。それがまた身の処し方にも表れたのではと。



エピソードをそのまま紹介した方が人となりを感じやすいかと思います。

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宋人が美しい玉(礼器に使われる格式高い石のこと)を手に入れたので、尊敬する子罕に献上にきた。ところが子罕は、
「要らない」
と、ことわった。心外におもったその人は、
「これを玉人(玉みがき)にみせたところ、宝であるといいました。本物であるので、献上にきたのです」
と、いった。偽物ではない、と訴えたのである。子罕は眼前にすわっている者に不純な心をみなかったので、さとすようにいった。
「わたしは貪らないことを宝としている。あなたは玉を宝としている。すると、わたしが玉をうけとると、両方が宝を喪うことになる。それぞれに宝があったほうがよい」

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なんと痛快なエピソードでしょうか。子罕はただの潔癖ではなく、実力十分な人間でした。富貴の中にあって貪らないのは並々の人ではありません。

「菜根譚」のこの条文を送ります。

世ヲ済ヒ邦ヲ経ムルニ、段ノ雲水的趣味ヲ要ス、若シ一タビ貪著有ラバ、便チ危機ニ堕チン

この辺のことをよく、同時代の諸子の行いやそれ以前の道徳書で学んでいたのでしょうね。子罕もまた長編小説があったら読んでみたい一人です。

追記>
「菜根譚」78条に古人は貪らないことを宝としたと。この逸話をさしていたりして。

故二古人ハ貪ラザルヲ以テ宝ト為シ、一世ヲ度越スル所以ナリ

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