2016年6月27日月曜日

中国歴史小説 ~楽毅③~

ちょっとずつ、ちょっとずつと思いながらも重なれば一巻。第三巻も楽毅は「燕」に入らずにしまいました。全四巻のうち前三巻は「趙」の歴史が分かりやすく書かれているといったほうがいいですね。宮城谷昌光氏「孟夏の太陽」というタイトルで「趙」の始祖のことも小説に書いており、格別「趙」びいきであるようです。これを読んでいると戦国前期は「魏」が強く、中期は「秦」と「斉」の二強とまとめられていた歴史が、「趙」にも天下統一とはいかないまでも北半分を版図にする勢いがあったことがわかります。武霊王の知略と武略によるところが大きいですが、その後の恵文王も別の角度から国を富ませました。ただし、この引継ぎが、武霊王を餓死に追いやってという暗さが残ります。それが、第三巻の見どころです。

大胆にして細心の武霊王は賢人といえそうですが、なぜか名君になれなかったのは細心の部分が狡猾であったからだと感じました。細心はどこまでも真心でありたいものです。


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中山国はこの世から消え去るのか――。隣国趙と成立した講和は一方的に破棄され、趙の苛烈な侵攻は再開した。中山国の邑は次々に落ち、そのさなか中山国王も没した。そして首都の霊寿もついに陥落する。東西の辺土を残すのみとなった祖国の存続をかけ、楽毅は機略を胸に秘め、戦火の消えぬ中山を離れ、燕へと向かった。抗い難い時代の奔流のなか、楽毅はなにを遺そうとしたのか。

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大切と思われた箇所、

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世論にも歴史にも、勢いとながれがある。それをみきわめただけでは故事を学んだことを活かしきったとはいえない。勢いとながれを自分でつくりだしてこそ、学んだことを活かしたといえるのである。ただし、それができるのは、万人にひとりか。

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まえをみずぎれば足もとがおろそかになる。足もとをみずぎればまえがおろそかになる。人の歩行はむずかしい。目的がなければ努力をしつづけにくい。が、人が目的をうしなったときに、目的をつくるというのが、才能というものではないか。平穏無事を多数とともに満喫しているようでは、急変の際に対応できず、人の生命と財産を守りぬけず、輿望をあつめることはできない。

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不遇や閑時にこそ勉学をと歴史は教えてくれています。晴耕雨読。今日も雨降る、本を読む。何時か反動を利用して勢いをつけるべく。

2016年6月24日金曜日

中国歴史小説 ~楽毅②~

落ち着いて読書のできない日が続いていますが、歴史的偉人は必ず読書家であることに鑑み、地道に続けます。楽毅もまた、不遇のときこそ読書をしたようです。

第二巻はいよいよ武霊王が中山国を計画的に滅ぼしにかかります。最終章に近いところで初めて「燕」に援助を頼むという話が出始め、史実である、「燕」の楽毅が「斉」を攻めるという構図に近づきます。「中山国」の宰相だったというのは宮城谷氏のフィクションと思われ(確か戦国名臣列伝で中山出身と思いたいと書かれていた)、ここで示したかったのは、中山を例にして、「ほろび」の国がどのような状態であるかということだったのでしょう。これは現在の会社等にもあてはめられるのではないでしょうか。

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祖国中山は自分にとって小さすぎるのか――。楽毅の憂色は濃く、深い。四度にわたる隣国・趙の侵略。宰相だった楽毅の父は自ら望んで死地へ赴き、祖国は国土の大半を失った。趙の侵略はとどまるところを知らず、戦火が絶えない。が、祖国の君臣は方策を講じず、内外で声望の高まる楽毅を疎んじ続けた。苦難の戦いを強いられた楽毅はどこに活路を見出し、いかに理想の自己を貫いたか。

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第二巻は、「ほろび」の哲学色が濃いところ、

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疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。

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勇と智をあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときよりも、なにもなさないときに、その良質をあらわすからです

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なにもしないとみせて、なにかをする。なにかをするとみせて、なにもしない。敵に虚実をさとらせないのは、孫子の兵法ではありますまいか

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復讐は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている

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白を黒であるといいくるめる術には信義が欠けている。あえていえば、そこには人の心がない。

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天与の幸を享ける者は希にしかおらず、その人に付すことによって幸をわけてもらうというのが幸運とよばれているものである。

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勇気とは、人より半歩すすみでることです。人生でも戦場でも、その差が大きいのです

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天下の才は、天下のために使うべきであり、それが天意というものであろう。ひとりの人物が天業のために不可欠であるのなら、かならずその人物に天啓というものがある。その天啓をさまたげようとする者は、天の怒りを買い、天譴をくだされる

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君主とは孤独に生きる人をいう。孤独に身を置かなければ、群臣と国民とが納得する聴政をおこなえるはずがない。

(中略)

好悪があきらかであることは、正直であるというより、精神の幼さを意味している。あるいは人としての弱さもそこにあり、自立するという真の意義を理解していない。中山王は孤独に耐えられないからこそ、国を孤立化させている、ともいえる。孤独をつらぬくには勇気が要る。まったく援助を得られない立場に身を置いてみて、はじめて自己と他者というものがわかる。自分で考え、自分で決断し、自分で実行する。これほど勇気を必要とすることはない。

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こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。人が戦うということは、おのれと戦うということであり、勝つということは、おのれに剋つということにほかならない。

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歴史を知ることによって、自分のむこうにある自分がみえてくる。

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歴史を知らぬ、偽善を行ってきた中山は滅ぶべくして滅ぶのだと。

2016年6月20日月曜日

中国歴史小説 ~楽毅①~

中国文明史は「漢」までいきましたが、歴史小説は「春秋戦国」や「楚漢戦争」において豊富です。読んでみたいと思っていた春秋戦国時代の人物、「子産」「楽毅」「楽喜」の三人のうち、前二人は宮城谷昌光氏が小説を書いてくれていることが判明し、一読しようと決心。省エネモードながら、少しずつ読み進めたいと思います。




一巻の概略は、外交を怠る慢心の中山国を、趙の武霊王が巧妙に侵略するのを、太子に光明を見いだした楽毅が巧みに防ぐところ、

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古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国、中山国宰相の嫡子として生まれた楽毅は栄華を誇る大国・斉の都で己に問う。人が見事に生きるとは、どういうことかと。諸子百家の気風に魅せられ、斉の都に学んだ青年を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略だった。才知と矜持をかけ、若き楽毅は祖国の救済を模索する。

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抜粋箇所は主に田文(孟嘗君)の人柄についての部分が多い。

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独りで生きることはさびしい。自分のさびしさを視、自分のさびしさを聴いたにすぎぬ

(中略)

そのさびしさのむこうに、人の真影がある

(中略)

人の偉さというのは、孤独の深さにかかわりがある

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孟嘗君はたびたび自領を捨て、個として天下を闊歩した。
――ほろびのわかっている人のありようは、あれよ。
それゆえに孟嘗君は不朽なのではないか。

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薛公に会って以来、つねに自分にいいきかせていることは、おのれへのこだわりを棄てよ、ということである。

(中略)

無欲を衒う者は名誉欲にとらわれるという坎穽にはまりこむものであるが、薛公にはそれもない。

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かれの考えていることに根拠はない。すべてを感覚がおしえている。感じた通りに行動したにすぎない。したがってなぜそうなのかは説明できない。
――いのちにかかわるときは、おのれのままに動いたほうがよい。

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――人とはふしぎなものだ。
身分とは違うところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のりこえることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。

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成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。

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信義などというものを枯葉のごとくふるい落とす戦乱の世に、信義を立てて生きている薛公は奇蹟の人といってよいであろう。

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自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。

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知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。

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軽蔑のなかには発見はない

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目には呪力がある。

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目くばりは自分にもおこなわなければならない。それが内省というものである。人は神ではない。万能でなく、人格も完璧ではない。むしろ欠点のほうが多い。その認識から発して、徳望の高みに一歩ずつのぼってゆく努力をしなければならない。

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この世で、自分で自分がわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希っているのかもしれない。

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2016年6月19日日曜日

仏法と歴史 ~宮本武蔵編~

昨日の「聖教新聞」には、先生の随筆が掲載され、宮本武蔵が紹介されました。

今までだったら、ここで紹介されている『五輪書』や、吉川英治氏『宮本武蔵』も読んだかもしれませんが、今は省エネモードに入っています。紹介だけにして、後日追加していけたらいいですね。

巌流島にはいったことあるのです。その時に歴史に触れたイメージは、決闘時間をずらして佐々木小次郎の気を削ぎ、討ち果たしたイメージしかなかったのですが、やはり精神面を含めて、剣術を極めた天才だったということでしょう。


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無双の剣豪・宮本武蔵は、晩年を九州・熊本の地で過ごし、独自の兵法観と思想を集大成した『五輪書』をまとめた。
そこに「生国播磨」――今の兵庫出身と記した彼は、生涯で六十数回にわたって勝負をして一度も負けなかったという。
なぜ、強かったのか。
武蔵は自身の剣術について、「水を本として、心を水になすなり」と譬えた。水は形を自由に変える。この水の如く、自分を自在に変えることができたから強かったというのである。さらに実際の太刀の使い方や構えにも、固定的な型はないと述べている。
千差万別の相手に、自在に対処していくのだ。
決して過去の成功にとらわれず、電光石火で対応を変化させる。これこそ武蔵の必勝の哲学だ。
『五輪書』は、「一人の敵に自由に勝つときは、世界の人にみな勝つところなり」と論じてもいる。
我らが真剣勝負の対話で、一人の心をつかむことは、万人の心をつかむことにも通じよう。
大聖人は、「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」と明言なされた。「断じて勝つ」との強き一念で御本尊に祈り、勇敢に一歩を踏み出せば、世雄たる仏の隨縁真如の智は、いくらでも湧いてくるのだ。

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「新・人間革命」14巻 智勇の章

権威主義などに対抗して大学は学生運動の渦中であった。過激化していく現状を憂え、伸一は「第三の道」を提案。また、教育については政治から切り離された「四権分立」であるべきであると主張し、大学の自治を奪う「大学立法」に対しては、自ら学生らと共にデモの先頭にも立った。学生部員は「第三の道」を目指し新学生同盟(新学同)を結成した。


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常に新しき決意で、広宣流布に敢然と勇み立つことこそが、創価の大精神である。その時、地涌の菩薩の大生命が脈動し、自身の境涯革命がなされていくのだ。そして、そこに、わが人生の栄光と大勝の道が開かれるのである。

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いかにして平和を守るか。これこそ、現代の人類が担った、最大の課題であります。

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二十一世紀は、「国益」の追及から「人類益」の追及へ、「分断」から「融合」へ、「戦争」から「平和」へと向かわねばならぬ時代である。大学も、国家のために働く人間から、人類の幸福と世界の平和・繁栄のために働く人間の育成へと、変わるべき時を迎えているといえよう。人材像もまた、単に知識や技術の吸収にとどまらず、人類の幸福を実現する高い理念と、優れた人格をもち、技術、学術を使いこなしていける創造的な人間へと変化していかねばならない。そして、そうした人材を育むには、大学に、精神の基盤となる、確たる教育理念が求められる。

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学生時代は革命を口にしながらも、就職してサラリーマンになれば、企業の論理に従わざるをえない。そうなれば、人間を抑圧する側の、歯車の一つになりかねないと思っていた。そのなかで、いかにして革命を理想を貫けばよいのかというのが、多くの学生部員の悩みであったといってよい。

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権力をもつ者のエゴを、さらに、自己の内なるエゴを、どう乗り越えるかということではないかと思う。つまり、求められているのは、権力の魔性、人間の魔性に打ち勝つ、確かなる道です

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結論を言えば、一人の人間の生命を変革する折伏に励むことこそが、漸進的で、最も確実な無血革命になるんです。さらに、生涯を広宣流布のために生き抜くことこそが、真の革命児の生き方です。また、君自身が社会のなかで力をつけ、信頼を勝ち得ていくことが、折伏になります。

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管理の強化によって紛争の解決を図るというのでは、大学問題の本質から目をそらし、ますます病根を深くすることになりかねない。

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どんな気構えをもっていようが、声をあげるべき時にあげなければ、眠っているに等しい。言論戦とは、まさに、「時」を見極める戦いであり、また、時間との勝負でもある。

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宗教は人格を陶冶し、陶冶された人格は、他者への同苦の心をもつ。そして、不幸や矛盾、不平等をなくそうと、社会的使命を自覚するに至る。

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“苦悩に打ちひしがれた一個の人間の胸中に、希望と勇気の火をともすことから、人間解放の戦いは始まる。そして、人びとが生きる力を得て、変革の主体者として立つ時、社会は一変する!”

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どんな高邁な主義主張も、人間性が伴わなければ、必ず破綻をきたすことになる。本来、主義とは、自分の生き方であり、人間性の帰結であるからだ。ゆえに、いかなる理想を説き、いかに立派な言辞を連ねようが、人間性の革命がなければ、その主義が真に実現されることはない。

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社会革命のためには、日蓮大聖人の仏法による人間の心の根底からの立て直し、つまり、表現こそ違うが、「人間革命」しかないというのが、創価の父・牧口の、一貫した考えであった。

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日蓮大聖人は、末法の一切衆生のために、大宇宙の根源の法たる「仏」の大生命を、御本尊として御図顕になられた。この御本尊を信受し、一切衆生の救済を、わが使命として生き抜くなかにこそ、自身の「仏」の生命を開く唯一の道があるのだ――。

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相互不信であった現状を、信頼を勝ち取る方向へ、我が人間革命によって舵をきらなければならない。迂遠にも思える一人の折伏もって。生涯の友となる有為な人材に出会えますように。

「折伏に精進するならば、魔の侵すところとはならない。決して天魔鬼神に侵されることのない平和な生活ができる」(師弟の大城114ページ)のだ。

2016年6月18日土曜日

憔悴から逃れられない時は・・・

「憔悴」その言葉がぴったりくるような日々。自分の中で確信と懐疑のせめぎ合い。とにかくも無明の怖さを知る。平常心とは、そう簡単に手に入るものではないのですね。



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しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分りはせぬ


人間に分らない無数の理由が

あれをもこれをも支配してゐるのだ


山蔭の清水のやうに忍耐ぶかく

つぐむでゐれば愉しいだけだ


汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな


やがては全体の調和に溶けて

空に昇って 虹となるのだらうとおもふ・・・・・・


さてどうすれば利するだらうか、とか

どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと


要するに人を相手の思惑に

明けくれすぐす、世の人々よ、


僕はあなたがたの心も尤もと感じ

一生懸命郷に従つてもみたのだが


今日はまた自分に帰るのだ

ひつぱつたゴムを手離したやうに


さうしてこの怠惰の窓の中から

扇のかたちに食指をひろげ


青空を喫ふ 閑を嚥む

蛙さながら水に泛んで


夜は夜とて星をみる

あゝ 空の奥、空の奥。



しかし またかうした僕の状態がつづき、

僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、

自分の生存をしんきくさく感じ、

ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。


そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに

気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。

それがばかげてゐるにしても、その二つつ

僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。


中原中也全詩集 「憔悴」より
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2016年6月16日木曜日

中国文明史 ~漢~

楚漢戦争を経て劉邦高祖として初代皇帝となった漢。A.D.8年に一時的に王莽によって新という国を建てられ簒奪にあいますが、すぐに劉秀(光武帝)によって奪還。この簒奪以前を前漢、以後を後漢として400年続く漢帝国として扱っています。イメージが少し違うでしょうが、三国志の曹操が亡くなるころまでは漢帝国が存続し、ここに含まれるのです。


【漢】B.C.202年~(A.D.8)~A.D.220年

<特徴>
・当初は開国の功臣である異姓の者を諸侯王に報じて広大な地域を治めさせたが、周がそうであったように、禍の種となりつつあったため、同姓の諸侯王に据え替えた。
・その後も同姓の諸侯王の勢力が増し、割拠の恐れがあったが、武帝がその勢力を削ぎ、細分化することで、80年以上にわたって皇室を脅かした諸侯割拠の事態は回避された。
高祖の妻であった呂氏の専横により一時的に呂氏一族に王朝を乗っ取られる事態が発生。
文帝武帝と賢帝が続き、一時的な危機を見事に乗り切り威信を回復。
武帝の時代の拡大は特に目覚ましく、宿敵であった匈奴を分裂させ、南匈奴を属国にし、西に西域都護府をおいて、シルクロードを開通させた。
・辺境には移民を住まわせ、屯田兵を置き耕地を拡大。
・西域は36の国に分かれ、烏孫大月氏が最大規模。同盟ならずも西域文化は多く流入。
軍事的脅威は長城より北の匈奴のみ。南は百越、西南夷がいたが、属国的。
・戦場が北に限定され、戦争は戦車が衰退し、騎馬が重要された。
牛耕技術の普及。
鉄器の普及と青銅器の衰退(礼器としての使用に限定)。
紙や司南(方位磁石)の発明。
・宮廷音楽が俗楽を取り入れて作新。
私有地を荘園にして勢力を拡大した地方豪族がやがて亡国の因。
仏教が西域より伝来し、儒教、道教も加えて三つ巴の論争が始まった。




ここでは、やはり仏教伝来に注目したいですね。記録的にはA.D.67年と。

『仏教が中国に伝わった当初、その教義は儒学・道教とは大きな違いがありました。とくに、家と国家に対する観念のちがいがもっとも大きく、

仏教は家を捨て国を離れ、人倫関係の垣根をうち破ることを主張することで、この世の苦難を超越することを求めました。

儒学は家を平穏にし国を治めることを求め、忠と孝を基本道徳としました。

道教は個人が救済されて仙人となることを説きましたが、忠と孝を修行の戒律としていました。

したがって、後漢末に仏教は新しい思潮として社会でめざましく活動し、中国の伝統的な道徳観念に挑戦しました。』

ううん。仏教といってもまだまだ創価学会の思想からは程遠い気がします。小乗から大乗への流れの渦中だったのでしょう。




2016年6月15日水曜日

仏法と歴史 ~陳勝・呉広編~

さすがに、退職するというのはエネルギーがいりますね。

前例のない制度を使って、とうとう打って出てしまいました。もう戻れません。臆病な心が襲いますが、そこは信心の出番。唱題で臆病に勝ってこそ、仏の生命は湧現する。

なにより「先駆け」の使命感です。戦国時代なら生きるか死ぬかですからね。今はやはり文明が進んでいると言えるでしょう。明るい方へ。明るい方へ。

どのみち、このままいくと数年後には希望退職者を続々出すことになるでしょうし。



丁度、今読んでいる中国文明史「秦漢」のところになり、項羽と劉邦の楚漢戦争はごくあっさりと素通りなのですが、捨てて置けません。

「春秋戦国」についても、何遍となく余話として脱線してきましたが、この時代もきっちり清算しないとですね。陳勝と呉広は秦を滅ぼすきっかけの反乱を起こした先駆け的人物で、そのまま「陳勝呉広」で先駆けの意味のことわざになっています。この乱に呼応して次々と反乱者が立ち、最終的に項羽と劉邦に絞られ、劉邦が漢を建国するのです。


ここは、池田先生のスピーチを紹介することによって、中国文明史余話としてではなく、仏法と歴史の観点からご紹介したいと思います。


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作家で歴史にも造詣の深い陳舜臣氏『小説十八史略』からも参考に引かせていただくことにする。
はじめに秦帝国の末期、最初に反乱の先端を開いた陳勝にふれておきたい。
彼は若いころ、しがない雇われ農夫であった。あるとき、彼は将来の夢を語って仲間にあざ笑われた。そのとき彼は「嗚呼、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」と大きくため息をついたという。
ツバメやスズメのような小鳥には、オオトリやハクチョウのような大鳥の志がわかるはずがない。小人物に、自分を超えた器量の人物の大志大望が、どうして理解できようか――との嘆きである。これは本来『荘子』にある話だが、陳勝のことばによって有名になった。
私どもの目的である広宣流布は、最高の「大志」である。その遠大なる志、純粋にして壮大なる目的観と心意気は、社会の人々には、なかなかわからないであろう。まして濁世にあって、目前の利己的欲望や、既成概念にみずからの目を覆われてしまった人々には、想像すらできないにちがいない。ゆえに諸君は、すべてを悠々と達観しながら、大いなる「鴻鵠の志」を、使命の人生の大空に広げていっていただきたい。

陳勝はやがて農民反乱(陳勝・呉広の乱)の指導者として立ち上がった。そのとき、九百人の農民を前にして行った名演説は有名である。
「王侯将相寧んぞ種有らんや」――王侯、将軍、宰相といっても、生まれつきそうなる人種が決まっているわけではない。皆、同じ人間ではないか。だれでもなれるのだ。われわれも、そうなってみようではないか。陳勝の人間としての捨て身の叫びは、聴衆の心を見事にとらえた。

1987年11月2日 第9回創価班総会にて池田先生の指導より
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たった二つの成語であるが、彼らは歴史に名を遺したのです。結局、陳勝は一度は王を名乗りながらも、秦軍の反撃や内部分裂によって滅び、歴史の舞台からは姿をけすのですが。

王になることで欲望が満たされたともいえるし、やはり際限のないものを志の頂点にする末路は、内部分裂ではないでしょうか。仏法でも「師子身中の虫師子を食む」とあるように敵はいつでも内部です。

さあ、自分も心をいれかえて、体調管理をしっかりしつつも、大志に向かって勉強を続けよう。

2016年6月9日木曜日

中国文明史 ~秦~

いよいよ秦がB.C.230年から221年の約10年の間に、総数200万を誇る強力な軍隊を東進させ、各国を併呑していきました。戦いによる死者数は万人規模で、例えば、B.C.260年の趙との戦いで40万人の首を捕ったとあるくらい大規模な戦争でした。

始皇帝の権力は絶大で、基本的な制度は、以後2000年にわたり中国の歴史を流れる骨格を形成しましたが、伝えるべき人物を誤ったため、秦という国自体はたった15年の命脈しかありませんでした。


【秦】B.C.221年~B.C.206年

<特徴>
中央集権的な郡県制(48郡)が全国に敷かれた。
・9度にわたり遷都。統一後を含め最終的には咸陽に落ち着いた。
皇帝制度、三公九卿などの官吏制度を設け、血縁は軽視した。
戦争を重視し、軍功によって爵位(20等級)が与えられ、皇族以上の出世が叶う時代。
・軍功によって成り上がった軍功地主の政治が残虐で、最終的には亡国の因。
・各国にあった都市防衛の城壁はなくし、北に匈奴に備えた長城を建設。
(趙と燕にあったものに追加した)
国民皆兵の軍政。
・咸陽を中心として幹線道路、巨大用水路()を建設。
度量衡、車軌、貨幣、文字の統一を進めた。
・焚書坑儒
・武威を示すため5度にわたり始皇帝巡幸。5回目の途中で死亡。
・あらゆる体制を短期間によく整備したものの、趙高という悪名高い臣下に
 後事を託したため、二世の代で滅ぶ。





「新・人間革命」13巻 楽土の章★

1969年、建設の年の開幕。2月、伸一の胸には、沖縄の楽土建設への闘魂が、照りつける太陽にも増して燃え盛っていた。会う予定のなかった地域の人びととも劇的な出会いを刻んでいく。駐留米軍のアメリカ人の学会員の面倒を見て、そこから世界広布が広がっていった話や、我が子を火事でなくしながら、それでも広布に懸命に走った人びとのドラマが綴られる。



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真の繁栄と平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、そこに住む人びとの、一念にこそかかっている。人間が、絶望や諦めの心をいだき、無気力になったり、現実逃避に走れば、社会は頽廃する。
楽土の建設は、主体である人間自身の建設にこそかかっているのだ。楽土を築こうとするならば、他の力を頼むのではなく、平和のため、人びとの幸福のために、自分が一人立つことだ。何があっても、絶対に屈することのない、強き信念と希望の哲学をもつことだ。複雑な現実の迷路を切り開く、聡明な知恵を働かせることだ。そして、その源泉こそが、日蓮大聖人の仏法なのである。御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」と仰せである。

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広布に献身しゆく同志に、仏を見ずしては仏はない

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恒久平和の実現は、最も困難なテーマです。聡明な、力ある英知の指導者が、続々と育たなければならない。もし、平和への使命を自覚するならば、口先ではなく、日々、実際に何をするかです。いかに、自分を磨くかです。どれだけお題目を唱えて、どれだけ勉強したかです。

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仏法でなければ、真実の平和は築けません。紛争についても、武力によって制圧すれば、解決できると考えるのは誤りです。それでは、むしろ、憎悪を生み、果てしない報復の繰り返しになってしまう。戦争といっても、それを引き起こすのは、結局は人間です。ゆえに、平和の建設は、人間の生命を変革し、憎悪の心を慈悲に、反目を友情に変える以外にない。
その人間革命の道を教えているのが、日蓮大聖人の仏法なんです。

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励ましは、人間の心に勇気の火をともし、発心を促す。だが、そのためには、己の魂を発光させ、生命を削る思いで、激励の手を差し伸べなくてはならない。その強き一念の波動が、人の心を打ち、触発をもたらすのである。

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大事なことは、社会を、環境を変えていくのは、最終的には、そこに住む人の一念であるということです。

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すべては、人間の一念の姿勢です。意欲です。活力です。精神の力にかかっています。どんなに経済の支援があろうが、人間の精神が荒廃してしまえば、本当の発展はない。

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青年時代は、苦労に苦労を重ね、自らを鍛え抜いていただきたい。十年先、二十年先、三十年先をめざして、じっとこらえて、時の来るのを待っていただきたいんです。力をつけ、地中深く根を張り巡らせていれば、時が来れば、必ず花が咲きます

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人生はある意味で死闘といえる。血を吐くような思いで、無我夢中で戦っていくしかありません。悩んで悩んで、悩み抜いていくところに成長がある。人間形成がある。それこそが、生涯の財産になります。

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広宣流布の使命を自覚することです。人は、なんのための人生なのかという、根本目的が定まっていなければ、本当の力は発揮できないものです。また、力をつけ、立派な地位や立場を手にしたとしても、自分の立身出世のみが目的になっていれば、社会への真の貢献はできません。

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信心をして苦しみを受けるということは、一生成仏への道を進んでいる証拠です。それは、絶対に間違いない。

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本当の大功徳は、どんな大苦悩に直面しても、決して負けない自分自身をつくり、何があっても、揺るがない大境涯を築いていけるということなんです。それが、絶対的な幸福境涯です。

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本章を貫くテーマとして、一念次第ということである。

今日の聖教新聞にはこうありました。

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創立の父・牧口常三郎先生は、獄中から「心一つで地獄にも楽しみがあります」と家族に書き送られた。
先師が命を賭して教えてくださった精神の宝こそ「一念三千」の法理である。一念の心の変革が、一切を変えていく。
ゆえに、心を強く、また賢く育んだ人は幸福だ。
2016.6.9 聖教新聞 随筆 永遠なれ創価の大城より
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2016年6月8日水曜日

「新・人間革命」13巻 光城の章

広布の理想郷と今では言われる奄美大島であったが、30数年前は違っていた。公明党の候補が立つことへの恐れから、島の有力者たちが結託して学会員への執拗な嫌がらせ、村八分が起こったのだ。そんな中でもけなげに信心の実証を示そうと奮闘する会員の姿があった。秋には芸術祭が方面で開催されていった。



奄美広布にて、

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大聖人様は『末法の法華経の行者を軽賤する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず』と断言していらっしゃる。折伏を行じる私たちをいじめれば、絶対に現証が出るよ。

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“恐れ”は、真実を見る眼を曇らせ、妄想をかき立て、さらに、人間を残酷にする。
その結果、理不尽な学会排斥の呼びかけに、大多数の人たちが同調してしまった。
いわば、村の人たちは、己の心の影ともいうべき妄想に怯え、冷静な判断力を失い、過激な反学会の人権蹂躙へと走ってしまったのである。

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みんなが純粋に戦い抜いたから、三障四魔が競い起こってきたことは間違いない。しかし、村の人たちが魔であると、固定的に考えるのは誤りです。魔とは、衆生の心を悩乱させ、善事を妨げ、仏道修行を阻む“働き”のことです。魔は、仏身あ権力者、父母、師匠、妻子など、あらゆる姿を現じて、衆生の心を惑わします。
たとえば、母親が幼い娘を祖母に預けて学会活動に出ようとしたら、娘が行かないでと言って泣いたとする。それでやめてしまえば、魔に負けた姿です。
では、娘さんという存在自体が魔なのか。そうではない。自分にとって魔の“働き”になっただけで、娘さん自体は、魔でも、敵でもない。愛すべき対象です。
人間は、魔の働きをすることもあれば、諸天善神の働きをすることもあります。また、一つの現象が魔となるのか、人間革命への飛躍台になるのかは、自分の一念の問題です。

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大聖人は『我を損ずる国主等をば最初に之を導かん』と仰せです。自分を迫害した権力者たちを、最初に救おうという、この御境涯に連なれるかどうかです。

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人間は、苦境に負けるのではない。自分自身に負けるんです。自らあきらめ、信念を捨て去り、敗れていくんです。今は、どんなに苦しくとも、広宣流布という最高の目的に生き抜いていくならば、十年後、二十年後には、絶対に花開かないわけがないと、私は断言しておきます。

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インドの独立運動の指導者であったマハトマ・ガンジーは、歴史上、偉大な運動というのは、必ず、五つの段階を経ると語っている。
それは、「無関心」「嘲笑」「非難」「抑圧」「尊敬」の五つである。
そして、「抑圧」にあっても生き残る運動は、必ず成功の異名である「尊敬」を集めると述べ、その秘訣は「誠実」であると結論している。

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芸術祭にて、

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実は、その原理が『異体同心』ということなんです。
世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。
それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。

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信心に励むなかで、財産も、地位も、名声も、人間の永遠の幸福を約束するものではないことを学んできた。そして、“自分自身の宿命を転換し、福運をつけなければ、本当の幸福はない。その道は、仏法しかない”と、実感してきた。

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福運をうんとつけて、十年後、二十年後よ見ていてくれたまえと言いたい。今日も家庭訪問・唱題に徹すべし。

2016年6月7日火曜日

「新・人間革命」13巻 北斗の章

これまで旭川どまりであった北海道であったが、1968年9月、学会員の念願叶って、旭川を経て、最北端の稚内まで伸一を迎えることができた。その後は「座談会」が形式的になっていくのを憂い、座談会革命を起こしていく。


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「世間の繁栄は相対的なものであり、諸行無常です。では、永遠の繁栄と幸福は、どうすれば得られるのか。それは、わが生命の宮殿を開き、自身の境涯を高めていく以外にありません。それには、広宣流布という大誓願に生き抜いていくことです」

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大聖人の御心である広宣流布を使命とし、正法を弘めゆく人は、地涌の菩薩であり、仏の使いであるとの宣言である。その実践のなかで自身が御本仏に連なり、仏・菩薩の生命が湧現するのである。清浄にして強き大生命力と無限の智慧とが脈動するのだ。そこに自身の生命の変革がり、「人間革命」「境涯革命」の道が開かれるのである。

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その一念においては、自身の苦悩に煩わされることのない、大いなる境涯を会得していたのである。境涯の革命は現実生活の転換をもたらし、功徳の花を咲かせ、幸福の果実を実らせていった。
師とともに広布の誓願に生きる――そこにこそ、絶対的幸福へと至る自身の人間革命と宿命転換の直道がある。この広宣流布の聖業に参加できることは、われら創価学会員に与えられた栄誉であり、特権といえようか。

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私たちの住む娑婆世界は、穢土、つまり汚れた国土であるが、正法を持った人の心は、霊鷲山すなわち常寂光土にあるとの大宣言です。ここが、わが使命の舞台であると心を定め、広宣流布に邁進する時、どんな場所も、どんな逆境も、かけがえのない宝処となっていきます。その原理を確信できるかどうかで、すべては決まってしまう。

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大変な理由を数えあげて、だから無理だ、だからダメだと言っていたのでは、いつまでたっても何も変わりません。自分の一念が、環境に負けているからです。戦わずして、敗北を正当化しているからです。

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仏法は「心こそ大切」と教えている。感謝がある人は幸福である。心には豊かさがあふれ、喜びに満ち、生き生きとして明るい。福徳が輝く。
しかし、感謝のない人は不幸である。その心は暗く、貧しく、いつも、不平と不満、嫉妬と恨みと愚痴の暗雲が渦巻いている。
だから、人も離れていく。希望も、福運も消してしまう。自分で自分の幸せを破壊し、空虚と絶望へと自らを追い込んでいるのだ。慢心の人もまた、感謝の心がないゆえに、不幸であり、孤独である。

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憂愁や恐れが迫るのをひしひしと感じる。しかし、現状に、感謝していこう。逆境だからこそ家族のことを愛おしく感じられる。また、広宣流布に生きるしかないと腹を決めていけるのだ。

もし世界に学会がなかったら、お前はとうに自殺しているのではないのか。



「新・人間革命」13巻 金の橋の章

大学会の結成など学生部の育成に力を注ぐ伸一は、かつて戸田先生が「原水爆禁止宣言」をされたのと同日、1968年9月8日、第11回学生部総会の席上、「日中国交正常化提言」を断固と打ち出した。松村謙三ら日中友好を心待ちにする先達は高く評価し、周総理との面談を要請。ついに当初は政治の次元で、公明党がその役目を担い、やがて国交正常化が実現していく。伸一も、後に周総理が亡くなる直前に名場面といえる会談をなしたのだった。


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ともあれ、行動だ。生きるとは戦うということなのだ。
そこに、仏法者の使命があり、大道がある。

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国と国の関係といっても、永続的に友好を維持していくには、民衆と民衆の相互理解が根本となる。それには文化、教育をはじめ、民衆次元での活発な交流が重要になる。その窓口を開くには、どうしても政治の力が必要である。

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相手の国や民族、あるいは、地位や肩書などによって、態度を変えるというのは、人間として卑屈ではないか。また、それは、裏返せば、傲慢でもあるということだ。
相手によって威張ったり、下手に出たり、また、“立場”を鼻にかけてものを言うような生き方では、本当の友情は芽生えないし、本当の外交もできない。しかし、一個の同じ人間であるとの視点に立てば、共通項が見え、互いに身近に感じられるものだ。それが相互理解の手がかりにもなるし、共感も生まれる。

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伸一は、平和を願う一人の人間として、言うべきことを言い、行うべきことを行ってきたにすぎないと考えていた。
また、自分は、歴史の底流をつくればよい。日中の国交正常化が実現できれば、自分のしたことなど、誰を知らなくてよいと思ってきた。

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政府レベルの国交だけでは、真実の正常化には至らない。大切なことは、友情の橋、信義の橋を架け、民衆の心と心が、固く、強く結ばれることだ。

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“私は、わが生涯をかけて、堅固にして永遠なる日中友好の金の橋を、断じて架ける!”師走の北京の深夜は、底冷えがしていた。しかし、彼の胸には、闘魂が赤々と、音を立てて燃え盛っていた。

2016年6月5日日曜日

「新・人間革命」12巻 栄光の章

1968年4月8日、東京小平の地でいよいよ牧口先生が弟子に託してきた創価教育の学び舎がスタートを切った。この創価学園から、後に大学、小学校、幼稚園へと展開。現在では、その卒業生が実証を示しながら、海外にも展開されている。


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伸一は、「宇宙即我」「我即宇宙」と教え、一念三千という人間生命の大法則を説く仏法こそ、汲めども尽きぬ、深く広大な精神の泉であり、詩心の源泉であると確信していた。
そして、その仏法を弘める広宣流布の運動は、詩心を復権させる、人間精神の開拓作業であるというのが、彼の一つの結論であった。

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いうまでもなく、創価学園は創価学会のために設立したのではない。我らの願いは、妙法の大地を根底に、崩れざる人類の繁栄と豊かな第三文明の花を咲かせることである。

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学園の建設は、民衆の真心に支えられてきたという、この偉大な事実を、生徒にも、教師にも、永遠に伝え抜いていかなくてはならない

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牧口先生の残された創価教育は、人類の偉大なる精神遺産だ。

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戦後、日本は、飛躍的な経済発展を遂げたが、そのなかで、教育の目的も、経済発展に寄与する人間の育成が掲げられていった。
その結果、経済優先の価値観に基づく教育が大手を振り、「人生の目的とは何か」「何が善で、何が悪か」「真実の価値とは何か」といった問題の探求は、教育の場から切り捨てられてきたといってよい。それは、根本的な教育理念の欠如であり、人格の陶冶を忘れた教育の姿にほかならなかった。

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真の幸福生活を実現するには、自他ともの幸福を築くことが不可欠であり、いわば、個人の幸福と社会の繁栄が一致する社会の在り方をめざすものが、教育であるとしている。

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青春時代を生きるうえで大事なことは、自分の弱さに負けたり、引きずられたりしないで、自分に挑戦していくことなんです。自分を制し、自分に打ち勝つことが、いっさいに勝利していく要諦であることを、忘れないでください

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人生の栄光とは、どんな立場であれ、わが使命に生き抜くなかにある。根本的には、社会的な地位や役職が高いとか低いとか、富貴であるかないかなどは、問題ではない。人間として、どう輝くかです。

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さあ、今日も自分に打ち勝つ朝出発だ。宇宙即我・我即宇宙なれば、自身の人間革命が依法に波及していくことを確信しながら。

2016年6月4日土曜日

仏法と歴史 ~ジョン万次郎編~

5/29~6/3まで4日間、池田先生は聖教新聞ジョン万次郎を紹介してくださいましたね。大学時代に四国一周旅行に回ったとき、銅像を見て、漂流した人だとは記憶していましたが、いつの時代の人で、具体的な事跡についてはよく知りませんでした。

これを機会に、先生が若かりし頃に読んだという井伏鱒二氏の短編小説・「ジョン万次郎漂流記」と、短編では物足りず童門冬二氏「ジョン万次郎」を通読しました。

明治維新の坂本竜馬や勝海舟と同時代人だとは、幕末好きを呼称していながら知りませんでした。咸臨丸で条約批准のためアメリカに渡った時も通訳で同行していたとは。「新・人間革命」にて、池田先生が1960年にアメリカ初訪問されたときに、丁度100年前の1860年のこの日の出来事を感慨深く述べられていましたが、この時にサンフランシスコまでは彼も来ていたのです(咸臨丸の補修とかでワシントンには行かなかったとのこと)。


聖教新聞「新・人間革命」より、

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強き向上、向学の一念があれば、人生のいかなる逆境も、最高の学びの場となる。

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万次郎は、常に希望を捨てなかった。行く先々で、その時に自分ができることにベストを尽くした。だから活路が開かれたのだ。

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自分に力もなく、立身出世や保身に執着する者ほど、胸中で妬みの炎を燃やす。大業を成そうとする英傑は、嫉妬の礫を覚悟しなければならない。
人間は、ひとたび嫉妬に心が冒されると、憎悪が燃え上がり、全体の目的や理想を成就することを忘れ、その人物を攻撃、排斥することが目的となってしまう。そして、さまざまな理由を探し、奸策を用いて、追い落としに躍起となる。
国に限らず、いかなる組織、団体にあっても、前進、発展を阻むものは、人間の心に巣くう、この嫉妬の心である。

(中略)

大事なことは、その心を超克する、人間革命の戦いだ」

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報恩は、古今東西を問わず、普遍的な人間の規範といえよう。

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「ジョン万次郎」より、

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貧しさと、貧しさからくる辱しめとの二重の敵と、万次郎はいつも闘ってきた。その戦いが万次郎を強くした。大抵のことにはびくともしない性格の強さを、土佐の厳しい条件が万次郎に与えていた。

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帰れる日まで、できるだけこの国のいいところを学んで、日本に持ち込もう、と思っていたのである。

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りこうな万次郎は、表面は民主的で自由なアメリカの、隠された部分を鋭く見抜いた。しかし、その恥を、何とかして無くそうとつとめている、ホイットフィールド船長のような立派な人がいることも、正しく認めた。

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(したいことをすべきだ。)という考えは、万次郎にとっては、実に新しい考えだった。個人が自分の考えどおりに生きる、ということは、日本では、あまり許されないわがままなのである。

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(大きな船が自由に造れるからだ。そして、どこの海へでも出ていけるからだ・・・・・・)という、アメリカやヨーロッパの、海に対する考えかたの違いなのだ、ということが強く感じられた。

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本当は人間の冒険心は純粋で美しく、また、それが人間生活にいろいろな新しい便利をもたらすものだが、この冒険心に、ときどき、裏があることがある。
それは、冒険によってお金を儲けようとすることだ。

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人間には、やはり、生きる場所というものがあるらしい。力が思いきり発揮できるところにいないと、逆にだめになってしまうのだ。

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いま、何かをしていないと、わたしの冒険心がだめになってしまうような気がするのです。

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準備を全部整えてから仕事にかかる、というのが、万次郎のやりかただったのである。

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ものごとの始まりはいつもそうである。始まってしまうと、意外とあとの収穫のスピードが速いものなのである。

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「アメリカでくらして、一番頭のなかに残ったことはどういうことか?」
万次郎は、すぐさま答えた。
人間に、身分の高い、低いということがないことです。」

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万次郎は、英語に限らず、学問の勉強にひとつの考えを持っていた。
それは、「学ぶ気がなければ、何を教えたってだめだ。」という考えである。

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今の日本の動きかたに非常に不満だった。みんなが一生懸命に国のことを思っているのはわかる。政府を替えるのもいいだろう。
しかし、いったい、誰のために、何のために替えるのだろう?その“誰のために”ということを討議する人が一人も出てこないのは、どういうわけだろう。

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新しい日本が考えなければならないのは、日本の国民全部の幸福だ。一部の人の幸福ではない・・・・・・

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徳川幕府が倒れて、新しくできた明治政府は、日本をヨーロッパの国々の経済や文化水準に追い付かせようと必死になった。
「まず、国を富ませることだ。」
と考えて、日本の工業化に大きな力を注いだ。そのかわり、国民を富ませることを忘れてしまった
「国民にはなにも知らせる必要はない。ただ、政府に頼らせておけばよい。」
という当時の考えは、その後もずっと続く。

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そう、創価学会は冒険心をもって、強く賢い世界民衆勢力を築きあげるのだ!

2016年6月1日水曜日

仏教と歴史 ~ナポレオン編②~

池田先生は過去に何度もナポレオンを紹介されていますが、生涯を一読してよく理解できました。先生もまたナポレオンのごとくあらゆる知性に恵まれ、ナポレオンが民衆の心をつかまんとしたごとく、それを宗教(人生への基本的な法則を示す)によって達成しようと絶えず努力されていることを。近代ナポレオンも目指した世界連邦、将来はその方向へ向かうのでしょう。



戴冠式の栄光から、そして没落へ・・・ (赤字が成功へ、黒字が失敗への因)

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それよりももっと大きい陥穽は、成功のともなう本人心内の変化だ。慢心と油断だ。

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適材適所ということが人類の要求だ。人材抜擢ということが古今の希望だ。それをもっともめざましく代表したるところに彼の人気があった。一兵卒より元帥をつくり、一属官を一躍して大臣にした彼の人材登用主義が、革命フランスの理想だ。

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彼が少年以来のぞんだものは、ほとんどこれを達した。しかるににぎってみたらそれはなんという違ったものであったろう。金と思ってつかんだのは、泥であったのか。声名も富貴も王冠も、これだけの努力のかいのあるものなのか。大きい失望、ものたりなさ。それが青年貧窮の日のように重く、彼の頭を圧してきた。
ただ彼は東洋を思うときだけ、喜色満面少年のように快活であった。

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ナポレオンの帝室費はブルボン王に比して四分の一しかかかっていなかった。それがナポレオンの強味であった。彼は一生ぜいたくということに興味をもっていなかった

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彼は細事に注意深かった。それが彼の大事業をした秘訣であった。

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泉のわくように知恵が日夜、あの大きい頭のなかからわきでていたものらしい。しかもそのわいた考えをことごとく自分でこまかく仕上げる力をもっていた。

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彼の成功と失敗との根本原因がひそんでいた。彼は人間の弱点を利用した。人間の金銭欲と、名誉欲とを十二分に利用した。そうしてすべての人がそれで思うように動くのを見て、あまりにその一方に片よりすぎてゆきつつあることに気がつかなかった。

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彼は利欲権勢以外の、ある清純な理想を大衆の前に標置して、小我以上の大我に向かって天下国民の注意を集めてゆくことを、しだいにおろそかにするようになった。

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こうして一方には帝制を維持せんとして思想弾圧をおこない、ために全欧の自由主義者の痛憤を買って新しき国民覚醒運動の端をひらいたように、他方には誤った経済政策を強行せんとして大衆の生活を圧迫し、しだいに彼にたいする謳歌の声が呪詛に変わっていった。

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四十年の人生を振り返ってみる。なんという寂寞たる天地だ。小人物とあきめくら。あおいで宇宙の幽玄に参入し、伏して全人類の運命を思う者はいないのか。この乱雑な人間界に秩序を与え、悠久な人類史に基本的な法則を提示することが、人間の一番大きい仕事だということを悟るやつはいないのか。

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「前進!」
なにをぐずぐず思い迷うのだ。おまえのゆく道はただ一本だぞ。前へ前へと進んで今日まできたのだ。いまさらここで踏みとどまって満足するのか。攻めるのが守る唯一の道だ。停止は自滅だぞ!戦え!戦え!前へ前へと出て戦え!

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逆境に処してはじめて人のまことを知る。彼は利欲をはなれて彼を愛していたのはだれだれであったかをはっきりと知ることができたのだ。

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彼はほんとうの休息をしていない。人間のほんとうの休息は、宗教と家庭と芸術だ。その一つだに彼は持っていないではないか。永遠の実在に一身を委していっさいを忘れる宗教も、地上の純愛に陶酔して世累から解放される家庭も、一曲の神韻に世外の人となり、一幅の名画に登仙する芸術的歓喜も、はた一抹の清香に酔い、一輪の野花に心おどる自然愛も、彼にはなかったのだ。

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彼は口授しているときは、なにものも耳にはいらず目にはいらなかった

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自分の最大の敵は自分自身であったのだ。自分が自分の悲惨なる運命の原因であった。

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彼が三つのものを多量にそなえていたということだ。
一つは、分析的能力で、
一つは、総合的能力で、
いま一つは、非凡な実行力だ。

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ある哲人のいったように、「自己心内の恐怖心を克服したる人を真の貴人とす」である。われわれはいろいろの希望と計画をもっている。しかし危険の恐怖のために、とうとうこれを実行せずして死んでゆく。なんびとといえども、自己心内の恐怖心を克服したら、すばらしい仕事ができるのだ。

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「おれは頭のなかにたくさんの引き出しがあって、一つの仕事をはじめると、ほかの引き出しはちゃんとしめてしまうのだ。それがすむと、その引き出しはしめて、すぐまたほかの引き出しをあけるのだ。だから引き出し同士がまざることは決してないのだ。そうして眠るときは引き出しをみんなしめて寝る」

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