第4章はなかなか面白かったです。テーマは「台頭する新興国は幸福になったのか?」
結論から言えば否ですが、そういうことか・・・ と理解できたのは、次の箇所。中国内の都市部と農村部の経済格差とその幸福感の差を言ったものですが、
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都市部の人々は、農村部の人々よりも三倍も経済的に豊かであるにもかかわらず、彼らの幸福感は低いのである。都市部で消え失せたのは共同体の連帯意識であり、農村部の人々には、まだこの意識が残っている。都市部では物質的繁栄がもたらす恩恵がはるかに大きいにもかかわらず、競争心が先に立つため、この恩恵は忘れ去られてしまう。
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そう、人間は比較において幸福感を決めているのだ。存在する近辺と比較してどうかを。
そして、もう一つ面白い視点が、政治的な主義と経済的な主義の関係。資本主義=民主主義のような風潮ですが必ずしもそうではないことにご注意を。
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経済的豊かさは、民主主義への移行を約束する必要条件でも、十分条件でもないと思われる。
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これは中国において注目が集まって二大論争になっているらしい。経済発展により、現在の共産党一党独裁の政治文化が民主化されるのか。それならば、ドイツのワイマール共和国はなぜ、民主主義だったのに、ナチスの一党独裁をゆるしたのか。
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これらの答えは著者は簡単だと言っている。民主主義の理念の経験を経ているかどうかということらしい。ワイマールは民主を経験していなかった。そして、今は理念が国境を越えて中国にやってくるので、中国が未経験とはいえ、ほぼ確実にこの変化はおこるだろうと。
では、理念を作り出すのはなんだろうか?教育にほかならない。ここでも創価学会の池田先生の達観が分かる。教育こそ最後の事業だと言われている。そして、座談会という形で小さな地域共同体が根付いている。幸福感を増す手段を握っているのだ。
この個人にしても、共同体にしても理念をつくるのは宗教観であり、哲学だ。
私は池田先生は、従来の○○教という小さな宗教観ではなく、
『少欲知足』で、他者と比較し争うのでなく共同体内で
『利他』の精神をもった民衆を教育によって増やすこと
という考え方に主眼があると思えてならない。
仏法といってもその精神は振る舞いに現われるからだ。
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