2016年5月10日火曜日

仏法と歴史 ~黒田官兵衛編~

昨日の聖教新聞池田先生から九州への激励を頂いた。

そして、九州・黒田藩の祖、黒田官兵衛(如水)のことを引用して下さっている。

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九州・黒田藩の祖となった黒田官兵衛孝高(如水)は軍略に優れ、かの信長・秀吉・家康という三人の天下人からも大変、重要視された傑物であった。
彼の生まれは播磨国の姫路である。今の兵庫を地盤としながら、勲功を挙げ、やがて九州に本拠を移したのだ。
黒田官兵衛は、後継者の子息・長政に「終りの勝を計れ」と教えた。
戦いの大きな流れを見失い、目先の勝敗に翻弄されてはならぬ。「良将」は軽率な動きを排し、あくまでも全体観に立って戦うゆえに勝利を全うできるというのだ。
長い人生の戦いにあっても、途中には幾多の苦難がある。壁にぶつかる時もあろう。思いもよらぬ難関が立ちはだかる。
だが、我らには「法華経の兵法」がある。ゆえに迷いなく、定めた決勝点を目指して、辛抱強く力走するのだ。そして「最後は、信心しきったものが必ず勝つ」ことを、執念で証明するのだ。

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この文面と次につづく、雨の関西文化祭を「新・人間革命」11巻の常勝の章で読んでいただけに、自分あての手紙のように感じられ、電撃が走るように感激した。師匠とはかくも弟子のことを思ってくれているのかと。

そして、しばらく寝かせていた、吉川英治氏「黒田如水」を繙いた。先生も読まれたなら吉川英治氏ではなかったろうかと。師匠と呼吸を合わせるために。

現在は四分の三を読み進んだところで、ようやく荒木村重の牢から出てきて信長と対面したところである。官兵衛最大の逆境であった牢生活という艱難辛苦をなめた時期を読むことができた。これからは竜が昇るだけである。読むのも一気だ。そこは、楽しみに残しておくとして、これまでの部分を記憶に留めたい。

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ひとつの人生でも、一貫する戦争でも順調のみには行かない。必ず逆境が伴う。いや逆境はいつも順調の中にあるといってもよい。

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彼はあくまで虚心坦懐をむねとしてこれへ帰って来たのである。何の策も持つまい。怒りも現わすまい。ただ主家小寺家のためと、部門の信義をもって一貫しよう。有るは唯、誠の一字、それをもって、主人を説き一族老臣も説き伏せよう。

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官兵衛はすでに、自分の血を自分で嗅ぐような予感と、そそけ立つ髪の根の寒さを如何ともし難かった。一歩々々、階段を降りつつ、彼は自嘲を抱いていた。――人間、日頃はいつでもと死を覚悟しているつもりでも、さてその場にのぞんでは、この生理的な恐怖の襲いには、どうにも剋てないものであると。

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「自分には為すことがたくさんある」
その信念に執着するのだ。自分ならで誰が為す者があろうと自負される世業にたいして、生命そのものが燃え惜しむのである。

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「・・・・・・吉瑞だ」
いきなり彼は叫んだ。跳び上る体力もないが、跳び上った以上の衝動を満身に覚えた。めずらしく彼の額に血のいろが映えた。
「獄中に藤の花が咲くなどということは、有り得ないことだ。漢土の話にもこの日本でも聞いた例しがない。・・・・・・死ぬなよ。待てば咲くぞ、という天の啓示。そうだ天の啓示だ」
彼は、掌を合わせて、藤の花を拝んだ。



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自己の意志だけを以てどうにもならない長い獄中生活は、彼に或る生き方を習性づけていたかもしれない。怒涛の中にあっては怒涛にまかせて天命に従っていることである。しかも断じて虚無という魔ものに引き込まるることなく、どんな絶望を見せつけられようと心は生命の火を見失わず、希望をかけていることだった。いやそうしてその生命と希望をも越えて、いよいよという最期にいたるもこれに乱されない澄明なものにまで、天地と心身をひとつのものに観じる修行でもあった。

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獄中、彼は小袖の袂を噛みやぶったこともある。血は煮え肉はうずき、あわれもののふを知らぬ大将よと信長の無眼無情をうらみつめた幾夜もあった。
けれどそれに噴悶してわれを失う彼でなかったことが幸せであった。彼がひとつの生死観をつかむには、それ以前にまずこれらの怨恨や憤怒はおよそ心の雑草に過ぎないものと自ら嘲うくらいな気もちで抜き捨てなければ、到底、達し得ない境地なのであった。

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いかがでしょうか?逆境のどん底では、あの気丈な戸田先生でさえ、獄中生活を、この官兵衛と同じ心境で乗り越えたことがつづられています。極限に果たして自分はどれだけ耐えられるのか、目前にある恨み辛みはどうだってよい(誤解もあるし思い込みもある)こと、心を平らかにする重要さが分かってくる気がします。天地と一体になった感覚。

「菜根譚」とも相通じていますね。「仏法と菜根譚」も最後はこの条文でしめくくる予定です。

仏法は道理であれば、全て極限の悟りは、自然と仏法に通じていくものです。

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