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2016年6月19日日曜日

「新・人間革命」14巻 智勇の章

権威主義などに対抗して大学は学生運動の渦中であった。過激化していく現状を憂え、伸一は「第三の道」を提案。また、教育については政治から切り離された「四権分立」であるべきであると主張し、大学の自治を奪う「大学立法」に対しては、自ら学生らと共にデモの先頭にも立った。学生部員は「第三の道」を目指し新学生同盟(新学同)を結成した。


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常に新しき決意で、広宣流布に敢然と勇み立つことこそが、創価の大精神である。その時、地涌の菩薩の大生命が脈動し、自身の境涯革命がなされていくのだ。そして、そこに、わが人生の栄光と大勝の道が開かれるのである。

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いかにして平和を守るか。これこそ、現代の人類が担った、最大の課題であります。

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二十一世紀は、「国益」の追及から「人類益」の追及へ、「分断」から「融合」へ、「戦争」から「平和」へと向かわねばならぬ時代である。大学も、国家のために働く人間から、人類の幸福と世界の平和・繁栄のために働く人間の育成へと、変わるべき時を迎えているといえよう。人材像もまた、単に知識や技術の吸収にとどまらず、人類の幸福を実現する高い理念と、優れた人格をもち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間へと変化していかねばならない。そして、そうした人材を育むには、大学に、精神の基盤となる、確たる教育理念が求められる。

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学生時代は革命を口にしながらも、就職してサラリーマンになれば、企業の論理に従わざるをえない。そうなれば、人間を抑圧する側の、歯車の一つになりかねないと思っていた。そのなかで、いかにして革命を理想を貫けばよいのかというのが、多くの学生部員の悩みであったといってよい。

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権力をもつ者のエゴを、さらに、自己の内なるエゴを、どう乗り越えるかということではないかと思う。つまり、求められているのは、権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かなる道です

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結論を言えば、一人の人間の生命を変革する折伏に励むことこそが、漸進的で、最も確実な無血革命になるんです。さらに、生涯を広宣流布のために生き抜くことこそが、真の革命児の生き方です。また、君自身が社会のなかで力をつけ、信頼を勝ち得ていくことが、折伏になります。

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管理の強化によって紛争の解決を図るというのでは、大学問題の本質から目をそらし、ますます病根を深くすることになりかねない。

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どんな気構えをもっていようが、声をあげるべき時にあげなければ、眠っているに等しい。言論戦とは、まさに、「時」を見極める戦いであり、また、時間との勝負でもある。

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宗教は人格を陶冶し、陶冶された人格は、他者への同苦の心をもつ。そして、不幸や矛盾、不平等をなくそうと、社会的使命を自覚するに至る。

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“苦悩に打ちひしがれた一個の人間の胸中に、希望と勇気の火をともすことから、人間解放の戦いは始まる。そして、人びとが生きる力を得て、変革の主体者として立つ時、社会は一変する!”

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どんな高邁な主義主張も、人間性が伴わなければ、必ず破綻をきたすことになる。本来、主義とは、自分の生き方であり、人間性の帰結であるからだ。ゆえに、いかなる理想を説き、いかに立派な言辞を連ねようが、人間性の革命がなければ、その主義が真に実現されることはない。

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社会革命のためには、日蓮大聖人の仏法による人間の心の根底からの立て直し、つまり、表現こそ違うが、「人間革命」しかないというのが、創価の父・牧口の、一貫した考えであった。

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日蓮大聖人は、末法の一切衆生のために、大宇宙の根源の法たる「仏」の大生命を、御本尊として御図顕になられた。この御本尊を信受し、一切衆生の救済を、わが使命として生き抜くなかにこそ、自身の「仏」の生命を開く唯一の道があるのだ――。

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相互不信であった現状を、信頼を勝ち取る方向へ、我が人間革命によって舵をきらなければならない。迂遠にも思える一人の折伏もって。生涯の友となる有為な人材に出会えますように。

「折伏に精進するならば、魔の侵すところとはならない。決して天魔鬼神に侵されることのない平和な生活ができる」(師弟の大城114ページ)のだ。

2016年6月9日木曜日

「新・人間革命」13巻 楽土の章★

1969年、建設の年の開幕。2月、伸一の胸には、沖縄の楽土建設への闘魂が、照りつける太陽にも増して燃え盛っていた。会う予定のなかった地域の人びととも劇的な出会いを刻んでいく。駐留米軍のアメリカ人の学会員の面倒を見て、そこから世界広布が広がっていった話や、我が子を火事でなくしながら、それでも広布に懸命に走った人びとのドラマが綴られる。



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真の繁栄と平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、そこに住む人びとの、一念にこそかかっている。人間が、絶望や諦めの心をいだき、無気力になったり、現実逃避に走れば、社会は頽廃する。
楽土の建設は、主体である人間自身の建設にこそかかっているのだ。楽土を築こうとするならば、他の力を頼むのではなく、平和のため、人びとの幸福のために、自分が一人立つことだ。何があっても、絶対に屈することのない、強き信念と希望の哲学をもつことだ。複雑な現実の迷路を切り開く、聡明な知恵を働かせることだ。そして、その源泉こそが、日蓮大聖人の仏法なのである。御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。

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広布に献身しゆく同志に、仏を見ずしては仏はない

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恒久平和の実現は、最も困難なテーマです。聡明な、力ある英知の指導者が、続々と育たなければならない。もし、平和への使命を自覚するならば、口先ではなく、日々、実際に何をするかです。いかに、自分を磨くかです。どれだけお題目を唱えて、どれだけ勉強したかです。

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仏法でなければ、真実の平和は築けません。紛争についても、武力によって制圧すれば、解決できると考えるのは誤りです。それでは、むしろ、憎悪を生み、果てしない報復の繰り返しになってしまう。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。
その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。

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励ましは、人間の心に勇気の火をともし、発心を促す。だが、そのためには、己の魂を発光させ、生命を削る思いで、激励の手を差し伸べなくてはならない。その強き一念の波動が、人の心を打ち、触発をもたらすのである。

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大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。

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すべては、人間の一念の姿勢です。意欲です。活力です。精神の力にかかっています。どんなに経済の支援があろうが、人間の精神が荒廃してしまえば、本当の発展はない。

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青年時代は、苦労に苦労を重ね、自らを鍛え抜いていただきたい。十年先、二十年先、三十年先をめざして、じっとこらえて、時の来るのを待っていただきたいんです。力をつけ、地中深く根を張り巡らせていれば、時が来れば、必ず花が咲きます。

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人生はある意味で死闘といえる。血を吐くような思いで、無我夢中で戦っていくしかありません。悩んで悩んで、悩み抜いていくところに成長がある。人間形成がある。それこそが、生涯の財産になります。

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広宣流布の使命を自覚することです。人は、なんのための人生なのかという、根本目的が定まっていなければ、本当の力は発揮できないものです。また、力をつけ、立派な地位や立場を手にしたとしても、自分の立身出世のみが目的になっていれば、社会への真の貢献はできません。

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信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。

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本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。

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本章を貫くテーマとして、一念次第ということである。

今日の聖教新聞にはこうありました。

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創立の父・牧口常三郎先生は、獄中から「心一つで地獄にも楽しみがあります」と家族に書き送られた。
先師が命を賭して教えてくださった精神の宝こそ「一念三千」の法理である。一念の心の変革が、一切を変えていく。
ゆえに、心を強く、また賢く育んだ人は幸福だ。
2016.6.9 聖教新聞 随筆 永遠なれ創価の大城より
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2016年6月8日水曜日

「新・人間革命」13巻 光城の章

広布の理想郷と今では言われる奄美大島であったが、30数年前は違っていた。公明党の候補が立つことへの恐れから、島の有力者たちが結託して学会員への執拗な嫌がらせ、村八分が起こったのだ。そんな中でもけなげに信心の実証を示そうと奮闘する会員の姿があった。秋には芸術祭が方面で開催されていった。



奄美広布にて、

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大聖人様は『末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』と断言していらっしゃる。折伏を行じる私たちをいじめれば、絶対に現証が出るよ。

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“恐れ”は、真実を見る眼を曇らせ、妄想をかき立て、さらに、人間を残酷にする。
その結果、理不尽な学会排斥の呼びかけに、大多数の人たちが同調してしまった。
いわば、村の人たちは、己の心の影ともいうべき妄想に怯え、冷静な判断力を失い、過激な反学会の人権蹂躙へと走ってしまったのである。

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みんなが純粋に戦い抜いたから、三障四魔が競い起こってきたことは間違いない。しかし、村の人たちが魔であると、固定的に考えるのは誤りです。魔とは、衆生の心を悩乱させ、善事を妨げ、仏道修行を阻む“働き”のことです。魔は、仏身あ権力者、父母、師匠、妻子など、あらゆる姿を現じて、衆生の心を惑わします。
たとえば、母親が幼い娘を祖母に預けて学会活動に出ようとしたら、娘が行かないでと言って泣いたとする。それでやめてしまえば、魔に負けた姿です。
では、娘さんという存在自体が魔なのか。そうではない。自分にとって魔の“働き”になっただけで、娘さん自体は、魔でも、敵でもない。愛すべき対象です。
人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台になるのかは、自分の一念の問題です。

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大聖人は『我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』と仰せです。自分を迫害した権力者たちを、最初に救おうという、この御境涯に連なれるかどうかです。

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人間は、苦境に負けるのではない。自分自身に負けるんです。自らあきらめ、信念を捨て去り、敗れていくんです。今は、どんなに苦しくとも、広宣流布という最高の目的に生き抜いていくならば、十年後、二十年後には、絶対に花開かないわけがないと、私は断言しておきます。

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インドの独立運動の指導者であったマハトマ・ガンジーは、歴史上、偉大な運動というのは、必ず、五つの段階を経ると語っている。
それは、「無関心」「嘲笑」「非難」「抑圧」「尊敬」の五つである。
そして、「抑圧」にあっても生き残る運動は、必ず成功の異名である「尊敬」を集めると述べ、その秘訣は「誠実」であると結論している。

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芸術祭にて、

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実は、その原理が『異体同心』ということなんです。
世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。
それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。

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信心に励むなかで、財産も、地位も、名声も、人間の永遠の幸福を約束するものではないことを学んできた。そして、“自分自身の宿命を転換し、福運をつけなければ、本当の幸福はない。その道は、仏法しかない”と、実感してきた。

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福運をうんとつけて、十年後、二十年後よ見ていてくれたまえと言いたい。今日も家庭訪問・唱題に徹すべし。

2016年6月7日火曜日

「新・人間革命」13巻 北斗の章

これまで旭川どまりであった北海道であったが、1968年9月、学会員の念願叶って、旭川を経て、最北端の稚内まで伸一を迎えることができた。その後は「座談会」が形式的になっていくのを憂い、座談会革命を起こしていく。


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「世間の繁栄は相対的なものであり、諸行無常です。では、永遠の繁栄と幸福は、どうすれば得られるのか。それは、わが生命の宮殿を開き、自身の境涯を高めていく以外にありません。それには、広宣流布という大誓願に生き抜いていくことです」

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大聖人の御心である広宣流布を使命とし、正法を弘めゆく人は、地涌の菩薩であり、仏の使いであるとの宣言である。その実践のなかで自身が御本仏に連なり、仏・菩薩の生命が湧現するのである。清浄にして強き大生命力と無限の智慧とが脈動するのだ。そこに自身の生命の変革がり、「人間革命」「境涯革命」の道が開かれるのである。

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その一念においては、自身の苦悩に煩わされることのない、大いなる境涯を会得していたのである。境涯の革命は現実生活の転換をもたらし、功徳の花を咲かせ、幸福の果実を実らせていった。
師とともに広布の誓願に生きる――そこにこそ、絶対的幸福へと至る自身の人間革命と宿命転換の直道がある。この広宣流布の聖業に参加できることは、われら創価学会員に与えられた栄誉であり、特権といえようか。

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私たちの住む娑婆世界は、穢土、つまり汚れた国土であるが、正法を持った人の心は、霊鷲山すなわち常寂光土にあるとの大宣言です。ここが、わが使命の舞台であると心を定め、広宣流布に邁進する時、どんな場所も、どんな逆境も、かけがえのない宝処となっていきます。その原理を確信できるかどうかで、すべては決まってしまう。

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大変な理由を数えあげて、だから無理だ、だからダメだと言っていたのでは、いつまでたっても何も変わりません。自分の一念が、環境に負けているからです。戦わずして、敗北を正当化しているからです。

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仏法は「心こそ大切」と教えている。感謝がある人は幸福である。心には豊かさがあふれ、喜びに満ち、生き生きとして明るい。福徳が輝く。
しかし、感謝のない人は不幸である。その心は暗く、貧しく、いつも、不平と不満、嫉妬と恨みと愚痴の暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。希望も、福運も消してしまう。自分で自分の幸せを破壊し、空虚と絶望へと自らを追い込んでいるのだ。慢心の人もまた、感謝の心がないゆえに、不幸であり、孤独である。

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憂愁や恐れが迫るのをひしひしと感じる。しかし、現状に、感謝していこう。逆境だからこそ家族のことを愛おしく感じられる。また、広宣流布に生きるしかないと腹を決めていけるのだ。

もし世界に学会がなかったら、お前はとうに自殺しているのではないのか。



「新・人間革命」13巻 金の橋の章

大学会の結成など学生部の育成に力を注ぐ伸一は、かつて戸田先生が「原水爆禁止宣言」をされたのと同日、1968年9月8日、第11回学生部総会の席上、「日中国交正常化提言」を断固と打ち出した。松村謙三ら日中友好を心待ちにする先達は高く評価し、周総理との面談を要請。ついに当初は政治の次元で、公明党がその役目を担い、やがて国交正常化が実現していく。伸一も、後に周総理が亡くなる直前に名場面といえる会談をなしたのだった。


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ともあれ、行動だ。生きるとは戦うということなのだ。
そこに、仏法者の使命があり、大道がある。

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国と国の関係といっても、永続的に友好を維持していくには、民衆と民衆の相互理解が根本となる。それには文化、教育をはじめ、民衆次元での活発な交流が重要になる。その窓口を開くには、どうしても政治の力が必要である。

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相手の国や民族、あるいは、地位や肩書などによって、態度を変えるというのは、人間として卑屈ではないか。また、それは、裏返せば、傲慢でもあるということだ。
相手によって威張ったり、下手に出たり、また、“立場”を鼻にかけてものを言うような生き方では、本当の友情は芽生えないし、本当の外交もできない。しかし、一個の同じ人間であるとの視点に立てば、共通項が見え、互いに身近に感じられるものだ。それが相互理解の手がかりにもなるし、共感も生まれる。

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伸一は、平和を願う一人の人間として、言うべきことを言い、行うべきことを行ってきたにすぎないと考えていた。
また、自分は、歴史の底流をつくればよい。日中の国交正常化が実現できれば、自分のしたことなど、誰を知らなくてよいと思ってきた。

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政府レベルの国交だけでは、真実の正常化には至らない。大切なことは、友情の橋、信義の橋を架け、民衆の心と心が、固く、強く結ばれることだ。

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“私は、わが生涯をかけて、堅固にして永遠なる日中友好の金の橋を、断じて架ける!”師走の北京の深夜は、底冷えがしていた。しかし、彼の胸には、闘魂が赤々と、音を立てて燃え盛っていた。

2016年6月5日日曜日

「新・人間革命」12巻 栄光の章

1968年4月8日、東京小平の地でいよいよ牧口先生が弟子に託してきた創価教育の学び舎がスタートを切った。この創価学園から、後に大学、小学校、幼稚園へと展開。現在では、その卒業生が実証を示しながら、海外にも展開されている。


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伸一は、「宇宙即我」「我即宇宙」と教え、一念三千という人間生命の大法則を説く仏法こそ、汲めども尽きぬ、深く広大な精神の泉であり、詩心の源泉であると確信していた。
そして、その仏法を弘める広宣流布の運動は、詩心を復権させる、人間精神の開拓作業であるというのが、彼の一つの結論であった。

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いうまでもなく、創価学園は創価学会のために設立したのではない。我らの願いは、妙法の大地を根底に、崩れざる人類の繁栄と豊かな第三文明の花を咲かせることである。

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学園の建設は、民衆の真心に支えられてきたという、この偉大な事実を、生徒にも、教師にも、永遠に伝え抜いていかなくてはならない

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牧口先生の残された創価教育は、人類の偉大なる精神遺産だ。

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戦後、日本は、飛躍的な経済発展を遂げたが、そのなかで、教育の目的も、経済発展に寄与する人間の育成が掲げられていった。
その結果、経済優先の価値観に基づく教育が大手を振り、「人生の目的とは何か」「何が善で、何が悪か」「真実の価値とは何か」といった問題の探求は、教育の場から切り捨てられてきたといってよい。それは、根本的な教育理念の欠如であり、人格の陶冶を忘れた教育の姿にほかならなかった。

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真の幸福生活を実現するには、自他ともの幸福を築くことが不可欠であり、いわば、個人の幸福と社会の繁栄が一致する社会の在り方をめざすものが、教育であるとしている。

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青春時代を生きるうえで大事なことは、自分の弱さに負けたり、引きずられたりしないで、自分に挑戦していくことなんです。自分を制し、自分に打ち勝つことが、いっさいに勝利していく要諦であることを、忘れないでください

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人生の栄光とは、どんな立場であれ、わが使命に生き抜くなかにある。根本的には、社会的な地位や役職が高いとか低いとか、富貴であるかないかなどは、問題ではない。人間として、どう輝くかです。

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さあ、今日も自分に打ち勝つ朝出発だ。宇宙即我・我即宇宙なれば、自身の人間革命が依法に波及していくことを確信しながら。

2016年5月30日月曜日

「新・人間革命」12巻 天舞の章

1967年9月1日、学会本部に隣接して、創価文化会館が落成。10月15日、学会の文化祭史上、最も大規模なものとなった東京文化祭が。そこには、出演者一人ひとりの涙ぐましい挑戦と人間革命のドラマがあった。同月下旬、「ヨーロッパ統合の父」として知られる、カレルギー伯爵と会見。後年、対談集『文明・西と東』として結実する。



文化について、

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広宣流布とは、一口にしていえば、日蓮大聖人の大仏法を根底とした、絢爛たる最高の文化社会の建設であります。そして、世界の人びとの幸福と平和を基調とした、大文明の建設であります。すなわち、色心不二の大生命哲学を根幹とした、中道主義による文明の開花であります。

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文化は、人間性の発露である。ゆえに、優れた文化を創造するには、まず、人間の精神、生命を耕し、豊かな人間性の土壌を培うことである。そして、それこそが宗教の使命といえる。その土壌のうえに、芸術、文学はもとより、教育、政治など、広い意味での優れた文化が、絢爛と花開くことを、伸一は確信していたのである。

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文化祭は、創価学会がいかに文化の向上に真剣であり、平和文化を愛好しているかということを示す縮図です。

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文化祭の練習等学会活動について、

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友の幸福を願って、懸命に唱題し、活動に励めば励むほど、心の底から歓喜が込み上げ、生命の燃焼と躍動を覚えるのである。それは、これまでに体験したことのない、充実した境地であった。

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その一念こそが、その粘り強い、執念の前進こそが、困難の壁を打ち破る力となるのだ。

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皆が、自身に打ち勝った勝者であった。
皆が、感動の青春ドラマを演じたヒーローであり、ヒロインであった。

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世界の平和とは、与えられるものではない。人間が、人間自身の力と英知で、創造していくものだ。戦い、勝ち取っていくものだ。ゆえに、人間が、自身を磨き、自分の弱さに挑み、打ち勝つことこそが、平和建設の要諦といえる。つまり、自己の境涯を開き、高めゆく、人間革命の闘争なくして平和はない。

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御聖訓には、「陰徳あれば陽報あり」と仰せである。
それを確信できるかどうかに、信心は表れ、また、それが、一生成仏を決するといってよい。

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カレルギー伯爵との会談にて、

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仏法というのは、人間と宇宙を貫く、生命の永遠不変の法則であり、また、人類の平和と幸福を実現するための指導原理といえます。したがって、現代科学とも、決して矛盾するものではありません。むしろ科学技術をリードし、人間の幸福に寄与するものにしていくための、哲学が仏法なんです。

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もちろん、暴力やテロは絶対に悪ですし、民衆を支配し、隷属化させる権力とは、どこまでも戦います。
しかし、人間の幸福、救済をめざす思想、宗教には、本来、人間を尊重するという共通項があります。それがある限り、必ず通じ合い、共感し合うはずであり、相互理解は可能であると思います。
さらに、仏法で説く、万人が等しく『仏』の生命をもっているという考え方は、人間を貫く、内なる普遍の世界を開示するものといえます。
人類がそこに着目し、人間の共通項に目を向けていくならば、分断から融合へと発想を切り替える、回転軸となっていくと確信しています。
また、宗教の違いによって生じた文化的な差異は、違いを認めるというだけでなく、むしろ尊重すべきです。

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2016年5月28日土曜日

「新・人間革命」12巻 愛郷の章

海外から帰国後は一転、地方指導に力を。一期一会の想いで中小都市にも少しでも足を運ぼうと努める。群発地震の続いている長野県松代や、江戸時代に悪政に苦しんだ岐阜県高山といった、国土の宿業が深い地域ともいえる場所へ積極的に宿命転換をかけた激励の手を。


寄せ返す波浪は、やがて、岩をも打ち砕く。

そうだ。間断なき出発だ! 間断なき前進だ! 連続闘争だ!

そこにこそ、人生と広布の大勝利の道がある。


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仏法には、地震は、人びとが正法に背くゆえの災難であるとの、とらえ方がある。
また、釈尊が法華経を説く時、大地が六種に震動したとされていることから、正法興隆の瑞相ともとらえられている。

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勝利者とは、心の壁を破った人の異名である。

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人間の成長は、“もうこれ以上はだめだ”という、自分の限界を超えて、突き進んでいくところにあるのだ。その時に、初めて自己の殻を打ち破り、力をつけ、境涯を開き、人間革命が可能となる。

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忙しくとも、音楽を聴くぐらいの、心の余裕はなくてはならない。信心をしているからといって、世界を狭くしてはいけないよ。本来、広宣流布というのは、人間文化の創造の運動なんだからね。

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大聖人は『立正安国論』のなかで、“実乗の一善”すなわち、法華経に帰依すべきであると訴えられております。法華経とは、大宇宙を貫く生命の根本法則を説いた教えであり、また、生命の尊厳の思想、慈悲の哲理です。そして、この正法を生き方の根本とし、自身の一念を、生命を変革していくならば、いかなる環境をも変え、崩れざる幸福を築き上げることができると、大聖人は宣言されています。

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戸田は、徹して悪を打ち砕かんとする敢闘と執念のなかにのみ、正義と人道の勝利があることを、弟子たちに教えたかったのである。

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人生も、広布も、自己の心に宿る惰性と油断との戦いといえるかもしれない。“敵”は外にいるのではない。己心に潜むものだ。

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その本質は、慢心なんだ。

(中略)

惰性化していくと、そうしたことを、真剣に受け止められなくなってしまう。

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広宣流布は、永遠の闘争です。ゆえに、何があっても、戦い続けていくことです。昨日、しくじったならば、今日、勝てばよい。今日、負けたなら、明日は必ず勝つ。そして、昨日も勝ち、今日も勝ったならば、勝ち続けていくことです。

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いつの世も、保身に汲々とする臆病者の姑息さこそ、悪を肥大させていくのである。

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信心をしたからといって、悩みや苦しみがなくなるということではありません。
要は、その苦難に負けずに、悠々と乗り越えていけるのかどうかです。それによって、人生の勝敗も、幸・不幸も決まってしまう。

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「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」

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地域の繁栄は、人びとの一念を転換し、心という土壌を耕すことから始まる。そこに、強き郷土愛の根が育まれ、向上の樹木が繁茂し、知恵の花が咲き、地域は美しき幸の沃野となるからだ。また、そのための創価の運動なのである。

2016年5月27日金曜日

「新・人間革命」12巻 新緑の章

1967年5月3日、会長就任7周年を大勝利で飾った伸一は、気を緩めることなく一瞬一瞬を激励にあてる。13回目の海外訪問へ。ハワイ、ロサンゼルス、ニューヨークとアメリカを回り、そのままフランス、イタリア、スイス、オランダとヨーロッパへ。海外も本門の時代へ第二幕を迎える。青年が若芽のごとく育っていることに喜びを覚えるのだった。


まず、現代文明への達観、

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現実社会のかかえる問題を直視し、その解決に取り組んでいくなかにこそ、仏法者の真実の生き方があるからだ。
「現代の思想家、知識人が憂えている文明の行き詰まり等の問題は、究極的には、人間性喪失、すなわち、人間疎外の問題であります。
これは、物質文明、機械文明の目覚ましい発達に比べて、精神文明が立ち遅れ、人間が主体性を失い、生命の尊厳を忘れたゆえであります。
その幾つかの局面をあげてみますと、まず、生活のあらゆる部門が機械化され、人間は機械に従って動いていればいいような、機械が主人で、人間が家来といった関係になってしまった。企業等でも、機械化、合理化のために、労働者が首を切られるという現象も起きております。
また、いわゆる官僚機構に見られるごとく、組織が膨大となり、人間一人ひとりは、その歯車にすぎなくなってしまっております。そこでは、組織それ自体が巨大なメカニズムとなり、個人の意思を超えて動き、個人は言い知れぬ無力感と虚無感に覆われている。
さらに、マスメディアによって、情報、ニュースが、洪水のように流されるなかで、現代人の多くは、ただ、それを受け取るだけになっているというのが、悲しき現状であります。
そうした状態が続くうちに、自分から意欲的に主体性をもって働きかけるよりも、いつも何かを待っているような、受け身的で消極的な、弱々しい精神構造になりつつあるといえます。また、生き方、考え方の確固たる基準がないところから、理性的な判断に欠け、その場、その場で、衝動的、本能的に行動してしまう傾向が強くなってきている。

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数々の御指導、

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組織といっても、あるいは運動といっても、それを支えているのは、一人ひとりの人間である。その人間が一念を転換し、使命に目覚め立ち、最大の力を発揮していくならば、すべてを変えることができる。

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人生の勝利の姿は、地位や名誉を手に入れたかどうかで決まるものではありません。最後は、どれだけ喜びをもって、はつらつとした心で、人生を生き抜いたかです。

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真剣――この二字のなかには、すべてが含まれる。真剣であれば、勇気もでる。力も湧く。知恵も回る。また、真剣の人には、ふざけも、油断も、怠惰もない。だから、負けないのである。そして、そこには、健気さが放つ、誠実なる人格の輝きがある。

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人生の道は、人それぞれであり、さまざまな生き方がある。
しかし、広宣流布の大使命に生き抜くならば、いかなる道を進もうが、最も自身を輝かせ、人生の勝者となることは絶対に間違いない。

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「若い世代を育成するための要諦というのは、なんでしょうか」
言下に、伸一の答えが返ってきた。
「後輩を信頼し、尊敬することです。信心して日が浅いからとか、年齢が若いからといって、自分より下に見るというのは間違いです。そして、自分以上の人材にしようという強い一念をもち、伸び伸びと育てていくことです。

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ともあれ、学会活動で苦労した分だけ、自分自身の生命を磨き、宿命を転換し、福運を積み、幸せになることができる。ゆえに、学会活動は、断じて守り抜かねばならない、自身の人間としての権利なのである。

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リーダーというのは、神経を研ぎ澄まし、一つの事故を戒めとして、敏感に対処していかなくてはならない。そうすれば、大事故を未然に防げる。

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信心をして小さな功徳を受けるのはたやすい。しかし、宿命の転換という大功徳を受けることは容易ではない。宿命を形成してきた自身の心、性格を見つめ、生命を磨き、人間革命せずしては、宿命の転換はないからだ。
そして、それには、自身の広布の使命を果たし抜いていくことだ。決定した信心に立って唱題に励み、障魔と戦い、悪を打ち砕いていくことだ。

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平和は与えられるものではなく、権力の魔性、人間の魔性と戦い、打ち勝たなければ、手に入らないものであることを痛感していた。

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困難に直面した時、逡巡し、立ち止まるか。勇気を奮い起こして突き進んでいくか――それが、すべての勝敗を決する要諦といえよう。

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子どもは、日々、親の姿、生き方を見て、信仰への理解と共感を深めていく。ゆえに、親自身が、いかなる困難にも負けない強さや明るさ、人への思いやりなど、人格の輝きを増していくことが大切であり、それが、仏法の偉大さの証明となる。
ともあれ、子どもに信心を継承していくことは仏法者としての親の責務であり、そこにこそ、真実の愛があるといえよう。

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人生の戦いというのは“もうだめだ”と思ったところから、どう立ち上がっていくかにある。そこから、本当の勝利への飛翔が始まるんだ。

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先生からの激励を直接頂いた気分である。今の苦しみを必ず乗り越えて広布に生き抜いてみせる。そう決定した唱題からまた今日も一歩を。

2016年5月26日木曜日

「新・人間革命」11巻 躍進の章★

1967年、「躍進の年」明ける。瞬時の休みもなく全国各地の撮影会等の激励に臨む。1月、公明党は初挑戦の衆院選で勝利し一躍第四党に。中道政治の実現へ本格始動する。この激闘の最中においても、伸一は常に学ぶことをやめず、大学の卒業レポートを書き上げるのだった。新潟の指導において、佐渡を訪れ、日蓮大聖人の殉難の御生涯を偲ぶ。




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人びとはリーダーの言葉についてくるのではない。行動についてくるのだ。
口先だけのリーダーは、やがて、その欺瞞の仮面をはがされ、誰からも相手にされず、見捨てられていくにちがいない。

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ぼくは今、大学に提出するリポートを書いているんだよ。学ぶことは楽しいし、学ぶことは人間の権利なんだ。だから、どんなに忙しくても、激務の日々であったとしても、学ぶことをやめてはいけない。

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会館について、

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文化会館も、会館も、機能、内容は同じである。しかし、伸一が、あえて「文化」という名を冠した会館の建設を推進してきたのは、広宣流布とは、人間文化の創造であると考えていたからである。
宗教はなんのために存在するのか――。
それは、人びとの幸福のためである。生きがいある人生のためである。そして、それを実現するには、人間尊重の社会を築き、さまざまな人間文化の花を、咲かせなくてはならない。つまり、宗教が社会建設の力となってこそ、宗教の目的を達成することができるといえよう。

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彼は、各県などの中心となる会館は、しっかりとした、大きな建物にしなければならないと思っていた。
それは、ひとたび災害が起きた時には、学会の会館は救援対策本部となり、また、臨時の避難所として、被災者を受け入れられる建物にすることを、考慮してのことであった。

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信心とは、

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信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人のことです。その戦いのなかにこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生があることを知っていただきたいのです。

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「悪王の正法を破るに邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」と。法難の時こそ、“師子王”となって戦え、そこに成仏があるとの指導である。
ここには、「難即悟達」の原理が示されている。
日蓮は、法難こそ、一生成仏のための不可欠な条件であることを教えている。それゆえに、難を「喜び」「功徳」ととらえ、難を呼び起こせと説いているのである。
そして、自分を迫害した者たちに対しても、彼らがいなければ「法華経の行者」にはなれなかったと、喜びをもって述べているのである。

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2016年5月25日水曜日

「新・人間革命」11巻 常勝の章

北南米訪問を終えた伸一は、班長、班担当員など、第一線で活動に励むメンバーとの記念撮影、激励に日本各地を回り始めた。1966年、9月18日。伸一を迎えた関西の友は、関西文化祭を雨の中決行。歴史に残る文化祭となった。この頃、海外のメンバーもいるベトナムで、戦争が深刻化し、11月の青年部総会では世界へ向けて和平宣言を行うなど使命を果たし続けた。



最近の聖教新聞から、

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負けじ魂を満天下に示したのが、兵庫・西宮の阪神甲子園球場で開催した、あの「雨の関西文化祭」であった。
台風接近の影響による激しい雨がグラウンドを打ち付ける中、わが関西の青年たちは、試練の逆境をはね返し、偉大な人間賛歌の舞台に変えた。
その常勝不敗の魂は、半世紀を経た今も脈々と流れ通っている。

2016年5月9日 「聖教新聞」 永遠なれ創価の大城 より
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関西文化祭、またそれ以前において、

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偉業というものは、称賛も喝采もないなかで、黙々と静かに、成し遂げられていくものといえる。

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山本伸一は、法華経の湧出品に説かれた、「如蓮華在水」の文を、眼前に見る思いがした。この文は、地涌の菩薩がよく菩薩道を行じて、世俗に染まらぬさまを、泥沼のなかにあって清らかな花を咲かせる、蓮華の姿にたとえたものである。
彼は、皆が、今日の決意を忘れることなく、自らの使命に生き抜く限り、生涯、何があろうが、いかなる環境に置かれようが、必ず幸福の花を咲かせるにちがいないと、確信することができた。

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学会精神とは―――人びとの幸福のため、世界の平和のために戦い抜く、慈悲の心である。何ものをも恐れず、苦難にも敢然と一人立つ、挑戦の心である。断じて邪悪を許さぬ、正義の心である。

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“陰の力”としての役割を担ったメンバーが、どれほど使命を感じ、誇らかに、生き生きと、作業に励んでいるかに、実は、その催しの意義の深さと、その団体の真価が現れるといえよう。

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ベトナム戦争において、

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「三諦」を生命論の立場から述べると、「空諦」とは、目に見えない性分であり、主に心、または精神作用にあたる。心や精神は「空」であって、有でもなければ無でもない。冥伏して、縁に触れて現れる不可思議な実在である。たとえば、人間の怒りにせよ、何かを契機にして、込み上げてくるが、やがてその感情は去ってしまう。
また、「仮諦」とは、主に物や肉体、姿、形、その活動の面をいう。それは種々の条件の組み合わせにより、仮に成立し存在している。ゆえに、花もいつかは散っていくのである。
さらに、「中諦」すなわち「中道」とは、生命の本質、本体、または生命の全体をいう。
生命は、心という「空」の面と、肉体という「仮」の面を兼ねそなえながら、どちらにも偏らずに存在しており、それらを貫く、生命の本源、本質が「中」なのである。怒りを例にとれば、人は怒っていない時でも、怒りは心のなかに冥伏しており、怒りの生命そのものがなくなってしまったわけではない。あるいは、草木の場合でも、咲いていた花は枯れても、その草木自体の実体に変わりはない。

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「諸君の力によって、地球民族主義の旗を高らかに掲げて、やがて国境のない世界連邦を築いていただきたい!」

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戦争は仏法で説く、「魔」の働きによるものであることを、強く実感するようになった。
「魔」は「殺者」「能脱命者」「破壊」などと訳され、煩悩など、衆生の心を悩乱させ、生命を奪い、智慧を破壊する働きである。
そして、この「魔」の頂点に立つのが、「第六天の魔王」である。それは「他化自在天」といわれ、他者を隷属させ、自在に操ろうとする欲望を、その本質としている。だが、「第六天の魔王」といっても、人間に潜む生命の働きなのである。この魔性の生命が人間の心を支配する時、人間は殺者や破壊者の働きをなし、戦争を引き起こしていくのである。
では、何をもって、この「第六天の魔王」を打ち破ることができるのか。
それは、ただ一つ、「仏」の生命のみであることを、仏法は教えているのだ。

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2016年5月24日火曜日

「新・人間革命」11巻 開根の章

ブラジルからペルーへ。南米解放の英雄サン・マルティンの生涯に思いを馳せる。同行幹部が手分けをして、アルゼンチン、パラグアイ、ボリビアそしてドミニカなど各国を訪問し、本格的な開墾が始まったのである。各国で草創期のメンバーの苦闘の様子が綴られる。



信心について、

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人がどうあれ、自分が広宣流布のために苦労し、働いた分は、すべて自分の功徳となり、福運となっていくのが仏法です。人の目はごまかすことができても、峻厳な仏法の因果の理法は、絶対にごまかせない。
信心とは、妙法を信ずる一念であり、この因果の理法を信じ、生命のうえで実感し、生活のうえでわかることができるかどうかです。そして、広宣流布のために、生き抜いていく行動です。

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第一に、お題目です。

(中略)

だから、生命の底から安堵できるし、何も恐れる必要がない。悠々と、人生を楽しみながら、生き抜いていけばいいんです。

第二の要諦は教学です。

(中略)

一つの御文を、身で拝して、自分のものにすることができれば、自然に、ほかの御書もわかっていきます。すべてに通じていくんです。

第三の要諦としては、私は、信心の持続ということをあげておきたい。

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組織について、

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組織の活動の焦点は、ある時は布教であったり、ある時は教学であったり、絶えず変化していきます。それにつれて、大事だから始めたことであっても、ついつい忘れられてしまうことがある。だから、何があっても、そのことを考えて、責任をもつ人が必要なんです。すべて中心者が一人でやっていると、活動が多面的になればなるほど、行き詰まってしまうものです。

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敵について、

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人間は、自分を基準にものを考える。だから、自己の野心、野望のために生きている人間は、「無私」の人の存在を認めることができないのだ。そして、「無私」の人に対して、「無私」ゆえに、人びとの称賛と尊敬が集まると、我欲に生きる者たちは、強い反発と嫉妬をいだき、排撃の集中砲火を浴びせるのである。

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使命について、

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使命の自覚は、果敢なる行動となって、発芽していくものである。

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自分に今できること、それを広布の行動ととらえ、持続していくしかない。

2016年5月23日月曜日

「新・人間革命」11巻 暁光の章

1966年、3月10日、発熱をおしたまま伸一はブラジルへの飛行機の機中にあった。5年前と同じように。目的は、会員八千世帯を超える大発展をとげたブラジルの大文化祭に参加するため。しかし、待ち受けていたのは、日本で公明党を結成した宗教団体が海外にも政治結社を作るのではないかという偏見等に満ちた厳しい監視の目であった。地道な誤解を解く戦いは実に18年後に再訪を果たすまで続いたのであった。



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御本仏の御遺命であり、世界の「平和」と民衆の「幸福」を実現する広宣流布の道が、平坦であるはずがない。常に逆境であった。常に死闘であった。常に不可能と言われ、嘲笑を浴びせられてきた。だが、そのなかで、岩に爪を立てる思いで、険しき山を越え、嵐のなかを駆け抜け、栄光の勝利の旗を打ち立ててきたのが、創価学会の尊き歴史である。

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飛行機にしても、上昇する時には、抵抗も大きく揺れも激しい。だからといって、臆病になって、途中で引き返してしまえば、目的地に行くことはできません。しかし、上昇し続けていれば、やがて、安定飛行に入り、大空を悠々と進むことができる。

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学会の指導とは何か。
それは要約していえば、“御本尊に題目を唱え抜いて、自分自身を磨き高め、必ず幸福者になろう。そして、社会に貢献しよう”ということであります。

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皆様が幸福になるための信心です。私は、創価学会員には、『自分は最高に幸福者である』と言い切れる『幸福の証明者』にならねばならない責任があると思いますが、いかがでしょうか!

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牧口先生は『認識せずして評価するな』と言われたが、知らないということが、間違った評価を下す原因なんだね。相手のことがよくわからないと、デマなど、根拠のない話に飛びつき、憶測で評価し、全く見当違いな不安や恐れをいだいてしまうことになる。そして、その不安や恐怖心が、時には、非常に攻撃的な対処の仕方となって現れてくる。

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勝った時に、成功した時に、未来の敗北と失敗の因をつくることもある。負けた、失敗したという時に、未来の永遠の大勝利の因をつくることもある。

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御書には、「若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず」と仰せである。仏法は、自分の一念のなかに、大宇宙のすべての法が収まっていることを教えている。そうであるからこそ、一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にするのだ。
ゆえに、いっさいの結果をもたらす原因は、自己自身にあるととらえていくのが、一次元から見れば、仏法者の生き方といえる。

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喘ぎを平静に伏させるために、最高の幸福者の証明者となるために、今日もまた題目を唱え抜こう。

2016年5月22日日曜日

「新・人間革命」10巻 桂冠の章

ヨーロッパから帰ると直ちに創価大学設立へむけた手を打っていく。構想を着実に現実のものに。記念撮影会を中心にして各地のメンバーの激励に全力を注ぐ。1966年1月にはハワイへ。2月には壮年部の結成を語り、3月には結成式を見たのだった。広布への布陣が構想から現実へ整っていく。



病気について、

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次の撮影までの間、伸一は、そのメンバーを懸命に励まし、病気の原因から語り始めた。
『大聖人は、病の原因について、天台大師の『摩訶止観』を引かれて、こう述べられています。『一には四大順ならざる故に病む・二には飲食節ならざる故に病む・三には座禅調わざる故に病む・四には鬼便りを得る・五には魔の所為・六には業の起るが故に病む』

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試練について、

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「人生というのは、試練との闘争といえる。幾つもの苦難の峰を越えてこそ、真の幸福がつかめるんです。ゆえに、苦労こそが、人生の財産です。自身を磨き上げる研磨剤です。だから、青春時代に、どんな困難に出合おうが、決して負けないで、堂々と進み勝ってください」

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逆境が人を不幸にするのではない。苦難が人を不幸にするのでもない。
自身に破れて、荒み、歪んだ心が、人を羨み憎む貧しき心が、人間を不幸にするのだ。

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信心について、

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花が美しく咲いているのは、大地に根を張って、養分を吸い上げ続けているからです。人間にも、成長のための養分が必要です
それが、生き方の根幹となる哲学であり、信心です。
表面的な華やかさや、刹那的な喜びに目を奪われて、自身を向上させることを忘れ、根無し草のような生き方になってしまえば、自分を輝かせていくことも、本当の幸福をつかむこともできません。

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壮年部について、

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学会は、各部が強調し合いながら進んでいくのは当然ですが、一家においても父親が柱であるように、最高責任者は壮年です。各支部にあっては支部長であり、各地区にあっては地区部長です。
したがって壮年部は、壮年の育成に責任をもつのは当然ですが、各部のなかの一つの部であると考えるのではなく、各部の調和をとり、責任をもって、学会を、会員を守っていただきたいのであります。

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壮年部には力がある。それをすべて、広宣流布のために生かしていくんです。
大聖人は『かりにも法華経のゆへに命をすてよ、つゆを大海にあつらへ・ちりを大地にうづむとをもへ』と仰せです。
死は一定です。それならば、その命を、生命の永遠の大法である、法華経のために捨てなさい。つまり、広宣流布のために使っていきなさい―――と、大聖人は言われている。
それこそが、露を大海に入れ、塵を大地に埋めるように、自らが、妙法という大宇宙の生命に融合し、永遠の生命を生きることになるからです。

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壮年部に上がろうとする今、10巻の最後を手を取り今一度読みなおす必要がある。また、今後も惰性に呑みこまれそうになるとき、10巻の最後を読み直して行こう。

「新・人間革命」10巻 新航路の章

やがては日顕の魔性の手により壊されることになる正本堂建立の供養の受付が行われた。伸一は、再びヨーロッパの激励行へ。訪問国はフランス、西ドイツ、イタリア、ポルトガルであり、ポルトガルでは大航海時代に思いを馳せる。


勇気について、

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仏法の世界は、すべて多数決というわけにはいきません。
初代会長の牧口先生は、宗門が軍部政府を恐れて、学会も神札を祭ってはどうかと言いだした時、敢然とそれを拒否しました。
宗門では、首脳たちが集まって協議し、神札を祭ることに決めたのでしょう。
しかし、たとえ、みんなで決めたことでも、大聖人の教え、精神に反するものであれば、それに従ってはならないというのが、仏法の考え方です。中心となり、基準となるのは、どこまでも“法”だからです。

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広宣流布の新航路を決めた、信念の勇者には、労苦の波浪は、決して障害とはならない。むしろ、波浪が高ければ高いほど、闘魂を燃え上がらせるものだ。

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「時は来ている。時は今だ。さあ、出発しよう!平和の新航路を開く、広宣流布の大航海に!」

真っ赤な夕日が、微笑んでいるように、伸一には思えた。

2016年5月21日土曜日

「新・人間革命」10巻 幸風の章

伸一のアメリカ行きが決まっていた矢先に、ロスで人種差別の抗議から暴動が発生。幹部からは見送るべきとの声があったが、今こそ激励するときとの思いで断行。ロス郊外での野外文化祭に出席し、全力で同志を激励した。アメリカの次は、戸田先生が生前とりわけ関心をもち、夢にまで見たメキシコへ。戸田先生の夢をまた一つ実現へ。



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日蓮大聖人は、『御義口伝』のなかで、『今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり』と仰せになっております。
私どもが正法を流布していく姿は、まさに、いっさいの不幸の塵埃を払う、大風であります。

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伸一は、人間が人間を見下し、差別するという、魔性の心を打ち砕かんと、真剣な祈りを捧げた。

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人生には、さまざまな試練がある。病に倒れることもあれば、仕事で行き詰まることもある。その時に、悠々と乗り越えていくためには、生命の鍛錬が必要です。精神の骨格となる、信心への大確信が必要なんです。

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そんな自分の栄誉栄達よりも、はるかに大きく重要な、人間としての使命があることを、彼は自覚しつつあった。

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“広宣流布”に一念を定めた人は強い。人生の勝利も、成功も、知恵も、活力も、その一念のなかに収まっているからだ。

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特に、大きな悩みに直面している方は、五十万遍、百万遍、二百万遍と、真剣に、着実に、祈り抜いていくことです。
宇宙の根本法の御当体たる、最高の御本尊様です。なんで悩みが解決しないことがありましょうか。人生には、悩みはあります。しかし、それに負けているのは、自分の弱さに原因があるんです。

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つい、悩みが長期間にわたると惰性、疲労がでてくるものですが、今一度、負けないことが幸福と定めて祈りきっていきたい。師匠と心を合わせて広宣流布を使命としていきたい。


「新・人間革命」10巻 言論城の章

1965年元旦、沖縄で執筆を開始された「人間革命」の連載がスタート。聖教新聞も日刊化へ向けて準備が進む。伸一の激励もあり、晴れて7月15日付で日刊化が実現したのだった。海外にも機関紙の発刊が進む。

人間革命―――そこに、いっさいの原点がある。

根本をなしているのは、人間であり、自己自身であるからだ。

自分自身の生命の変革が、家族を変え、地域を変え、社会を変える。時代を変え、歴史を変え、世界を変える。



特に指導者論について、


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指導とは、この“わだかまり”を取り除き、勇気を与えることである。希望を与えることである。

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戸田先生は、『一度は 死する命ぞ 恐れずに 仏の敵を 一人あますな』と詠まれましたが、私どもは、人間を脅かす魔性の生命への追撃の手を、断固、ゆるめることなく、果敢に広宣流布に生き抜いていこうではありませんか!

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指導者には、力と知恵と責任がなければならない。どんなつらいことがあっても、それを乗り越え、頑張り抜く、責任感のある人物が、大指導者に育っていくというのが永遠不変の法則です。
また、後輩に対しても、自分以上の力をつけさせていける、雅量のあるリーダーでなければならない。それには、まず率先垂範だ。その姿、行動が、真実の触発をもたらしていくことは間違いない。ただ命令したり文句を言うだけの、権威主義の人物の下では、人は決して育たない。

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学会精神とは、浅きを去って深きに就く、一人立つ「丈夫の心」である。
殉難を恐れぬ、「死身弘法」の決意である。
間断なき「未曾暫廃」の持続の闘争である。
情熱と勇気の、「勇猛精進」の実践である。
いかなる難も、莞爾として耐え忍ぶ、「忍辱大力」である。
大聖人の仰せのままに、広宣流布に生き抜く、「如説修行」の行動である。
邪悪を許さぬ、「破邪顕正」の精神である。
正しき信心の血脈に結ばれた、「師弟不二」の道である。
堅固なる「異体同心」の団結である。
一人ひとりを仏を敬うがごとく大切にする、「当如敬仏」の心である。
この学会精神を伝えるには、どうすればよいのか――答えは明らかである。自らが行動することだ。精神の継承は、振る舞いのなかにのみある。

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雅量のところでも紹介した部分ですね。

率先垂範とは、中々勇気がいることです。その勇気こそが魔性の生命を破るものであるからには、常に臆病の心との戦い、すなわち勇気こそ率先垂範です。


2016年5月20日金曜日

「新・人間革命」9巻 衆望の章

日本では、東京オリンピックという華々しい出来事の陰で、民衆をないがしろにする貧困な政治が続いているという実態があった。そんな中、「大衆のなかに入り、大衆とともに語り、ともに戦い、大衆のために働き、大衆のなかで死んでいく」という覚悟の議員を衆議院にも送り出す必要を痛感。1964年11月17日、公明党が結成されることとなった。
12月、沖縄指導へ。太平洋戦争の悲惨な地上戦の舞台となったこの地から、平和の大波を起こさんとの誓いをこめ、「人間革命」の執筆に入る。


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どうすれば、同志の団結が図れるのか。
根本は祈りです。題目を唱え抜いていくことです。いやだな、苦手だなと思う人がいたら、その人のことを、真剣に祈っていくんです。
いがみ合ったり、争い合うということは、互いの境涯が低いからです。相手の幸福を祈っていくことが、自分の境涯を大きく開いていくことになる。

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広宣流布というのは、総体革命ともいえる。仏法の慈悲の思想を、生命の尊厳の哲理を、社会のあらゆる分野で実現していく作業であり、政治の分野の改革のために、私は公明党をつくった。

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嫌いな人のことを祈れる境涯。中々難しいですが、その人も自分の一部分と思えば、可能ではないでしょうか。すべてはつながっていて連関のもとで現実が作られている。嫌いな人も自分の嫌いな部分を顕現している人だと。


先生の人間革命の始めの執筆のところは、フロー状態に先生が入る部分が書かれていて非常に参考になります。頭の中で温めていたことと、実際に書いてみて留まるところと、それが感情とともに一つにつながった時のペンの速さ。こうして、先生は読むのも大変な膨大な活字量を、一つ一つ着実に綴って下さったんだと感無量です。

「新・人間革命」9巻 光彩の章

青年の先駆の中、伸一は学生部総会の席上で「創価大学」の設立構想を発表。10月2日からは、東南アジア、中東、ヨーロッパ訪問の旅に出発。東欧では、社会主義体制の矛盾について言及。



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一年目は、何があっても『そうですか、そうですか』と、みんなの言うことを聞くことです。そして、二年目には、『仏法の生き方では、こうです』『日本では、このようにやっていますよ』とだけ話しなさい。三年目になったら、今までの香港のやり方と、日本のやり方と、どちらがよいか、決めてもらうんです。

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『一家和楽の信心』であれば、家族が共通の根本目的をもつことができる。それによって、団結することができる。だから、一家が栄えていくんです。
広宣流布には、横と縦の二つの広がりが必要になります。友人から、また友人へ、仏法への理解の輪を広げていくのが横の広がりです。そして、縦の広がりというのは、親から子へ、子から孫へと、信心を伝え抜いていくことです。
どんなに広宣流布が進んだように見えても、一代限りで終わってしまえば、未来への流れは途絶えてしまう。信心の継承こそが、広宣流布を永遠ならしめる道であり、一家、一族の永遠の繁栄の根本です。

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人間は、ともすれば自分に負けてしまう。一時期は頑張っても、周りの人に信心を反対されると、すぐに臆病になってしまう。あるいは、病気になったり、少し生活が行き詰まったりすると、意気地なしになり、不信の心をもってしまう。また、ちょっとした、学会員との人間関係のもつれや怨嫉から、信心をやめたり、仏の和合僧というべき学会の組織から離れていってしまう。
そうならぬためには、自分の感情を中心にするのではなく、あくまでも、仏法の教えを、御書を根本にして生きていくことです。

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悩みがあるからこそ、真剣に、広布の活動に励めたといえる。学会のリーダーとして、最も重要なことは、悩みに負けないということだ。これが一番の条件だ

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私たちが今なそうとしていることは、人間革命を機軸とした総体革命だ。わが内なる悪と戦い、すべての根源である人間の内面を、生命を変革していく人間革命だ。
そして、政治や経済に限らず、教育、科学、文化、芸術など、人間のもたらすいっさいの所産を、人間の幸福のためのものとしていく作業である。

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何ごとにつけても、その感謝の心は大切だね。感謝があり、ありがたいなと思えれば、歓喜がわいてくる。歓喜があれば、勇気も出てくる。人に報いよう、頑張ろうという気持ちにもなる。感謝がある人は幸せであるというのが、多くの人びとを見てきた、私の結論でもあるんです。

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―――かくも美しく、オーロラは輝く。宇宙は、こんなにも輝きに満ちている。小宇宙である人間もまた、本来、まばゆい光に満ちているはずである。その人間の光彩をめざして、人間のなかへ、生命のなかへ、私は励ましの旅を、断固として続けよう。
人類の闇を開くために、輝ける人間の勝利の時代を開くために―――。

2016年5月19日木曜日

「新・人間革命」9巻 鳳雛の章

山本伸一が「本門の時代」の出発にさいし、国内で初めに着手したこと。それは、高等部、中等部、少年部という未来の人材の泉を掘ることであった。これにより、二十一世紀へ創価後継の大河の流れが一段と開かれたのである。

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広宣流布の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。
広宣流布の活動というものは、権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いであることを、申し上げておきたい。

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一人の人間が、本当に真剣な信心に立ち、生命力強く、英知を輝かせていけば、一家も、一族も、大きくいえば、一国も変えていくことができる。
戦争といっても、本当の要因は人間の心にある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。
また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。
依正不二という考え方に立つならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。

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人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。
すると、信心をもって、団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、この『自己中心』の心との戦いなんです。

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「師子身中の虫の師子を食」の講義では、次のように強調している。
「この御書にも『仏弟子等・必ず仏法を破るべし』と仰せのように、広宣流布を破壊していくのは、外的ではなく、“師子身中の虫”です。
たとえば、最高幹部であった者が、野心から、あるいは嫉妬から、学会を裏切り、造反し、躍起になって攻撃しようとする。それと戦い、学会を守っていくのが諸君です。
また、絶対に、“師子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、“師子身中の虫”をわかしてもならない。
“師子身中の虫”というのは、造反者だけではありません。
仮に、立場は幹部であっても、堕落し、怠惰、無気力になったり、虚栄を張って見栄っぱりになり、すなわち自己中心主義に陥り、一念が広宣流布から離れていくならば、”師子身中の虫”です。そうした幹部がいれば、みんながやる気を失い、学会は蝕まれていく。怖いのは内部です。恐ろしいのも内部です。

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私がこれほどまでに期待しているのに、もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。

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賢人とは、自分で自分をリードしていける人のことです。健康管理は、自分の知恵で行っていくしかない。

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全てを自分の方に向ける。一人が一体どれほどのことができるのか。大河の一滴ではないのか。いや一滴がやがて大河となる。それを先生は教えて下さる。私の一念で国や世界のことまでも包み込んでみせる。そんな祈りでありたい。