<フロー状態と動中の静について>
私の解釈ですが、フロー状態が、目まぐるしく展開している場面でゆっくりとすべてを感じ取ることができるのは、「動中の静」の訓練の賜物ではないかと考えています。
さて、表題のように二律背反的な考えは、元々は中国の「陰陽思想」から来ているようです。
光と影のように、一方の存在は一方の存在があってのものであり、極まるともう一方へ転ずる。すなわち、陰陽の二気でこの世は成り立っているとする説のようです。白と黒の二つの勾玉が重なるように描かれたシンボルマークは「太極図」とか「陰陽魚」と言われ、皆さんもイメージしやすいのではないでしょうか。
動中の静、静中の動は丁度勾玉の孔の部分を意識するとよいと思います。
斎藤孝先生の著書「菜根譚 バランスよければ憂いなし」のタイトルにもなっているとおり、極端の中にもその対極となるものの要素を含ませておくバランス感覚が大切ということです。
「菜根譚」の前集の中から該当箇所を抜粋しますと、
第22条
動かない雲中を鳶が飛び、流れのない水中で魚が跳ねるような心構が大切。
第88条
静中の静はあたり前。喧噪の中に得た静こそ本物である。
似たようなものに「閑中の忙 忙中の閑」があり、
第8条
暇な時に緊急に備える心構え、忙しい時に悠々たる態度で趣味に遊べること。
第172条
暇で滅入る時に生々とした気を持ち、慌てそうな時に落ち着いて事にあたる。
「苦中の楽 楽中の苦」のような箇所もあります。上記88条後半部分もそうです。
第58条
苦心している中に真の楽しみ、得意の時に失意の悲しみが宿る。
第99条
逆境の中に沢山の為になるもの、順境の中に身を滅ぼすものが実は潜む。
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どんなに忙しくても、花を愛し、生命の神秘に感嘆し、自然の美しさに心和ませる精神の余裕を忘れてはいけない。また、音楽を聴き、文学に親しみ、詩や俳句を詠むぐらいのゆとりが必要だ。
(中略)
動中にも静はある。何ごとにも“めりはり”が必要であり、リズム、切り替えが大切だ。それによって心も一新され、新たな活力も生まれてこよう。いかに一生懸命であっても、伸びきったゴムのようになってしまえば、価値の創造はない。
(中略)
日々活力を増していった源泉は、この「動」と「静」の緩急自在な躍動のリズムを体得していたことにあった。
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いかがだったでしょうか。本を読む真骨頂とは、自分では思っていてもうまく紡げない言葉が、達人の言葉を借りて整理されてくる感動を得られることと言い換えることもできそうです。
伸びきったゴムのようになって・・・は今度、中原中也氏の詩 を私には連想させてくれるのです。
さて中也の詩でも読もうか。
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