2016年5月6日金曜日

「新・人間革命」2巻 民衆の旗の章

民衆!

あなたこそ、永遠に社会と歴史の主人公だ。

いかなる理想も、民衆の心を忘れれば、観念と独断と偽善になろう。正義も、真理も、民衆の幸福のなかにある。



ただし、それを強く賢い方向に導く存在が必要だ。それが創価学会であると思う。



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幸福と平和は、全民衆の念願でありますが、その絶対の原理を示した人は誰もおりませんでした。そのなかで、ただ日蓮大聖人のみが、万人に幸福の道を、具体的に開かれたのであります」
幸福はどこにあるのか。それは、決して、彼方にあるのではない。人間の胸中に、自身の生命のなかにこそあるのだ。
金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それは束の間の幸福にすぎない。戸田は、それを「相対的幸福」と呼んだ。そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、「絶対的幸福」としたのである。

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体験発表とは、見方によっては、自分の過去の恥を暴露することともいえる。しかし、その体験談が学会の随所で、喜々として語られているのは、それに勝る苦悩を克服した喜びがあるからだ。そして、同じように苦悩を抱えている人びとに対して、早く幸せになってほしいという、慈愛の発露にほかならない。さらに、どんなに自分の過去をさらけ出しても、それによって、蔑まれたり、差別されることはないという信頼の絆があってこそ、成り立つものといえよう。

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「御書には『教弥よ実なれば位弥よ下れり』と仰せです。教えが真実であればあるほど、より低い機根の衆生を救っていける。つまり、教えを受ける人の位、衆生の機根はいよいよ低くなるとの意味です。そして、その衆生、民衆とともに進む人こそ、真実の法を弘める仏法の指導者です。ゆえに、幹部になり、信心が深まるほど、いよいよわが身を低くし、謙虚に、礼儀正しく、同志を敬い、尽くしていくべきです。ここに、世間の地位や立場と、学会の役職との大きな違いがあります。

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“先生!私は戦います。「民衆の旗」を掲げ、狭い日本だけでなく、世界を舞台にして”唱題の声に、一段と力がこもった。
彼は、勝利を誓い、胸の鼓動を高鳴らせながら、決戦の第二幕への飛翔の朝を待った。




幹部は謹んで拝受しなければならない箇所である。

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