2016年5月6日金曜日

「新・人間革命」2巻 勇舞の章

海外初訪問を遡る会長就任以来の伸一の活動が前二章は述べられてきたが、ここで海外訪問後の本部幹部会や支部結成大会の模様が綴られる。地方にも全力であたる。それが先生の達観した視座だと感じる。

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「日蓮大聖人は、師子王は蟻の子を捕る時も、獰猛な野獣に挑む時も、“前三後一”といって、三歩前に、一歩後ろにという万全の構えで、全精力を注ぐと仰せですが、これは、広宣流布の活動を進める私たちにも、相通ずる原理ではないかと思います。
そこで、十一月、十二月は、弘教に全力をあげ、一月は徹底して同志の信心指導に力を注いでまいりたいと思います。家庭指導、個人指導は、最も地道で目立たない活動ですが、信心の『根』を育てる作業といえます。根が深く地中に伸びてこそ、天に向かって幹は伸び、葉も茂る。同様に、一人ひとりの悩みに同苦し、疑問には的確に答え、希望と確信をもって、喜んで信心に励めるようにしていくことが、いっさいの源泉になります」

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折伏と人材の育成とは、車の両輪の関係にある。この二つがともに回転していってこそ、広宣流布の伸展がある。

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戦わずしては正義も敗れる。時に沈黙は、屈服につながることを知らねばならない。

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「私は十年余にわたって戸田先生のもとで仕えた。それはそれは、激しい戦いの歳月だった。緊張の連続だった。弱い体と闘いながら、そのうえに、先生の事業のいっさいの責任を担ってきた。そのなかで私は、精神的にも、肉体的にも、すっかり訓練されてしまった。それが生命力というものだよ。

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「静中の動 動中の静」を参照

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大聖人は自らを「法華経の行者」と仰せのように、「行動」を最も重視されていた。法華経を信心の規範とされ、その教えのままに戦いを起こし、数々の大難にあい、法華経を身で読まれたのである。

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戸田は、師の牧口の命を奪った“権力の魔性”に対する怒りと闘争を忘れなかった。邪悪への怒りを忘れて正義はない。また、悪との戦いなき正義は、結局は悪を温存する、偽善の正義にすぎない。

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法要を終えて、伸一が外に出ると、晩秋の夜風が冷たかった。彼は、火柱のごとく燃え盛る、先師への誓いを胸に、木枯らしの道をさっそうと歩き始めた。





そうだ、先生のこの感覚で我も行くのだ。この章も要約すれば『悪とは徹底して戦え』ということだ。

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