2016年6月18日土曜日

憔悴から逃れられない時は・・・

「憔悴」その言葉がぴったりくるような日々。自分の中で確信と懐疑のせめぎ合い。とにかくも無明の怖さを知る。平常心とは、そう簡単に手に入るものではないのですね。



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しかし此の世の善だの悪だの

容易に人間に分りはせぬ


人間に分らない無数の理由が

あれをもこれをも支配してゐるのだ


山蔭の清水のやうに忍耐ぶかく

つぐむでゐれば愉しいだけだ


汽車からみえる 山も 草も

空も 川も みんなみんな


やがては全体の調和に溶けて

空に昇って 虹となるのだらうとおもふ・・・・・・


さてどうすれば利するだらうか、とか

どうすれば哂はれないですむだらうか、とかと


要するに人を相手の思惑に

明けくれすぐす、世の人々よ、


僕はあなたがたの心も尤もと感じ

一生懸命郷に従つてもみたのだが


今日はまた自分に帰るのだ

ひつぱつたゴムを手離したやうに


さうしてこの怠惰の窓の中から

扇のかたちに食指をひろげ


青空を喫ふ 閑を嚥む

蛙さながら水に泛んで


夜は夜とて星をみる

あゝ 空の奥、空の奥。



しかし またかうした僕の状態がつづき、

僕とても何か人のするやうなことをしなければならないと思ひ、

自分の生存をしんきくさく感じ、

ともすると百貨店のお買上品届け人にさへ驚嘆する。


そして理屈はいつでもはつきりしてゐるのに

気持の底ではゴミゴミゴミゴミ懐疑の小屑が一杯です。

それがばかげてゐるにしても、その二つつ

僕の中にあり、僕から抜けぬことはたしかなのです。


中原中也全詩集 「憔悴」より
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