2016年5月1日日曜日

経済は、人類を幸せにできるのか? その②

前回、良書に出会ったと喜んでいたのも束の間、第2章は・・・期待外れでした。

意味がよく分からない。おそらく訳語がところどころ間違っているのではないだろうか・・・。



要約すると、

労働の価値から道徳的なものが失われ、金銭的なものだけが残るようになったからだ


ということでしょうか?



「保育園」の事例は分かりやすかったです。

お迎えの時間に遅れる人が多いので、課金するようにしたら3倍も遅れる人が増えてしまった・・・。

なぜなら、親たちの心理が子供に恥をかかせたくない、先生を困らせたらいけないというものから、ベビーシッターの料金と比較するようになったためであると。

前回の「献血」の場合と同じ過ちだと。




他に重要と思われる箇所は、

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論理の非常に異なる二種類の制度のつなぎ合わせ(前の文章から協力を促す制度競争を刺激する制度と判断)が資本主義であることが、はっきりとわかる。価格に見合った最高の品質の財やサービスを供給することを目的にする、顔の見えない市場は、競争的な態度を促す。一方、企業はまったく別の論理に基づいて行動する。両者を区分する必要があるのだ。企業内において、従業員は、ライバル企業や顧客、ようするに市場環境に対し、通常であれば団結する・・・・・・。この砦が失われると、働く者たちは、新たな競争圧力に恒常的にさらされる。だが、弱者はこの重圧を克服できないのだ。

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この部分だが、前半は競争原理でいつもの経済のとおりだが、後半は競争しているようで実は談合しているような状態をいっているのか、ちょっと文章からはよく分からない。


ちょっと楽しみにしていただけに労働組織への満足な回答が得られず残念。


ただ、現実を見てみると右肩上がりの売り上げ予測を立てる時代は終わって、バイオリズムと同じく、さまざまなモードで事業計画を立てる(たとえば1年間は人材育成重視モードなど)時代がきているのではないでしょうか?

浮き沈みのリズムはどのようなケースにも必ずあり、右肩上がりは見ただけでやる気を削ぎ、社員が悪いことに手を染める遠因になっている気がします。

効率性の議論もところどころ意味不明でなされていましたが、自分流に解釈すると、

確かにこれも現在の状況は「お金が効率的」に一部分の富裕層に回るシステムであって「労働効率性」がいいとは言い切れないと思います。無駄な仕事をさせて、お金だけを集めて快楽主義に耽っている一部の悪質な富裕層は必ずいると思うのです。

金融資本主義は是正されなくてはいけませんね。その人の生活に本当に必要なものかどうかをお金の取引の前に判断する軸もあっていいのではないでしょうか?実体経済をもっと大切に

お金は銀行が保証しているだけで、実体以上に出回っているものです。

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