一巻の概略は、外交を怠る慢心の中山国を、趙の武霊王が巧妙に侵略するのを、太子に光明を見いだした楽毅が巧みに防ぐところ、
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古代中国の戦国期、「戦国七雄」にも数えられぬ小国、中山国宰相の嫡子として生まれた楽毅は栄華を誇る大国・斉の都で己に問う。人が見事に生きるとは、どういうことかと。諸子百家の気風に魅せられ、斉の都に学んだ青年を祖国で待ち受けていたのは、国家存立を脅かす愚昧な君主による危うい舵取りと、隣国・趙の執拗な侵略だった。才知と矜持をかけ、若き楽毅は祖国の救済を模索する。
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抜粋箇所は主に田文(孟嘗君)の人柄についての部分が多い。
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独りで生きることはさびしい。自分のさびしさを視、自分のさびしさを聴いたにすぎぬ
(中略)
そのさびしさのむこうに、人の真影がある。
(中略)
人の偉さというのは、孤独の深さにかかわりがある。
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孟嘗君はたびたび自領を捨て、個として天下を闊歩した。
――ほろびのわかっている人のありようは、あれよ。
それゆえに孟嘗君は不朽なのではないか。
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薛公に会って以来、つねに自分にいいきかせていることは、おのれへのこだわりを棄てよ、ということである。
(中略)
無欲を衒う者は名誉欲にとらわれるという坎穽にはまりこむものであるが、薛公にはそれもない。
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かれの考えていることに根拠はない。すべてを感覚がおしえている。感じた通りに行動したにすぎない。したがってなぜそうなのかは説明できない。
――いのちにかかわるときは、おのれのままに動いたほうがよい。
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――人とはふしぎなものだ。
身分とは違うところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のりこえることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。
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成功する者は、平穏なときに、危機を予想してそなえをはじめるものである。
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信義などというものを枯葉のごとくふるい落とす戦乱の世に、信義を立てて生きている薛公は奇蹟の人といってよいであろう。
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自分の近いところにおよぼす愛が仁であれば、遠いところにおよぼす愛が義である。
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知恵というものは、おのれの意のままにならぬ現状をはげしく認識して生ずるものなのである。
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軽蔑のなかには発見はない
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目には呪力がある。
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目くばりは自分にもおこなわなければならない。それが内省というものである。人は神ではない。万能でなく、人格も完璧ではない。むしろ欠点のほうが多い。その認識から発して、徳望の高みに一歩ずつのぼってゆく努力をしなければならない。
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この世で、自分で自分がわかっている人はほとんどおらず、自分がいったい何であるのか、わからせてくれる人にめぐりあい、その人とともに生きたいと希っているのかもしれない。
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