2016年6月7日火曜日

「新・人間革命」13巻 金の橋の章

大学会の結成など学生部の育成に力を注ぐ伸一は、かつて戸田先生が「原水爆禁止宣言」をされたのと同日、1968年9月8日、第11回学生部総会の席上、「日中国交正常化提言」を断固と打ち出した。松村謙三ら日中友好を心待ちにする先達は高く評価し、周総理との面談を要請。ついに当初は政治の次元で、公明党がその役目を担い、やがて国交正常化が実現していく。伸一も、後に周総理が亡くなる直前に名場面といえる会談をなしたのだった。


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ともあれ、行動だ。生きるとは戦うということなのだ。
そこに、仏法者の使命があり、大道がある。

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国と国の関係といっても、永続的に友好を維持していくには、民衆と民衆の相互理解が根本となる。それには文化、教育をはじめ、民衆次元での活発な交流が重要になる。その窓口を開くには、どうしても政治の力が必要である。

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相手の国や民族、あるいは、地位や肩書などによって、態度を変えるというのは、人間として卑屈ではないか。また、それは、裏返せば、傲慢でもあるということだ。
相手によって威張ったり、下手に出たり、また、“立場”を鼻にかけてものを言うような生き方では、本当の友情は芽生えないし、本当の外交もできない。しかし、一個の同じ人間であるとの視点に立てば、共通項が見え、互いに身近に感じられるものだ。それが相互理解の手がかりにもなるし、共感も生まれる。

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伸一は、平和を願う一人の人間として、言うべきことを言い、行うべきことを行ってきたにすぎないと考えていた。
また、自分は、歴史の底流をつくればよい。日中の国交正常化が実現できれば、自分のしたことなど、誰を知らなくてよいと思ってきた。

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政府レベルの国交だけでは、真実の正常化には至らない。大切なことは、友情の橋、信義の橋を架け、民衆の心と心が、固く、強く結ばれることだ。

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“私は、わが生涯をかけて、堅固にして永遠なる日中友好の金の橋を、断じて架ける!”師走の北京の深夜は、底冷えがしていた。しかし、彼の胸には、闘魂が赤々と、音を立てて燃え盛っていた。

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