第二巻はいよいよ武霊王が中山国を計画的に滅ぼしにかかります。最終章に近いところで初めて「燕」に援助を頼むという話が出始め、史実である、「燕」の楽毅が「斉」を攻めるという構図に近づきます。「中山国」の宰相だったというのは宮城谷氏のフィクションと思われ(確か戦国名臣列伝で中山出身と思いたいと書かれていた)、ここで示したかったのは、中山を例にして、「ほろび」の国がどのような状態であるかということだったのでしょう。これは現在の会社等にもあてはめられるのではないでしょうか。
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祖国中山は自分にとって小さすぎるのか――。楽毅の憂色は濃く、深い。四度にわたる隣国・趙の侵略。宰相だった楽毅の父は自ら望んで死地へ赴き、祖国は国土の大半を失った。趙の侵略はとどまるところを知らず、戦火が絶えない。が、祖国の君臣は方策を講じず、内外で声望の高まる楽毅を疎んじ続けた。苦難の戦いを強いられた楽毅はどこに活路を見出し、いかに理想の自己を貫いたか。
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第二巻は、「ほろび」の哲学色が濃いところ、
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疑いながら事をはじめれば成功せず、疑いながら事をおこなえば名誉を得られない。君主の迷いは臣下の迷いとなり、ひいては国民の迷いとなる。
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勇と智をあわせもっている者は、攻めるときよりも退くときに、なにかをなすときよりも、なにもなさないときに、その良質をあらわすからです
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なにもしないとみせて、なにかをする。なにかをするとみせて、なにもしない。敵に虚実をさとらせないのは、孫子の兵法ではありますまいか
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復讐は相手を滅ぼすと同時に自分をも滅ぼすという因果の力をもっている
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白を黒であるといいくるめる術には信義が欠けている。あえていえば、そこには人の心がない。
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天与の幸を享ける者は希にしかおらず、その人に付すことによって幸をわけてもらうというのが幸運とよばれているものである。
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勇気とは、人より半歩すすみでることです。人生でも戦場でも、その差が大きいのです
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天下の才は、天下のために使うべきであり、それが天意というものであろう。ひとりの人物が天業のために不可欠であるのなら、かならずその人物に天啓というものがある。その天啓をさまたげようとする者は、天の怒りを買い、天譴をくだされる。
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君主とは孤独に生きる人をいう。孤独に身を置かなければ、群臣と国民とが納得する聴政をおこなえるはずがない。
(中略)
好悪があきらかであることは、正直であるというより、精神の幼さを意味している。あるいは人としての弱さもそこにあり、自立するという真の意義を理解していない。中山王は孤独に耐えられないからこそ、国を孤立化させている、ともいえる。孤独をつらぬくには勇気が要る。まったく援助を得られない立場に身を置いてみて、はじめて自己と他者というものがわかる。自分で考え、自分で決断し、自分で実行する。これほど勇気を必要とすることはない。
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こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深いということだ。人が戦うということは、おのれと戦うということであり、勝つということは、おのれに剋つということにほかならない。
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歴史を知ることによって、自分のむこうにある自分がみえてくる。
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歴史を知らぬ、偽善を行ってきた中山は滅ぶべくして滅ぶのだと。
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