2016年6月15日水曜日

仏法と歴史 ~陳勝・呉広編~

さすがに、退職するというのはエネルギーがいりますね。

前例のない制度を使って、とうとう打って出てしまいました。もう戻れません。臆病な心が襲いますが、そこは信心の出番。唱題で臆病に勝ってこそ、仏の生命は湧現する。

なにより「先駆け」の使命感です。戦国時代なら生きるか死ぬかですからね。今はやはり文明が進んでいると言えるでしょう。明るい方へ。明るい方へ。

どのみち、このままいくと数年後には希望退職者を続々出すことになるでしょうし。



丁度、今読んでいる中国文明史「秦漢」のところになり、項羽と劉邦の楚漢戦争はごくあっさりと素通りなのですが、捨てて置けません。

「春秋戦国」についても、何遍となく余話として脱線してきましたが、この時代もきっちり清算しないとですね。陳勝と呉広は秦を滅ぼすきっかけの反乱を起こした先駆け的人物で、そのまま「陳勝呉広」で先駆けの意味のことわざになっています。この乱に呼応して次々と反乱者が立ち、最終的に項羽と劉邦に絞られ、劉邦が漢を建国するのです。


ここは、池田先生のスピーチを紹介することによって、中国文明史余話としてではなく、仏法と歴史の観点からご紹介したいと思います。


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作家で歴史にも造詣の深い陳舜臣氏『小説十八史略』からも参考に引かせていただくことにする。
はじめに秦帝国の末期、最初に反乱の先端を開いた陳勝にふれておきたい。
彼は若いころ、しがない雇われ農夫であった。あるとき、彼は将来の夢を語って仲間にあざ笑われた。そのとき彼は「嗚呼、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや」と大きくため息をついたという。
ツバメやスズメのような小鳥には、オオトリやハクチョウのような大鳥の志がわかるはずがない。小人物に、自分を超えた器量の人物の大志大望が、どうして理解できようか――との嘆きである。これは本来『荘子』にある話だが、陳勝のことばによって有名になった。
私どもの目的である広宣流布は、最高の「大志」である。その遠大なる志、純粋にして壮大なる目的観と心意気は、社会の人々には、なかなかわからないであろう。まして濁世にあって、目前の利己的欲望や、既成概念にみずからの目を覆われてしまった人々には、想像すらできないにちがいない。ゆえに諸君は、すべてを悠々と達観しながら、大いなる「鴻鵠の志」を、使命の人生の大空に広げていっていただきたい。

陳勝はやがて農民反乱(陳勝・呉広の乱)の指導者として立ち上がった。そのとき、九百人の農民を前にして行った名演説は有名である。
「王侯将相寧んぞ種有らんや」――王侯、将軍、宰相といっても、生まれつきそうなる人種が決まっているわけではない。皆、同じ人間ではないか。だれでもなれるのだ。われわれも、そうなってみようではないか。陳勝の人間としての捨て身の叫びは、聴衆の心を見事にとらえた。

1987年11月2日 第9回創価班総会にて池田先生の指導より
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たった二つの成語であるが、彼らは歴史に名を遺したのです。結局、陳勝は一度は王を名乗りながらも、秦軍の反撃や内部分裂によって滅び、歴史の舞台からは姿をけすのですが。

王になることで欲望が満たされたともいえるし、やはり際限のないものを志の頂点にする末路は、内部分裂ではないでしょうか。仏法でも「師子身中の虫師子を食む」とあるように敵はいつでも内部です。

さあ、自分も心をいれかえて、体調管理をしっかりしつつも、大志に向かって勉強を続けよう。

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