2016年5月19日木曜日

「新・人間革命」9巻 鳳雛の章

山本伸一が「本門の時代」の出発にさいし、国内で初めに着手したこと。それは、高等部、中等部、少年部という未来の人材の泉を掘ることであった。これにより、二十一世紀へ創価後継の大河の流れが一段と開かれたのである。

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広宣流布の決意という面では、殉難の覚悟が必要です。遊び半分では、尊き世界の平和を築くことも、不滅の民衆の時代を開くこともできない。
広宣流布の活動というものは、権力の魔性との厳しき戦いであり、人生をかけた、断じて負けられぬ、真剣勝負の戦いであることを、申し上げておきたい。

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一人の人間が、本当に真剣な信心に立ち、生命力強く、英知を輝かせていけば、一家も、一族も、大きくいえば、一国も変えていくことができる。
戦争といっても、本当の要因は人間の心にある。人間の支配欲、征服欲、権力欲、憎悪、怨念等々から起こるものです。だから、平和といっても、人間革命が根本になる。
また、最近、深刻になっている公害も、現代人の欲望の産物です便利さ、豊かさばかりを追い求め、自然との調和を忘れた人間の生き方に、その大きな原因がある。
依正不二という考え方に立つならば、結局は、環境の破壊は、人間自身の苦しみに繋がることは明らかになる。

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人間は、年とともに、権力に心を奪われ、自分の地位、立場などに強い執着をもち、名聞名利に流されていく。『自己中心』になっていくものです。
すると、信心をもって、団結することができなくなる。それでは、どんな学会の役職についていたとしても、信心の敗北だ。信心というのは、この『自己中心』の心との戦いなんです。

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「師子身中の虫の師子を食」の講義では、次のように強調している。
「この御書にも『仏弟子等・必ず仏法を破るべし』と仰せのように、広宣流布を破壊していくのは、外的ではなく、“師子身中の虫”です。
たとえば、最高幹部であった者が、野心から、あるいは嫉妬から、学会を裏切り、造反し、躍起になって攻撃しようとする。それと戦い、学会を守っていくのが諸君です。
また、絶対に、“師子身中の虫”になってはならないし、諸君のなかから、“師子身中の虫”をわかしてもならない。
“師子身中の虫”というのは、造反者だけではありません。
仮に、立場は幹部であっても、堕落し、怠惰、無気力になったり、虚栄を張って見栄っぱりになり、すなわち自己中心主義に陥り、一念が広宣流布から離れていくならば、”師子身中の虫”です。そうした幹部がいれば、みんながやる気を失い、学会は蝕まれていく。怖いのは内部です。恐ろしいのも内部です。

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私がこれほどまでに期待しているのに、もし、諸君に広宣流布の総仕上げをしていこうという心がなく、団結もできないようならば、それは、もはや諸君が悪いのではなく、私の方に福運がないんだ。

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賢人とは、自分で自分をリードしていける人のことです。健康管理は、自分の知恵で行っていくしかない。

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全てを自分の方に向ける。一人が一体どれほどのことができるのか。大河の一滴ではないのか。いや一滴がやがて大河となる。それを先生は教えて下さる。私の一念で国や世界のことまでも包み込んでみせる。そんな祈りでありたい。

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