2016年6月27日月曜日

中国歴史小説 ~楽毅③~

ちょっとずつ、ちょっとずつと思いながらも重なれば一巻。第三巻も楽毅は「燕」に入らずにしまいました。全四巻のうち前三巻は「趙」の歴史が分かりやすく書かれているといったほうがいいですね。宮城谷昌光氏「孟夏の太陽」というタイトルで「趙」の始祖のことも小説に書いており、格別「趙」びいきであるようです。これを読んでいると戦国前期は「魏」が強く、中期は「秦」と「斉」の二強とまとめられていた歴史が、「趙」にも天下統一とはいかないまでも北半分を版図にする勢いがあったことがわかります。武霊王の知略と武略によるところが大きいですが、その後の恵文王も別の角度から国を富ませました。ただし、この引継ぎが、武霊王を餓死に追いやってという暗さが残ります。それが、第三巻の見どころです。

大胆にして細心の武霊王は賢人といえそうですが、なぜか名君になれなかったのは細心の部分が狡猾であったからだと感じました。細心はどこまでも真心でありたいものです。


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中山国はこの世から消え去るのか――。隣国趙と成立した講和は一方的に破棄され、趙の苛烈な侵攻は再開した。中山国の邑は次々に落ち、そのさなか中山国王も没した。そして首都の霊寿もついに陥落する。東西の辺土を残すのみとなった祖国の存続をかけ、楽毅は機略を胸に秘め、戦火の消えぬ中山を離れ、燕へと向かった。抗い難い時代の奔流のなか、楽毅はなにを遺そうとしたのか。

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大切と思われた箇所、

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世論にも歴史にも、勢いとながれがある。それをみきわめただけでは故事を学んだことを活かしきったとはいえない。勢いとながれを自分でつくりだしてこそ、学んだことを活かしたといえるのである。ただし、それができるのは、万人にひとりか。

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まえをみずぎれば足もとがおろそかになる。足もとをみずぎればまえがおろそかになる。人の歩行はむずかしい。目的がなければ努力をしつづけにくい。が、人が目的をうしなったときに、目的をつくるというのが、才能というものではないか。平穏無事を多数とともに満喫しているようでは、急変の際に対応できず、人の生命と財産を守りぬけず、輿望をあつめることはできない。

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不遇や閑時にこそ勉学をと歴史は教えてくれています。晴耕雨読。今日も雨降る、本を読む。何時か反動を利用して勢いをつけるべく。

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